ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 命のつながり



ヨガナンダ



命のつながり

今日は地上の生物多様性をどのようにして守っていくかという国連の会議が
名古屋で行われたということがニュースになっていました。

現在、ほ乳類の1/4、鳥類の1/9、全生物の25%が絶滅の危機に瀕し、
今も毎日100〜300種の生物が絶滅し続けていると言われています。

多様な生物が複雑な食物連鎖網を作り、
そのひとつひとつの生物が重要な構成要素となっていて、
大量の生物種が絶滅し、その連鎖網を破壊するということは、
人類はもちろん、多くの生物種の存続に関わるきわめて重要な問題です。

私たちはそのことは頭では十分に理解していますが、
実感としてなかなか感じることができません。

自然から隔離され、
すべてが効率を重視したシステム社会の中で暮らす私たちには、
生物を含む多様なものとの関わりの大切さというものが、
感じにくく、分かりにくくなっているのです。

多様性は、種を存続するためにはとても大切なことですが、
複雑で面倒であり、効率的なことではありません。
そのため私たち人類は、高度に文明を発達させる中、
多様性を捨て、効率化、均質化への道を歩んできました。

学校へ行っている子どもは勉強さえできればいい、
社会に出て働くようになったら高い収入を得ることが最高の目標である、
多様な目標や価値観は迷いを生じさす可能性があり、
均質化された目標、価値観の中で社会を運営する方が管理しやすく楽なのです。

生物多様性を守る議論をいくら国連主導でしたとしても、
私たち人類の快適性、利便性、効率性を至上のものとするメンタリティーや
社会システムそのものを見直さない限り、
問題の抜本的解決には至らないでしょう。


南インドから日本に帰ってきた時、
「日本には自然がない」ということを強く感じました。

広い海、緑豊かな山並み、公園に行くとたくさんの木々か植わっている、・・・
そういったものが自然なのではありません。
私がインドで感じた自然とは、
生命の営み、つながりが感じられるということです。

インドと日本では人口分布がまったく異なり、
インドは裾野の広いきれいな三角形を描く子どもたちの多い国です。
町を歩いているとたくさんの子どもたちと出会い、
みな輝くような笑顔をたたえ、今この瞬間を生きる喜びに満ちています。

また道ばたに日がな座り込んでボーッと時を過す大人やお年寄りも多く、
それぞれの人がみなそれぞれの自由を楽しんでいるといった様子です。

昔の日本の田舎がそうであったように、
家で牛や鶏などの家畜を飼っている家が多く、
道ばたを鶏の親子が駆け回っています。

牛もヒンズー教では聖なる動物ですので、
路上では悠然とした表情でのそのそと幅をきかせて、
放牧されている山羊たちの群れもよく目にしました。

季候のいい南インドでは、たくさんの果物がいたるところで実をつけています。
バナナの木は道の脇や大きな畑に植えられていて、
バナナは食べるだけではなく、葉っぱは食器として使われています。

椰子の木もたくさんあり、そのジュースや果肉を食べ、
椰子殻や葉っぱは、ロープの原料になったり建築資材として利用されています。

マンゴーやパパイヤ、その他名前の知らない果物もたくさんなっていて、
子どもたちは好きな時にそれらを木からもぎ取っては食べていました。


こんなたくさんの動植物とともに暮らすインドの人たちの生活を見て、
その後で日本に帰り、効率化を求め、生命の連鎖の分離化を図っている
日本社会にどっぷりと浸かり、
とても違和感を感じると同時に、深い寂寥感を覚えました。

日本の子どもの数は昔と比べて減少し、
その子どもたちも学校や塾通いで忙しくしていて、
外で遊んでいる子どもたちの姿を見ることは少なくなりました。

町で目にする動物も、散歩させているペット、野良猫、雀と鳩、カラス、
その程度しかありません。

「こんな社会に暮らしていて、まともな精神が育つのだろうか ・・・ 」
これは日本社会に対して私が持つ正直な感想です。

これからはじまる東洋の時代は、
ひとつひとつのものの違いを知る(分析)のではなく、
すべてのもののつながり、関係性を感じる時代です。

すべてのものはつながっている、ワンネスという言葉もよく耳にします。
またそれを感じるために瞑想することもあるのでしょう。

けれどもこの “つながっている” ということは、
頭で知って、考えて分かるものではなく、
やはり体を通して感じなければ理解できないものだと思います。

この本来の “自然” から隔離された日本社会の中では、
いくらテクニックを駆使したところで、
本当の意味での豊かな精神性は育たないのではないか、
私にはそう思えて仕方ありません。


インドから帰って四ヶ月以上経った今も、
この日本社会に対する違和感はしっかりと胸に残っています。
これはインドに行ったからこそ感じられるようになったものであり、
日本にずっといたならば、
それは “当たり前” のこととして考えることすらなかったでしょう。

これから時代の大激変期を迎え、
価値観が大きく変わっていくということは、
この私たちが持っているひとつひとつの当たり前という感覚を
見直すことだ思います。

私のここで言っていることは、現在の日本の文化という以前の、
文明そのもののあり方の見直しを求めるものです。

けれども私たちは多様な生命体のひとつとして生きている存在であり、
そのことが変らない限り、
これは絶対に避けては通ることのできない問題です。


アセンションという宇宙レベルの激変が間もなく訪れると言われていて、
それを迎えるための生き方、考え方というものについても
様々な話題が出ているようです。

もし本当にそういった生き方、考え方というものがあるとするならば、
それはこの多様性を感じる生き方、考え方というものが
大切な要素となってくるはずです。


社会や文明を変えるというのは容易なことではありませんが、
まずは自分自身の意識を変えることからでも改革はスタートできます。

すべてのものはつながっているのですから。

2010.10.11 Monday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.