ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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原点<3>

今の私を形作る元となった志の原点、
これまで出会った人、ひとつひとつの出来事、
それらのことを述懐の意味を込めてここに記してみます。
  (一部「我が魂の遍歴と新しい時代の理」と内容が重複します)


中学校二年生の時、父の転勤で奈良に引っ越しました。
新しい家となったマンションの同じフロアーに若い家族が暮らしていて、
そこのお宅と懇意になり、
翌年、その家庭に可愛い次男が誕生しました。

彼の名前はYくん、本当に可愛くて可愛くて・・・、
私も私の母も、Yくんのことをそれこそなめるようにして可愛がり、
彼もまた私や母を実の母親以上になついてくれるようになりました。

私は子ども好きが高じて公文という子どもの教育の会社に就職し、
これまで公私にわたって数え切れないぐらいの子どもたちと接してきましたが、
私にとってあのYくんほど可愛いと思い、心から愛情を注いだ子どもはいません。

素直で可愛くて聞き分けがよくて、・・・
彼と出会わなければ、私の子ども好きの性質は、
ここまで引き出されることはなかったでしょう。
また子どもの教育の仕事に就くこともたぶんなかったと思います。

そして彼の母親が、私の精神世界のスタートであり原点である
天理教の先生なのですから、
彼は私の現在に至るまでのスピリチュアルな歴史の幕を切った
大切な役割を担ってくれた存在でもあるのです。

先日二年ぶりに奈良県天理市の教会を訪ね、彼と会いました。
その日はちょうど彼の36歳の誕生日でした。
ひげ面で180センチもある彼の姿は立派なたくましい男性ですが、
私にとってはいつまでも可愛い幼子であったあの頃の彼の延長です。

「Yちゃ〜ん♪」、
彼が後ろを向いている時に、思わず彼を背中から抱きしめてしまいました。

その日は偶然か必然か、
彼が婚約者である素敵な彼女を夕食の席に招いていました。
彼女が寡黙なYくんの長所を讃えます。
「Yさんは、とっても心が温かくて・・・」

その言葉を聞くと同時に突然胸が熱くなってきました。
「あかん、そんなん聞いたら胸が熱うなる ・・・ 」
Yくんの席の隣に座っていた私の目からは、
涙がポロポロとあふれ出してきました。 ・゚・(ノД`;)・゚・
一緒にいた母親や兄弟は誰も泣いていないのに ・・・ 。
まるで一人「花嫁の父」状態です。

彼は私にとってのかけがいのない永遠の恋人です。
あの屈託のない柔和な笑顔、
あの笑顔は、子どもなら本来誰しもが持てるはずのものです。

幼い頃の彼はもう二度と戻ってきません。
けれどもあの輝くような笑顔は、
これからも新たな次代を担う子どもたちに
永遠に引き継いでもらはなければなりません。

子どもたちの笑顔の輪を広げていきたい、
それが最愛のYくんを通して願う、大切な志のひとつです。


そのYくんの母親が離婚をし、
私の大学入学と前後して、
一人京都の伏見というところで天理教の布教師としての道を歩み始めました。
はじめは乳飲み子だった女の子を一人おんぶしながら、
そして数ヶ月後にはYくんとYくんのお兄さんも自分の元に引き寄せました。

私も可愛がっていた子どもたちと会うためにそこに通うようになり、
少しずつお母さん(私の天理教の先生)の真摯に人の幸せを願う
宗教家としての姿勢に心惹かれるようになり、
天理教という宗教世界に足を踏み入れるようになりました。

純真だった若かりし頃の私は、
「自分や自分たちの家族の幸せだけを求める平凡な生き方よりも、
 一人でも多くの人たちを幸せに導ける宗教家としての道を歩みたい」
心からそう願いました。

また天理教の基本原理である因縁の法則は、
仏教でいう因果律とまったく同じことです。
原因があって結果がある、このことには当時今も、
私としては100%納得がいくところです。

この因果律を天理教では “理” と言い表したりするのですが、
真剣に信仰の道を歩んでいる先生の周りでは、
この理というものがものの見事に鮮やかな形で現れてきます。

京都の布教所で過ごす日々は私にとって楽しいの一言でした。
可愛い子どもたち、古い大きな一軒家を改造したオンボロアパート、
集まってくる人たちは世の中のアウトローのような方たちが多かったのですが、
そこで起こるすべてのことが新鮮で喜びにあふれていました。

その頃から自分には社会奉仕活動が向いているのだということを
自覚するようになっていました。
この布教所のように、将来はいろんな問題を抱えた社会的弱者の方たちと
共同で生活する場を作りたい、
そんなことを漠然と考えるようになりました。

また子ども好きの私にとって、
その社会的弱者が可愛い子どもであれば何も言うことはありません。
ならば孤児院を ・・・ そう考えて早三十年の年月が流れました。

その後インドに心惹かれるようになり、
数年前、期せずしてインドの孤児院オーナーのファミリーと懇意になるのですから、
運命の導きとはすごいものです。
    <英会話学習MEMO インドの人たちと東京〜阿蘇を行脚>
そしてまた、自分の志が、
生まれ持った天命(のひとつ)と合致するものだと確信するに至るのです。

天理教を信仰するようになって約二年後、
父親が胃がんになりました。
末期で手の施しようがないとの医師からの宣告でしたが、
なんとか生きながらえて欲しいという心からの願いを抱き、
私は一生を天理教の布教師となり、神の道に捧げることを神前で誓いました。

その後周りの反対があり、なんとか大学を卒業し、就職をし、
親元から離れ一人暮らしをする中で広い世間というものを知るようになり、
少しずつ宗教の道から離れていきました。

けれど魂の中に刻み込まれた “神の道に一生を捧げる” と誓った
「神因縁」は色濃く残っています。
今も目に見えない大きな力で私の人生を引っ張っている神因縁の存在を
感じない日はありません。

その後、超能力、宇宙エネルギー、ヨガ、瞑想、仏教、キリスト教、気功、風水、・・・
様々なスピリチュアルな分野のリーダーとなる方たちと出会い、
そのほとんどで最も身近な、そして中心的存在として関わるようになるのですから、
これは導きという見えない力抜きにはあり得ない現実です。


人生の途中、あるキッカケで志を抱き、神因縁というものを持つようになり、
様々な出会いという導きをいただくようになったのですから、
天命は必ずしも持って生まれたものではなく、
後天的に自らの意志によって創り出せるものなのかもしれないと感じます。

けれどもその人生の途上において抱くようになった “志” が、
心の奥底に潜む天命の力によって表面化してものだとしたならば、
やはり天命は生まれ持ったものだと言えるでしょう。

卵が先かニワトリが先か、
天命があって志を抱くのか、志からも天命が生まれるのか、
これはとても難しい問題です。

原因から結果が生まれてくるのは事実ですが、
そもそも想念の世界は時空の制約を超えているのですから、
一元的な時間の流れの上で、
どれが因でどれが果なのかを決定するのは不可能なのかもしれません。

天命が決まっているとするならば、
運命も同様に定まったものではないのだろうか。
だとしたら人間の努力などどれほどの意味のあることなのだろうか。

魂の存在である私たちは、
肉体という制約を持つことにより、
その中から様々な知恵を学び取ります。

本来制約のない時空の中に生きる私たちは、
表面意識で感じ取る一元的な時空の流れをどうとらえるべきなのか。

究極の真理ほどシンプルなものです。
けれどもそれは答えのない、また言葉では言い表せないものなのです。

    個人的な体験については、次回もまだ続きます。
    こんなプライベートな話を読んでいただき、感謝の気持ちで一杯です。

2010.3.9 Tuesday  
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