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賢人塾代表 田端俊久氏 ご挨拶

本日は河内先生の特別講演会にお招きいただきまして、心より感謝申し上げます。
私は約二年前に講演活動を一切止めまして、療養に入りました。
それ以来こういった大勢の人の前でお話しするのは、本日が初めてでございます。
なぜそういう決意をしたかと申しますと、私が五年間の間憂国の年を思い、なんとかこの日本が、人類が、一日も早く反省するところを反省して、新たな社会秩序を作れるよう今を生きる日本人としてベストを尽くして生きてみよう、そう思って愛国平和運動をやってまいりました。
その結果2008年、一昨年の11月21日、そして去年の3月6日の日本青年館に於ける「日本人力」というテーマで全国の皆さん方に、最後の私の皆さん方にお願いすることとして二回に渡って講演をさせていただきました。
なぜ止めたかと言いますと、その時に余命半年ということを医者の方から宣告をされまして、それを機会に講演活動を止め現在に至ったわけです。
しかし私はこうやって、また皆さん方の前でお話しができる、そういう命を授かりました。
実は先日私の母が、私と同じところの癌で同じように余命半年という宣告を主治医から言い渡されまして、わずか一ヶ月でこの世を去ってしまいました。
癌になったのは私の方が早かったんですけど、この世を去ったのは、私より母の方でした。
今上天皇が76歳で今日お誕生日をお迎えになられた。
私の母も76歳であの世に旅立ちました。
その間にいろんな思うところがありまして、さきほど以前の私を知っている方は、この風貌で、一切私とお分かりにならない方がたくさんおられました。
この約二年間の間に何が起きたかと言いますと、今まで49年一生懸命生きてきたつもりですけれども、自分のない知恵を絞って、とにかく真剣に考えて考えて、なにがベストかと、そう思い生きてきましたが、その99%は間違いであった、そのことを気付かされました。
決して私は、49年間の自分の人生を悔いてるわけではありません。
そのぐらい人間の知恵というのはないのに等しいぐらいのレベルのものであって、この大宇宙の創造であり、時の移ろいというものを何ひとつ人類は読めていないのではないだろうか、そう思う日々がずっと続きました。
今日こうやって河内先生と再会をして、そしてこの場を共有させていただくことすら、今まで予測もつきませんでした。
私のこの五年間の愛国平和運動は、この河内先生のお考えであります。

田端俊久氏

河内先生との出会いは、約二十年前に阿蘇の弊立神宮(へいたてじんぐう)という由緒あるお宮でお会いしたのがキッカケでございます。
実は今、和の國 元氣子供村というその弊立神宮のお膝元に、未来の世界を背負って立つ子どもたちを、立派な子どもたちを育めるようにという思いで、そういう場所を作ってまいりました。
その場所も先生とお会いした蘇陽町でございます。
私はその土地を買って二回目に見に行こうとしまして、僕はバイクでその土地を見に行ったんですね。
そうしましたら山奥なものですから道が分からなくなりまして、三時間ぐらい道に迷って、その行き着いた所がその弊立神宮だったんです。
その神社もその当時、まったく私は予備知識がありませんで、その日は結果的に自分の購入したその土地を見ることができなかったわけです。
これも氏神様にお参りをしないで行ったからバチが当たったのかな、とその程度で、じゃあせっかく鳥居があるんだからお参りして帰ろうか、そう思って参道の階段を登り上げていきますと、そこに九十歳を越える老宮司がおられまして、
「来た、来た、来た、来た、・・・」とおっしゃる。
何が来たんだろうと後ろを振り向きますと、私しかそこにはおらないわけですね。
「それで、君は何をやろうと思ってる?」
変な爺さんだなこの人は、とその時正直思いました。
何をって禅問答か、ここは神社なのに・・・寺か、とそう思いながら黙って考えて、五分ぐらいずーっと考えて、そこで出た言葉が「世直しです」そう言ってしまったんです。
「よーし分かった」って「上がりなさい」って言われて、いきなりお祓いが始まりまして、
そして「そういう青年が来るのを私は夢を見た」と、そして「朝からずっとここで待っていたけど、今日に限って誰一人来ない、最後にここに来たのが君だから君は世直しをするんだ」と私に言われまして。
とんでもないことを言ってしまったなと、その瞬間深く反省をしながら、無意識でそういう言葉を言ってしまったわけです。
まったく私の意識するところではありません。
そして「神武の維新も平成の精神維新もこの九州の地から始まります。しっかりがんばんなさい」とか言われて、固い握手をしていただいて、「ありがとうございました!」と言ってその日帰ったわけです。
で私の心境は、変な所に来て、いっちゃってる爺ちゃんがいたなと、そんな境地だった。

それから約半年ですよ、私のところに訪ねてくる人が「今から弊立神宮に行きます」、「今弊立神宮に行って参りました」って、・・・。
「なんだその弊立神宮っていうのは?」って、私は知らないわけです。
そしたらある時、「代表もご存じですよね、弊立神宮・・・」
知らないって言ったらその場の空気が崩れる雰囲気がしましたので、
「よく存じております」ということで嘘を言いました。
「じゃあ今日行きましょう」ということになりまして「行きましょう」と言って、私はその日に私は弊立神宮にやっと行けるんだと思って行きましたら、あれ、なんかここ来たことあるな、なんか見たことあるなと思いながら階段をずっと登っていきましたら、老宮司がポッとおられて「来た、来た、来た、・・・あの青年だよ」と言われまして、
でどの青年なのかなと・・・で私なんですね。
そしてその時に、河内先生覚えてらっしゃるどうか分かりませんが、ご紹介していただいたのが河内先生なんです。
そしてどういうご活動をされているのかということを得々と聞かせていただきました。
それから約二十年になる。
結果的に「天の時」というタイトルでお話しをさせていただこうと思ったのが、今までの49年間を見てみますとね、自分の意思で事が成就したことがほとんどないんですね。
私には子どもが六人おります。
その子どもを「今日私の意思で作るぞ」と思ってできたことがありません。
いつのまにかできてました。
そして子ども欲しい、子どもが欲しい、つい数年前、世直しするのには僕一人じゃ足りない、もっと仲間が必要だ、我が子が欲しいと思ってがんばりましたが、できませんでした。
人間の意思で動いているものは何もないんだな、実は宇宙の創造主という方がおられるんだろうと、その方が全部シナリオを描いてて、その中で自分たちはそれを演じているだけなんだ、それを私は、こんな日本でどうするんだと、人類は滅ぶじゃないか、自責の念でずーっとなって、俺がやらずして誰がやる、俺が必ず世の中を変えてみせる、そういう大きな勘違いをして、自分は癌で追い込みをかけられたわけです。

今の境地は、もうシナリオは決まっとる、その時代の流れ、時の移ろいを、どう少しでも深く理解をするか、そのことだけに今努めております。
そして今、私がやることは何なのか、今為すべきことは、私が今生きている今という時代はどんな時代なのか、そのことを真剣に考える、そういう毎日です。
その結果が、今日の講演会の河内先生の応援に馳せ参じたこの心境でございます。
よくよく考えてみますと、中村文昭君や五日市剛さんや大勢の講演家と言われる人たちが、私を、無名の私をプロデュースしていただいて、私に発言の場を五年間用意していただきました。
その中で訴えたのは、まったく今の日本ではタブー視されている、愛国心の問題や天皇の存在に於ける意味、それと二度と戦争をしてはならないという憲法九条を我々は、日本国民の宝として、そして誇りとして、それを失うことを決してしてはならない。
これは今の人々にとってほとんど興味のない、もしくは忌み嫌われる話題でございます。
ところがそのことを五年間、全国の皆さんがたに心をもみながら、そしてなるべく拒否反応が起きないようにと、非常にストイックになりながら、全国の皆さん方に伝えて参りました。
そしてやっと天の時が来たわけでございます。
それが今日である。

私は方便を使いながら、そしてちょっと回りくどい形で、あるいはオブラートに包みながら、今のお話しをさせていただきました。
本日の河内先生の講演は、一切そういうものがいらないと思います。
何故ならば、そんなことは百も承知、皆さんの心に間違いなく、その河内先生と同じご意志を持った方々が、今日この場に、お集まりいただいたのではないかという確信がございます。
ですから、私は回りくどい表現をして参りましたけれども、今日はどうぞご遠慮なく、ただ先生も熱血漢でいらっしゃいますので、少々早口気味になられますので、なるべく一言一句私たちが理解できるように、ご発言をしていただければ幸いかと存じます。

それと私事ですけれども、来年の三月まではそっとしておいていただきたいと思います。
四月からは活動を再開いたします。
ただし今までの活動とはまったく違う活動をやっていきます。
私はもう言語における表現の限界をつくづく感じております。
言葉ではない、それが今上天皇、皇后陛下様、このご人徳に触れると、言葉ではなくジーンとして、今思うだけでも僕は涙が出ます。
言葉ではない、人に伝えるのは言葉ではない、私たちはこれから、子どもたちと一緒に、子どもたちの姿を世の人々に見ていただいて、そのことで人間誰しもが持っている和御霊(にぎみたま)のボタンのスイッチを押させていただけるような、そういう活動を来年の四月から、命の続く限り精進していこうと思っております。

私たちは前座です。
河内先生の前座でずっとやって参りました。
今日皆さん方、河内先生のお話を、自分の思いを入れず、素の心で、その言葉一言一言を、腑に落としていただけたらと思います。
私も今日先生のご講演を心から楽しみに、そしてこれからの日本人としての、そして人間としての、一人の男としての、父親としての、夫としての指針を、先生のお話から学ばせていただこうと思っております。
今日は皆様方と一緒に拝聴させていただきたいと思います。
どうも先生、おめでとうございます。

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今明かされる、広島の偉大なる天命! 河内正臣 特別講演会
2009年12月23日(祝) 於:広島国際会議場


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