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身体との対話<6>

体に毎日のようにも声をかけていても、
その日によって気持ちが深く入る時と、そうでない時があります。

また自分にとって思い入れのある体の場所というのがあり、
そこにはついつい熱を込めて手当てをし、かける言葉にも力が入ります。

一日しっかり体を使い、心地よい汗を流すお風呂での一時は何よりの極楽タイムです。
その日一日の労をねぎらい、体に声をかけながら手のひらにつけた石けんを
さするようにして擦りつけていくと、
胸の内から言葉にならない喜びの感情がわき上がってきます。

しっかり働いてくれた体に対する感謝とともに、
『今日も体が思い通りに動いてくれた』という、
普段は当たり前として見過ごされてしまうことに大きな幸せと喜びを感じます。

その日一日体をしっかりと使えば使うほど、
疲れを癒してくれるお風呂はより一層心地よいものとなり、
風呂上がりの体はまるでリフレッシュされたかのように爽快そのものです。

逆にのんべんだらりと過ごしてしまった日の、
義務的に入るお風呂に喜びはありません。
体に手当てをしていても気持ちが入らず、何の喜びもなく、
風呂から上がる時も、まるで湯あたりしたかのように体が重苦しく感じられるものです。

『体を大切に扱う』ということは、
使わずに休ませることではありません。
その持てる能力を活かし、役立たせることによって、
素晴らしい力と可能性を持つた体は喜びを表現してくれるのです。

もちろん使いすぎて体を壊してしまっては元も子もありません。
どの程度使い、活かし、そして休息をとりながらいたわるべきなのか、
そのことも自分の体と対話をしてみれば答えを教えてくれます。

大切なのは、常に体に対して感謝と喜びの意志を通わすことを習慣とし、
体からのメッセージを的確に捉えることができるようにすることです。

持てる能力を活かし、役立たせる ・・・ というのは、
体だけに当てはまることではありません。
あなたの持つ知識、能力、経験、個性 ・・・ 、
あなたの持てるすべてのことに当てはまることです。

自分自身の持てるもの(与えられたもの)は、
その能力、機能を十分に活かし、使い、役立たせてこそ光り輝くのです。
そのことを、私は自分の体から教えてもらいました。


私が「身体との対話」を実践するきっかけとなったのは、
左肘を骨折し、左腕に「サッちゃん」と名前をつけて声をかけるようになってからです。
  身体との対話

思えばこの「身体との対話」を続けてきたお陰で、
本当にいろんなことに気づき、学ばせてもらうことができました。
ですからその感謝の意味も込めて、
今でもやはり自分の左腕である「サッちゃん」に最も深い思い入れを持ち、
愛情をこめて接しています。

サッちゃん御近影

今だに自分の体に名前をつけて呼んでいるのは左腕のサッちゃんだけです。
それは左腕骨折以降、大きな怪我や病気をしたことがなく、
体の特定の部分に名前をつけ、思い入れ深く呼びかける必要がなかったからであり、
それはそれでありがたいことです。

今日も一日元気で過ごせたのはサッちゃんのお陰、
何かいいことがあったのもサッちゃんのお陰、・・・
何かにつけてサッちゃんに対する感謝の言葉と気持ちを、
たぶん体の他の部分よりも何倍もの密度かけ続けてきたと思います。

普段は物言わぬサッちゃんですが、
不思議なことに、
その言葉と気持ちに応えるかのように少しずつ長い年月をかけ変化が現れてきたのです。

左肘が完全に伸びきらず、また縮まらないために百回以上リハビリに通い、
激痛に耐えてきたのは以前書いたとおりです。
その後ほぼ日常生活には不自由ない程度になってからは、
リハビリには行かず、特に治療をすることなくそのままになっています。

本当に普段はまったく生活に支障がなく、
その左肘の可動範囲がいくぶん狭いことを意識することは、
まったくと言っていいほどありません。

私は年に一度程度献血に行くのですが、
その際リクライニングになるベットに体を横たえ、
採血してもらう左腕を台座の上の伸ばした状態で固定する時、
まっすぐに伸びきらない左肘から先が宙に浮いたような形になってしまいます。

そのまま宙に浮いた状態でも、まったくしんどくはないのですが、
看護師さんが気を遣って、隙間にタオルなどを挟み込んでくださり、
かえってこちらが気を遣ったりして困る時があります。
その時ぐらいでしょうか、左肘のことを意識するのは。

以前はかなりぴょこんと左肘から先が浮き上がり、
左手首が台座から5センチ以上は浮いていたように記憶しています。

ところが ・・・ 、三年ほど前に同じ場所に献血に行き、
それまでと同じようにリクライニングベットに体を横たえ、
左腕を台座の上に伸ばしたのですが、
肘から先を含めて、伸ばした腕全体がまったく台座から浮かび上がらないのです。

看護師さんに最近ベットを変えたのか尋ねたところ、
ベットは以前のまま変わっていないとのことでした。

ということは ・・・ 。

よくよく左腕を観察してみると、
たしかにリハビリを終えた当時よりも左肘がまっすぐに伸びるようになっています。
同時に曲げる方も右腕とほとんど変わらないぐらいに回復をしています。

まったくリハビリをしていないのに、こんなことがあるのでしょうか?
左腕は普段大きく曲げたり伸ばしたりする機会がほとんどないので、
可動範囲の狭まった肘がそのままの状態で固定されることはあっても、
自然と元の状態に戻ることなど通常は考えられません。

リハビリも薬も、特に治療となるようなことは一切していないのに
回復してきたということは、日々実践している「身体との対話」の効果、
これ以外考えられません。

このことを感じてから三年、今でも少しずつ左肘の可動範囲は広がってきています。
体を床の上に大の字になって横たえ、
手のひらを上に向けて伸ばした腕は、
以前だと左肘から先が大きく宙に浮いていたのですが、
今は肩を落とした状態でも手首がピッタリと床に着くようになっています。

こうなってくるとますますサッちゃんに対する思い入れが深くなり、
手当てや言葉にもますます熱がこもってきます。
笑い話のように思われるかもしれませんが、
あまりの熱のこもりように、体の他の部分がヤキモチを焼くのではと心配するほどです。


「身体との対話」を続けていけば、
このようなことは、たぶん日常的に経験するようになってくるでしょう。

不思議なことだと思われるかもしれませんが、
この程度のことは、私たちが日々生命を保っている驚異と比べれば
まったくもって取るに足らない些細なことです。

そのことを知る、これがすべてのはじまりです。

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2008.09.01 Friday

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