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引き受け気功<9>

引き受け気功のセミナーを主催しているワンダーライフでは、
会員の方に向けて定期的に会報を発行していて、
先日、そこに載せるための原稿の依頼を受けました。

もうたぶん今月初めには会報に載って
会員さんたちの元に届いていることと思うのですが、
ここにその文章をアップいたします。

これまでここに書いてきたことと重複する部分もありますが、
お読みいただければ幸いです。

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引き受けの神髄


5年前、引き受け気功と出合い、その考え方の素晴らしさと藤谷先生のお人柄に感銘を受け、それ以来毎日引き受け気功を続けています。
私のホームページにも何度か引き受け気功への思いを綴り、本は二百冊近く売れ、セミナーにも参加したという報告をたくさんいただくようになりました。
引き受け気功はシンプルであり、かつ奥が深く、まさに新しい時代の理を反映した価値あるものだと考えています。
けれどもシンプルなものは誤解も生じやすく、その神髄に触れるのは容易なことではありません。

ここに「引き受けの神髄」と題し、自分なりに引き受け気功を行う際のポイントとなるべきものを書いてみます。
ご参考にしていただければ幸いです。

1.心から引き受ける

引き受け気功の「引き受けます」という言葉、そしてシャカシャカという動作、これらはとても力があり、これだけで効果が現われるのは事実です。
けれども引き受け気功本来の目的は、こういった形にあるのではなく、不幸なものも邪なるものも引き受けさせていただきますという思いを、心の中にしっかりと刻み込むところにあります。
不幸なことを引き受けたくないから引き受け気功をやっています、こういった思いでは本末転倒になってしまいます。
私の知り合いで、以前引き受け気功をやっていたという女性がこんなことを話していました。
「引き受け気功をやっていても、ちっともいいことがないのでやめてしまいました」
その人は、邪を引き受けるという気持ちがまったくなく、ただいいことだけが起こることを望んで引き受け気功をやっていたのですね。そんな気持ちでは、引き受け気功の本当の価値に気付くことは不可能です。
けれどセミナーに参加してみて、参加している方の多くが、言葉と動作で「引き受けます」とは語っていても、心の中では「鬼は外」と願っているように感じられました。
引き受けるのは言葉や動作の世界ではありません。それらを通し、不幸も邪も悪も病も、引き受けられる自分の心を育てることが本当の目的です。

2.実践行

藤谷先生が語られるように、この世の中は相対の世界です。
陰があって陽があり、女があって男があるように、引き受け気功という観念行は、生活の中での実践行と合わさって、ひとつの完成された対の形となります。
本当に心から「引き受けます」という気持ちになったなら、自ずとそれは行動となって現われるはずです。
また行動によってそれを示すことにより、思いがより強化されます。
あなたの心にある「引き受けます」という気持ちを、是非行動によって表してください、そしてその思いをより一層強いものにしていってください。
そのための方法はいろいろとあるでしょう。人のいやがる仕事や役目を引き受ける、家の周りのゴミ拾いをする、何かのボランティア活動に取り組む、自分がいいと思うものであれば何でもいいのです。
私は近所の公衆トイレを掃除する活動をしています。
引き受け気功を知らないトイレ掃除の仲間たちですが、彼らの体からは、「邪をも引き受ける」という強い思いが感じられます。

3.感謝をもって受け入れる

トイレ掃除の醍醐味は、便器が汚れていればいるほど強く感じられます。
少しずつきれいになっていく便器の汚れとともに、自らの心の汚れも落ちていくようです。
最も手こずる汚れは、小便器の内側や水濾しにこびりついた尿石です。
何百回、何千回も同じところを擦らなければ、層のようにこびりついた尿石は落ちてはくれません。
ある時掃除をしていて思いました。とてもやっかいな尿石ではありますが、もしこの尿石がなかったらどうなってしまうのだろうかと・・・。
たぶん人体の機能は正常に働かないでしょう。
そうであるならば、尿石にも役割があり、その役割に対して感謝をすべきだということに気がついたのです。
私たちの周りのすべてのものには役割があって意味がある。だからこそすべてを「引き受ける」ことに意義があります。
私たちの生きる目的は、何かを感じ、学ぶことにあるのだとすれば、これまでの人生を振り返ってみると、楽しいことや嬉しいことよりも、辛く苦しいことの方が、より大きく感じ、学ぶことができたことに気づくはずです。
だとしたら、私たちが忌み嫌う邪、悪、不幸、病、そういったものにこそより大きな役割や意味を感じ、深い感謝の思いを持つべきではないでしょうか。

引き受けの神髄とは、忌み嫌うべきものをイヤイヤ引き受けるのではなく、最終的には深い感謝の念をもって受け入れるところにあるのだと思います。

この世の中には無駄なものなどひとつもありません。
すべては自らが創造し、引き寄せたものであり、すべてが感謝すべき対象です。

引き受け気功は、その真理に気づかせてくれる最高の方法です。

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上記の文章にさらに付け加えたいことがあります。
私見ではありますが、今私が深く感じていることです。


真理というものを追求していくと、
行き着く先は、真理とは命そのものであり、
この時空すべてのもの、ことは、命を持っているということを知ることが、
究極の真理ではないかと感じています。

命には無駄はなく、だからこそすべてを “引き受ける” ことが、
真理へ近づく大きな道筋となります。

そして命には大きな性質がいくつかあり、
そのひとつがフラクタル(自己相似形)です。
小さな小さなミクロの世界も、とてつもなく大きなマクロの世界も、
すべては同じ様式で成り立っていて、
自然界にはそれを示すものが数限りなく存在します。

陰陽の世界もフラクタルです。
太陰の中に小陽があり、太陽の中に小陰があり、
この時空に100%陰性、陽性のものは存在せず、
陰と陽が混じり合った世界が、ミクロからマクロまで、
延々と合わせ鏡のように連なっています。



究極的には引き受けるということが真理でも、
我々の身近なスケールの世界では、
陰陽どちらもが役割を持って存在し、
善と悪とを完全に色分けできないのと同じように、
“引き受ける” ということが大切であるのと同時に、
その対極である “引き受けない” ということも、
また同様に大切であり、役割があるのではないかと感じます。


これは究極ではない、その外側にある形の世界の問題です。

日本人はほぼ単一民族国家として、他国からの脅威にさらされることなく、
狭い島国の中で長い歴史を刻んできました。
そんな私たち日本人は、相手の気持ちを察し、顔色をうかがい、
阿吽の呼吸で空気を読んで気遣いをし、
譲歩するということが美徳であるという文化を持っています。

これは引き受けるということと根本は同じであり、
日本は元々民族的に引き受けの文化があったとも言えるでしょう。

これはひとつの文化であり、
これを他の文化と比較していい悪いと評することはできません。

評することはできませんが、一般的な概念として、
この文化がいい面として現われる時と、
悪い面として現われる時があるのは事実です。

日本のように謙譲の美徳を持ち、
他と争ったり、自己の権利を強く主張することを苦手とする民族は、
闘争的で自国の権利を必死に守り抜こうとする諸外国との外交は、
伝統的に苦手です。
特に最近の尖閣諸島の問題における中国との対応を見ても分かる通り、
日本の領土問題に対する外交は失策続きであるというのが一般認識です。

政治、マスコミ、様々な基幹産業の中に外国人資本や権力が入り込み、
巷には凶悪な外国人犯罪者があふれ、
日本の国家としての独自性は今まさに危機に瀕していると言っても
過言ではありません。

日本文化の美徳は美徳として持ちながら、
「外交はお人好しだけでは通用しない」ということも心に留めておく必要があります。

ここで政治のあり方やイデオロギーの是非について問うつもりはありません。
日本の弱腰と言われる外交政策も、
将来何らかの形でいい結果を生む可能性もあるかもしれません。

ただ形の世界として、引き受けるということとともに、
ケースバイケースで相手を強く突っぱねることも必要となってくるでしょう。
100%相手を受け入れ、自らが譲歩するだけでは、
自分にとっても相手にとっても、
いい結果を生まないのではないかということを言いたいのです。


引き受け気功のこの本には、
16名の方の引き受け気功体験談が紹介されています。

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その中で最も強く印象に残るのが、
最後の体験談として紹介されている
夫の暴力と姑の虐待に耐え抜いたIさんの文章です。

結婚当初から夫の暴力で顔面を数針縫うようなことはたびたび、
包丁を持って一晩中追いかけ回され、
乗っている車のフロントガラスで鍬で割られ、
愛人を何人も作られ、一億円の借金、妊娠中も夜中の12時まで田んぼの仕事、・・・
こんな生き地獄のような壮絶なエピソードが延々と続き、
読んでいるだけで心臓がバクバクしてきそうになるほどです。

このIさんが引き受け気功と出合い、
初めての気功で体が真綿のように軽くなる体験をし、
毎月セミナーに参加するようになり、
すべての面で運命が好転していきました。

地獄のような日々を耐え抜いてきたIさんは、
きっと他の人にはない強い心を持っているのでしょう。
だからこそ引き受けるということを心が受け入れた時、
現象面として大きな効果が現われたのだと思います。

これは引き受け気功の効果、引き受けるということの価値を示す
素晴らしいエピソードだと思います。

けれどもこの話を “形だけ” 受け取るのは危険です。
たまたまIさんは引き受けるということを実践し、
すべてがうまくいったのですが、
もし同様のケースで同じことをしたならば、
そのまま夫の暴力によって死に至らしめられる可能性も否定できません。
そうなってしまっては、夫も犯罪者になるということです。

引き受け、絶えることは美徳ですが、
その対極の方法でお互いが気づき、幸せな道へと踏み出すこともあるのです。


引き受け気功は素晴らしいものです。
そして引き受けるという概念は、究極の真理のひとつです。

けれども形の世界においては、
引き受けることに価値があるのと同様に、
場合によっては、
引き受けないことが価値を持つこともあるということを理解する必要があります。


引き受けるということの本質は心の世界にあり、
それを言葉で表すと、

身の回りのすべてのものは自らが創造し、引き寄せたものであり、
それを理解し、納得した上で、すべてを引き受けることである。


ということになるのではないでしょうか。

その心の中の引き受けができた次の段階で、
形としてどう行動するかはまた別の問題です。

すべてが自らは創造したことだから、
それを形としてすべて引き受けなければならないということはありません。
それを拒否し、戦い競うことによって、
そこから何かを学びたいと思い、創造し、引き寄せたものかもしれません。


自らが創造し、引寄せたものなのですから、
すべては引き受けるべきものであり、感謝すべき存在です。

ありがとう、愛しています、ごめんなさい、許してください、
この四つの言葉を唱えるホ・オポノポノと引き受け気功は、
まったく同じことを説いています。

ただ感謝や愛情の表現は、
必ずしも形として引き受けるということとは直結しません。
先生が生徒を厳しく叱るように、
愛情を持ったライオンの親が子どもを千尋の谷へと突き落とすように、
愛情の表現は様々であり、
心の中での引き受けるという表現も、
形として現われる時には千差万別なものとなるのです。


いつも書いているように、人間にとって最も大切な能力は判断力です。

すべてのものを引き受け、感謝をし、
その思いを形としてどう表すか、
それを自らが判断することが求められています。

引き受けるというのは我慢することではありません。
感謝をし、役割を認め、
自分にとっても相手にとっても、どう考え、判断し、
そして行動していくのが最も望ましいのか、
それを求めていくことにあるのだと思います。


引き受ける、これはやはり自らの中に神性を見ることそのものなのでしょう。

2011.10.6 Thurseday
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