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引き受け気功<8>

これまで引き受け気功のことをたくさんのページで紹介してきました。
そしてそれを読み、本を買ったり、セミナーに参加しましたという
報告のメールをよくいただきます。

引き受け気功は本当に素晴らしいものですが、
いつも書いているように、
価値というものは自分の内側に存在するのであり、
自分の外にあるものは、どんなに素晴らしいと思えるようなものであっても、
ただそれを知ればいい、それを実践すればいいというものではありません。

その価値を決めるのは自分自身であり、
そのものよりも、そのものといかに関わっていくかがより重要です。

引き受け気功に限らず、
一見して素晴らしいと思えるものは、
その素晴らしさゆえ、人を惹きつける大きな魅力を持ち、
人はつい「これさえ知っていればいいんだ」という、
あたかもそこに絶対的価値があるような錯覚に陥り、
最も大切な主体性や判断力というものを見失ってしまいがちです。


私は引き受け気功は本当に素晴らしい価値あるものだと思います。
もっと言葉を厳密に使うなら、
誰にとっても大きな価値を持つ可能性のあるものだと感じています。

引き受け気功と同様、それを考案し、それを普及、指導するために
全国津々浦々を回っておられる藤谷康充先生も、
まさに「野の聖者」とでも呼ぶにふさわしい素敵な方で、
引き受けるということを究極まで我が身で実践されています。

セミナーでもいつも飄々とした表情で、
面白おかしいことを話しては、人を笑わすことに執心しておられますが、
こういう偉そぶらない普通のおじさんぽい方だからこそ、
すごい人なのだと思います。


引き受け気功は素晴らしいものであり、
多くの人の心を救う力を持っています。

またその考え方の根本は、
今まで私たちが抱えていた価値観とはまったく正反対のものですが、
それはこれからの時代、私たちに求められている最も大切なものと直結しています。

だからこそ大きな効果を持ち、
難病や仕事や家庭でのトラブルが解消されたといった報告が
数多く寄せられるのでしょう。

正直に私個人の感じていることを書かせていただくと、
私は引き受け気功によって起こる難病の治癒や奇跡的な出来事の数々には
ほとんど興味がありません。

もちろんそれらを信じないというわけではないのですが、
私にしてみれば、引き受け気功はこれから価値観の逆転する
まったく新しい時代の理をストレートに反映させたものですので、
その根本を違わなければ、
驚くべき大きな効果は現われて当然のことだと考えます。

大切なのはその考え方の根本であり、
結果はあくまでも自然とそれに付いてくるものです。

けれどもほとんどの人はそうは考えないでしょう。
やはり効果があるかどうかは大問題であり、
その大きな効果がある方法を探し求めているのだと思います。

それはそれでひとつの道であり、
その求めた方法から、その奥に潜む真理を感じ取ればいいのです。
ただその方法に執着してしまうあまり、その方法という形だけに囚われ、
そのものの持つ本質から遠ざかってしまっては、何の意味もありません。

あるものに執着し、形に囚われることにより、
その結果としてそのものの本質から遠ざかる、
この意味がお分かりでしょうか?
これはとてもとても大切なことです。

以前他のページにも書いたと思いますが、
二十年ちょっと前、瞑想を主体としたグループで神智学を学んでいました。
そこで学んだ最も印象深い覚者という人間を解脱した存在の言葉です。

私を追い求めるな。
追い求めれば追い求めるほど、私から遠ざかるであろう。

神智学を学んでいるものほどグラマー(自己幻惑)が強い。


神因縁を持つ私は、過去三十年ほどの間、
数々の素晴らしい宗教家、超能力や思想を持つ人たちや集団と、
深い関わりを持ち、そこから多くのことを学んできました。

そこで学んだ最も大きなことは、
どんな素晴らしいと思えるものであっても、
それを絶対ととらえてはいけないということです。

絶対ととらえ、それを信奉するようになった瞬間から進歩が止まり、
排他的になり、他のものを「引き受け」られなくなります。

これは引き受け気功の考え方と逆行する、
引き受けられない善悪二元論の世界です。

そのものが素晴らしければ素晴らしいほど、
それが光り輝く善なる存在に見え、
それと対比する他のものが、闇の中の悪のようなものに見えてしまいます。

引き受けさせていただきます。
この世の闇をもすべて引き受けます ・・・ 。
引き受け気功の考え方は、善悪二元論を超えた、
すべてのものに価値を見出す東洋的自然論の究極の姿であり、
愛の極地だと思います。

だからこそ素晴らしい、だからこそ大きな効果があります。
そしてこれは矛盾した言い方になりますが、
だからこそ、引き受け気功の素晴らしさに惚れ込んでしまい、
他のものを引き受けられないといったことになりかねないのです。


このことは何千回でも繰り返して言いましょう。
価値は自分の内に存在します。
引き受け気功も含め、自分の外側にはないのです。

価値のあるところ、あるいは価値を決めるのは、
自分自身、あるいは自分と他のものとの関わりの中にあるのです。

今日7月24日(日)、
ノルウェーで狂信的な若者による爆破テロと銃の乱射事件があり、
100名近い人の命が奪われました。
報道によると犯人はキリスト教原理主義者だとのことです。

キリスト教は、過去十字軍の遠征など聖戦の名の下に多くの民を殺戮しました。
広島、長崎への原爆投下も、黒人の奴隷制度も、
神の許しを得て行ったことです。

これらはとても罪深いことだと思いますが、
だからといって、キリスト教が危険思想だと断罪することはできません。
ただ危険な思想を導く可能性のあるものであることは事実です。

けれどもこれはキリスト教だけではなく、仏教でもイスラム教でも、
あるいはすべての思想、宗教、価値観でも同様です。
程度によりますが、危険なものに絶対にならないものなどないでしょう。

価値を決めるのはすべて自分であり、
自分がそれといかに関わるかということが最も大切です。
それを忘れ、外のものを絶対と信じてしまうと、
ひとつの方向に盲目的に突き進んでしまう危険性があります。

引き受け気功も同様です。
その素晴らしさに傾倒し、自分を見失ってしまっては、
そのよさを見出すことはできません。
カルト(狂信的)というものが最も恐ろしいのです。

「あれはカルト集団だ」ということをよく聞きますが、
厳密には、それは正しい表現ではありません。
カルトとは、集団の属性ではなく、
それに関わる人、一人一人の心に依存するものです。

カルト集団と評されるものに属している人の中にも、
その中から何かいいものを引き出したいと考え、
自分をしっかりと持った上で関わっている人もいるかもしれません。

また逆に社会的評価の高い宗教や思想、あるいは引き受け気功でも、
それを絶対視し、排他的になり、依存するようになってしまっては、
その人自身がカルト的関わりをしているということになります。


私は引き受け気功を本当に素晴らしい、
新しい時代へと人々を導く偉大な思想であり、実践法だと考えています。
だからこそ、多くの人に引き受け気功を知ってもらい、
その価値を正しい形で身に付けていただきたいのです。

素晴らしいものだからこそ、
ただそれを知ればいい、やればいいというものではありません。
自分をしっかりと持ち、引き受けるということの真意を理解し、
引き受け気功といい関わり方をしなければ、
その素晴らしい価値を引き出すことはできません。

本当に正しい引き受け方で、
引き受け気功の素晴らしい価値をも引き受けてください。

そのためのポイントを次項以降に書きます。

2011.7.24 Sunday
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