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2018年3月11日 ・・・ 積み重ねとブレークスルー

これまで何度も書いてきたように、
子どもの頃は勉強が大嫌いで、
学校でまともに授業を聴いたり家で宿題をすることはほぼ皆無でした。

それでも適性があったのか、算数・数学だけはなぜか得意で、
算数のテストはいつも一番早くにやり終えて、
問題用紙の裏に落書きをすることが何よりの楽しみでした。

今から45年ぐらい前、
中学生として奈良に住んでいた1973、4年頃、、
あの頃家で見ていた夕方のテレビ番組に、
公文式のコマーシャルが流れていました。

まだ公文が世間に広く認知されるだいぶ前で、
社名も公文数学研究会としていた頃です。
小学校高学年の優秀な子どもが紹介され、
その子が高校の数学を学習しているとのことで、
それが強烈に印象に残っています。

それを見て「自分も公文をやってみたい」と思いましたが、
あの頃家の近くに公文の教室はありませんでした。


大学での就職活動は超スローペースでした。
大学にはほとんど行かず、
親しい友だちもいなくて情報交換することもなく、
初めて企業にアクセスしたのは大学四回生の夏でした。
今の常識からはまったく考えられないことです。

当時は教育のことにとても興味がありましたが、
一般的な受験産業は教育に害毒を与えるだけのものだと考えていて、
そんな中、たまたま公文の求人募集の案内を見て、
公文ならといいうことで会社訪問をすることにしました。

大学時代はほとんど授業に出なかったので成績は最悪でした。
就職活動時に提出する三回生までの成績証明書は優がたったひとつ、
当時成績の悪い学生のことを「可山優三」と呼んでいましたが、
それを下回るものです。

公文(入社した年から公文教育研究会)は名目競争率30倍、
同期の男性社員では、
自分が最も遅く会社訪問し、内定をもらった人間でした。

自分は公文に入って働く運命にあったのだと思います。
大学での成績は最悪でしたが、
公文では、たぶん人事部のミスで、
内定をもらうまで成績証明書を提出しなくてもよかったのです。

  ・・・ ここまで前振り ・・・


公文式の学習法は基礎を徹底的に習熟させることが特徴です。
算数・数学、国語、英語、
これらは積み重ねの上に成り立つ学問であり、
基礎的なことをなおざりにしてその上のことを学ぶことはできません。

また道具学問とも呼ばれ、
ただ単に知識として知っているだけではダメで、
完全に習熟し、道具として使いこなせるレベルにならなければなりません。

特に算数・数学にその傾向が強く、
簡単な足し算、引き算が使いこなさなければ、
その上のかけ算、割り算を学ぶのにはとても苦労します。

またそれら四則計算の上に、
それを使った分数、関数、方程式があり、
数学の深い世界に入っていくためには、
簡単な“算数的技術”は使いこなせるということが必須条件です。


公文では、中学生から学習をはじめる時でも、
たいていの場合、1+1、2+3、
こういった小学校一年生が解くような足し算から学習を始めてもらいます。

これを何ヶ月も続けて行うのではなく、
これはあくまでもウオーミングアップのようなもので、
実際に、こんな簡単なものから始めた生徒の方が、
後の学習進度の伸びがいいのです。

ジェット機でも空高く飛ぶ大型ジェットは、
小型のものと比べて滑走路を長く必要とするのと同じです。


この基礎を徹底的に習熟させた上で次へと進ませる公文式のやり方は、
実に素晴らしいものであり、
様々な教科、様々な技術の習得に応用できます。
まさに学問をする上での王道とも言えるでしょう。

けれどこの王道のやり方が唯一絶対ではありません。
学ぶ方法には別のものもあります。


高校時代、ほんの一時期Z会の通信添削をしていました。
郵便で送られてきた問題を、自分なりに解いた上で返送し、
添削され、再び返ってきた答案用紙を見て学ぶというやり方です。

実際にやり取りしたのはほんのわずかな回数ですが、
あれはとても刺激になりました。
学んだと言うよりは刺激という言葉がピッタリです。

添削は手間も時間もかかり、その上問題数も限られています。
ですから必然的に出される問題はひとひねりされた難問、良問であり、
それを知恵を絞って解くことによって、
ひとつの世界を開かせるといった感覚です。

難しい問題は当然参考書などを見ながら解きますが、
それでも簡単に満点が取れるような問題ではなく、
あれやこれや、様々な観点から問題を見つめていかなければなりません。

算数・数学は積み重ねの道具学問だとは言っても、
100%その要素だけで構成されているわけではありません。

複雑な計算問題なら時間をかければ解くことができますが、
特別な“数学的観点”を要するものは、
それを解くためのセンスが求められます。

今考えてみると、添削で与えられた難問は、
そういったセンスを磨くためのものであったように思います。

そしてそのセンスを刺激されることにより、
数学的感覚がブレークスルーし、
目の前が開けるような感覚を味わったのだと思います。

こういったセンスを磨くための難問も、
公文式のように基礎を徹底的に鍛える方法と同じく、
数学的能力を高めるために極めて重要です。

ここで言う難問とは、ただ単に難しいということではなく、
これまでとは別パターンの思考を要するものということです。


四年前のネットの記事に、
「数学を学ぶには計算ドリルではなく
 「高度な数学」から学び始める方が効果的なわけとは?」

ということが書かれていました。

ここで述べられているのは、
数学を学ぶ方法として、積み重ね的な計算能力とは別に、
「高度な数学的な考え方」を身に付ける機会を与えるべきだということです。

「高度な数学的な考え方」とは、
レゴ(LEGO)のようなブロックであったり、
子どもの喜ぶパズルのようなもので楽しみながら身に付く感覚です。

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そしてこのような「複雑だが簡単なこと」が、
大きな学習効果を持っているとのことです。


この論には全面的に賛成です。
こういった数学的センスを養う方法は、
四則計算などとは違って体系化するのは難しいかもしれませんが、
将来的に高度な数学を使う専門職に就かなくても、
四則計算同様、身に付けておくととても役に立つものです。

今いろんな人にパソコンを教えたりホームページを作る仕事をしていますが、
子どもの頃に算数・数学を含む学校の勉強がよくできた人でも、
パソコンに対する理解力が乏しく、
いつまで経ってもスキルが向上しない方がおられます。

現代社会で求められるのは、
そういったパソコンスキルであると同時に、
それを自ら学び取ることのできるセンスであり、
そのセンスとは、たぶんブロックやパズルで遊ぶことによって得られる
数学的感覚に類似しているのではないかと感じます。

子どもの頃はレゴ(LEGO)に熱中し、いろんなものを組み立てました。
あれは本当に素晴らしい知的玩具だと思います。

通信添削によって得られたブレークスルーする感覚と、
ブロックやパズルから学ぶもの、
これらはたぶんかなり近いものなのでしょう。


人生でも、少しずつ学びを積み重ね、築いていったものが、
一瞬にして大きな壁に当たって崩れ去ることがあります。
そんな時は新たな観点から物事を見つめ、
これまでとは違った感覚、センスで生きていくことが求められます。

こんな時も、人生はパズルを解くようなもの、
レゴで組み立てた建物をまた一から築き直すようなものです。
そう考えれば少しは気が楽です。

難問は新たな世界を切り拓く扉、
これも人生訓として活かせますね。

大切なのは積み重ねとブレークスルー、数学の世界と人生は同じです。

2018.3.11 Monday  
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