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2017年6月19日 ・・・ トイレ掃除の価値

今日のネットニュースに、学校で行った生徒たちによるトイレ掃除について、
批判的な反響が多いということが書かれていました。

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<女子中生が男子便器を「素手」で掃除 「人権侵害では」とネットで大騒ぎ :       J-CASTニュース>

男子トイレ内の便器を女子中学生が「素手」で掃除している写真を巡って大騒ぎが起きている。トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる、ということだが、写真を見た人から「これって虐待にならないか?」「感染症のリスク高すぎるだろ」といった批判が出て、大量にネットの掲示板やブログに書き込まれる事態になっている。

この写真は河北新報が2010年10月18日に電子版に掲載した。写真には「汚れがこびりついた便器を素手で磨く生徒ら」という説明が付いていて、体操着姿の女子中学生数人が腕まくりをし、男子便所の小便器の中に手を突っ込んで掃除している様子が写されている。

「臭すぎ」「汚い」と最初は悲鳴を上げた

河北新報の記事によれば、このトイレ掃除は2010年10月16日に宮城県の坂元中学校で実施した。参加したのは生徒と教員、保護者の105人。校内にある18カ所計87個の便器をスポンジなどの清掃用具を使って素手で丁寧に磨いた。生徒らは「臭すぎ」「汚い」と初めは悲鳴を上げたが、最後は満足そうな笑顔を見せた、という。この掃除を主催したのは坂元中のPTA。トイレ掃除を通じ、謙虚な人になる、感動の心をはぐくむ、感謝の心が芽生えることを願っての実施だった。

しかし、女子中学生が男子トイレを「素手」で掃除する写真が公開されるとネットでは、

「やる事は悪くないが、素手はねーよwww感染って言葉の意味知ってるのか?」
「どう考えても人権侵害だろ」
「男子便所の掃除を女子にやらせんなよ。常識ねえのか」

などの批判の書き込みが大量に出て騒然となった。

どうしてこのようなトイレ掃除になったのか。坂元中によると、トイレ掃除を推奨するNPO法人「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」の勉強会に同校のPTA関係者が参加したのがきっかけ。感銘を受け、トイレ掃除をしたいと提案してきた。

このNPO法人が推し進めるトイレ掃除は各地の学校で行われている。村井嘉浩宮城県知事も県内の学校でトイレ掃除に参加したというニュースを知り、実施に踏み切った。

男女混合も含め数人単位のグループ分けをして一斉に校内のトイレ掃除を始めた。どのグループがどこのトイレを掃除するかはランダムにしたために、男子トイレを担当することになった女子生徒もいた、という。

トイレ掃除は荒れた学校や、生徒の更正にも役立つ?

なぜ「素手」なのかといえば「掃除に学ぶ会」の考え方がそうだったからだという。ただ、感染症防止のためビニール手袋をした生徒もいたほか、素手の場合は感染を防ぐ薬のようなものを塗って実施したということだ。今回のトイレ掃除は生徒や保護者にも好評だったが、写真が新聞などに掲載されてから「なぜこんな掃除になったのか」という疑問の電話が学校に寄せられるようになった。

「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」とはどんな団体なのか。

今から約17年前にカー用品販売大手イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんが創唱した。トイレ清掃の活動を全国に広げ、2007年にNPO法人になった。「トイレ掃除を通じて人間性を高める」ことなどが目的で、これまで10万人以上の人がトイレ清掃に参加。歩道の清掃なども行っている。

同法人によれば、学校の先生が特に活動に熱心で、10年ほど前から「教師の、教師による、教師のためのトイレ掃除に学ぶ会」が設立され、現在は全国に15ヵ所ある。また、トイレ掃除などを学ぶ小規模の集まり「便教会」も全国数十ヵ所で開かれている。素手でトイレ掃除をするのは、

「便器に付いたぬめりや、細かい汚れは直接手で触らなければわかりにくい」
ためだが、感染症の恐れもあるため、素手に薬のようなものでコーティングしたり、手に傷のある人にはゴム手袋を付けてもらうのだという。大人や先生がトイレの中に直接手を突っ込む姿は驚きと感動で受け止められ、生徒が自分でそれを実践することで違った世界観が得られる、というのだ。

「荒れた学校の修復や、問題生徒の更正にもトイレ掃除は役立っている」
と同法人は胸を張っている。

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ネットで批判が多いと書かれているように、
このニュースに対する読者のコメントも、また批判的なものがほとんどです。
  <コメント・口コミ>


トイレ掃除の活動に対して
身近なところで批判的意見を耳にすることはほとんどありませんが、
一般の方がこういった考え方を持たれるのも無理の無いことだと思います。

ただ残念なのは、
批判されている方のほとんどが、
だふん学校や公共の場のトイレ掃除を奉仕活動、自己啓発として
実践されたことがないのであろうと思えることです。

自分もそうであったように、
やはり何事も実践してみなければその真意を理解することはできません。
  <トイレ掃除に学ぶ> ・・・ トイレ掃除初体験の感想です


自分の実践経験から思うのは、
トイレ掃除は最高の心磨きの場であるということです。
そう思えるからこそこの八年間続けてくることができました。
また自分の周りのトイレ掃除仲間も同じ思いだろうと感じます。

掃除が終わった後は参加者全員が輪になって集まり、
それぞれ感想を言い合いますが、
初参加の方はほとんど例外なく実に晴れやかな表情をしておられます。

そして話される感想もだいたい同じです。
「最初汚い便器を目の前にしてとても抵抗があったけれど、
 磨いているうちに夢中になり、
 きれいになった便器を見て、とても爽快な気分です」
このような感想を述べてくださいます。

けれどそんな素晴らしい感想を述べてくださった方でも、
二回目となると足が遠のき、
なかなか継続して掃除の会には参加してくださいません。
やはり公共の便器を磨くというのは壁が高いのです。

これまで何度も書いたことですが、
逆にトイレ掃除に熱心になってやっている方というのは自分も含め、
心の中に浄化すべき闇を持たれている方が多いように感じます。
トイレ掃除は究極の下座行で、
心に闇がある人はそこに救いを求めるのです。


批判的意見を持たれている方たちは、
トイレ掃除に教育効果はなく、
弊害ばかりが多いという印象を持たれているようですが、
これは自分の知る範囲と経験から、
間違いであると言いきることができます。

トイレ掃除初体験のページにも書いたように、
初めて行った二葉中学校は、
広島県内で最も荒れた学校として知られたところだったのが、
トイレ掃除の会を何度も行うことにより、
校内の環境は様変わりしていきました。
同じような例は広島近辺だけでもたくさんあります。

また二十年近く前、
広島市の繁華街で行われたえびす講というお祭りでは暴走族が大暴れし、
全国ニュースになり、
広島は荒れた土地であるという印象を全国の人に与えました。

その際に検挙した暴走族たちに、
警察の人たちは更正の一環としトイレ掃除をさせ、
多くの子どもたちを非行の道から救いました。

その時の経験があるため、
今でも広島のトイレ掃除の会には、
広島県警の現役やOBの方たち、
また弁護士や検事さんといった法曹関係の方たちが多く参加しています。


素手で行うトイレ掃除は不潔だ、感染症の危険があるとの意見もありますが、
学校で子どもたちと行うトイレ掃除は、
広島の場合、掃除前後に行う除菌、殺菌は徹底して行っていて、
そのための道具は必需品として用意されています。

また素手で掃除することに抵抗がある場合、
ビニール手袋を着用してもらい、
決して強制することはありません。


掃除をする便器、トイレは、男女の別は考慮しません。
男性が女性トイレに入ることもあれば、
女性が小便器を磨くこともあります。
けれど意図的に異性のトイレや便器を、ということはありません。

公衆トイレで女性トイレに入る場合は、
最低限女性が一人含まれるよう配慮します。
その程度です。

なぜそうするのか、理由は考えたことがありません。
ただ言えるのは、徹底して目の前の便器を磨いていると、
その便器が大便器か小便器か、
女性トイレなのか男性トイレなのか、
そんな区別は頭の中から一切消えてなくなってしまうということです。

これもやはり実践してもらわなければ分からないことです。


トイレ掃除に批判的な人を腹立たしく思うことはありませんが、
自らの体験なく批判される態度には悲しいものを感じます。

トイレ掃除活動を新興宗教や悪質な自己啓発セミナーに
なぞらえる方もおられますが、
頭の中の理屈だけでそう断定されることの方が、
よりカルト的(狂信的)なように感じます。


今も多くの方にトイレ掃除の会のことをお話ししますが、
新たに参加しようという方はほとんどおられません。
けれどそれはそれでいいのだと思っています。
種を蒔いておけばいつか芽が出るかもしれません。
またその芽はトイレ掃除でなくてもいいのです。

またお誘いする時は、
「掃除の会に毎回参加する必要はないけれど、
 一度は参加してみて、
 自分の体で何かを感じ取ってもらうといいですよ」
こんなふうにお伝えするようにしています。

何事も経験が宝です。
そしてその経験から自ら掴み取ったものにこそ価値があります。


トイレ掃除に価値があるのかないのか、
それは自分自身が決めること、
価値が生まれるのは己の内であり、
トイレ掃除はそのための道具、手段に過ぎません。





2017.6.19 Monday  
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