![ヨガナンダ](img/001.gif)
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2016年1月10日 ・・・ シンクロに思う
今年になってからシンクロニシティー(シンクロ、共時性現象)、
いわゆる『意味のある偶然の一致』が多発しています。
英語の勉強を家でして外に出ると、
覚えたばかりの単語を使った看板が目に入る、
そんなことが短期間に何度もありました。
やはり今の自分にとって英語をマスターすることは、
人生の課題として必要なことなのでしょう、
偶然の一致からそんなことを感じます。
先日可愛がっている十輝(とき)くん一緒にサイクリングに行き、
道端に落ちているドリンクホルダーを見つけた時は本当に驚きました。
「江田島サイクリング<2>」の文章をそのまま転記します。
今日は呉ポートピアパークを呉市内に向けて少し走ったところで
ものすごいシンクロがありました。 w(☆o☆)w
十輝くんの自転車は、ペットボトルを収めることのできる
ボトルホルダーの取り付けネジが二箇所に付いています。
彼はそこにホルダーを付けたいらしく、
今朝出会ったショッピングセンターゆめタウン、
ここに至る途中立ち寄った海田という町のホームセンター、
ふたつの店でボトルホルダーを探したのですが、
残念ながら専門的な部品なので見つけることができませんでした。
その他にも何ヶ所か道沿いにホームセンターがあったのですが、
たぶんそこにはないだろうと二人で話しながら自転車を走らせていました。
すると、な、なんと ・・・ 、
道端に探していたボトルホルダーが落ちているのです。 w(*゚o゚*)w
その時は自分が十輝くんより前、車道の端っこを走っていたのですが、
左手の歩道の上にボトルホルダーらしきものを発見し、思わず自転車を止め、
すぐ後ろを走っていた十輝くんも同じくそれが目に入り急停車です。
それを拾い上げて自転車にあてがってみるとサイズも色もピッタリです。
なんという偶然、必然、シンクロニシティー(共時性現象)でしょう!!
二人してビックリしながら大喜びです♪ ヽ(^o^)
![大喜びする清水十輝くん](img/160110_01.jpg)
ドリンクホルダーなんていう特殊な部品、
道に落ちているのを見つけたのはたふん生まれて初めてです。
そしてその初めての日が、それを探しているその日だとは ・・・ 。
十輝くんとはこれまで様々なシンクロを体験しています。
自分にとって深いシンクロでインドと縁が結ばれているように、
十輝くんとも前世からの何か因縁があるのだと感じます。
先日の十輝くんとのサイクリングはその日記の中でも書いたように、
島に渡ってから愛車の後輪ハブ軸が折れるというアクシデントに見舞われ、
最後の十キロほどを大汗かきながら自転車を押して港まで行きました。
けれど着いた港は自転車を載せられない高速艇しか出ていないと分かり、
隣の港まで自転車を積んでタクシー移動、
十輝くんは彼の自転車でその後を追走という、またまた大事になりました。
旅のアクシデントは思いでのひとつというものの、
なかなか超思い出深い心に刻まれる一日となりました。
起こってくることはすべて必然です。
ましてその日は探し求めていたボトルホルダーを見つけるという
ものすごいシンクロと出合ったのですから、
物事の必然性を普段の日より強く感じずにはおれません。
自転車が壊れたのはアクシデントですが、
モノである自転車はいつか必ず壊れるもの、
その日壊れたということに意味と喜びをも見つけるべきなのだと感じます。
自分は壊れた自転車を積んでタクシーで行き、
十輝くんが大急ぎで自転車で追い着いてきたのは切串という江田島の港です。
その時はすでに日もとっぷりと暮れて真っ暗です。
ギリギリのタイミングで広島港行きのフェリーに乗ることができ、
これで無事広島に帰り着ける、取りあえず二人して一安心です。
![チャリと清水十輝](img/160110_02.jpg)
広島の港 宇品港に着き、二人の自転車をその港に置き、
自転車を車で運ぶべく十輝くんの車のあるゆめタウンまで市電に乗りました。
この市電もまったく待つことなく、ベストタイミングでの移動です。
そして車で港に戻り、再びゆめタウンへと行き、
なんとかその日のうちに自転車を、
買ったところであるゆめタウンの自転車売り場に持ち込むことができました。
結局自転車は修理不能ということで買い換えになったのですが、
一日でも自転車がないと不自由する生活を送っていますので、
壊れたその日のうちに新しい自転車が手に入って何よりでした。
けれど正直言って、
普段からボランテイア中心の切り詰めた生活をしていますので、
二万数千円の自転車を買い換えるというのは少しショックです。
ゆめタウンにはショッピングポイントの制度があって、
そのポイントがたまるのが楽しみで、
ポイントが5倍になる日などを選んで買い物をするようにしています。
今回壊れた自転車はたぶん二年ほど前に買ったと記憶しています。
その時もなぜか十輝くんと一緒だったのですが、
その日はまったく期せずして自転車用品10倍ポイントの日で、
支払いを済ますと、レジから何枚も500円の買い物券が出てきて
喜んだのを記憶しています。
今回買った日は普通の日で、ポイントは買い物金額の1%です。
けれど、な、なんと ・・・ 、翌日その自転車売り場に行くと、
『自転車用品ポイント20倍』のポスターが貼られているのです。
しかもそのまた翌日も ・・・ 。
本当にみみっちい話で恐縮ですが、
ポイント1%と20倍では四千数百円分の差があります。
閉店間際に買い物したその翌日からポイント20倍なんて・・・、
今さら後悔してもはじまりませんが、
これもまたまたショックでした。
けれどこれも必然のはずです。
ではどういう必然なのか、どんな意味があるのか、
またどんな意味付けをするのが自分にとってプラスなのか、
そのことを今回じっくりと考えさせてもらいました。
『カネは天下の回りもの』とよく言いますね。
お金はなるべくケチケチして使わないというのが善ではなく、
その役割を認識し、いいことにドントン使って回していく、
これが理に適ったことだと考え、それを実践するようにしています。
お金を支払う時にはお金に感謝して喜んで出し、
コンビニのレジなどで募金箱を見かけたら、
少額でも必ずお金を入れるようにしています。
そんな中、今回のことで、自分の中でお金に対して区別、
あるいは差別して考える思考があるということに気がつきました。
ボランティア、自己啓発、募金、そういったことに使うお金はいいものであり、
そこにはなるべくお金を惜しまない、
けれど日常の生活用品を買うのはなるべく切り詰めるべきであり、
同じものでもなるべく安い店、安い時、
その商品を作った人、売っている人に対して支払う金額は最低限でいい、
こんな意識です。
これはどう考えても矛盾しています。
表ではいい顔しても、裏では舌を出して笑っていてもいい、
そんな感じです。
社会的に奉仕する活動とは、
被災地でボランテイアする人に限りません。
生活していく上で必要な食料品、衣類、電化製品、
それらすべてのものが日常の暮らしを送るために必要であり、
それらに対しては平等に感謝し、
その感謝の印として相応の対価を支払うのは当然のことです。
自分にとって自転車は日常の足であり、
生活する上で超必需品です。
そのことに対してはいつも感謝しているつもりでしたが、
それが今回のことで、都合のいい形だけのものであったということがよく分かりました。
インドの子どもたちを見ていてよく分かります。
人間はモノやお金がなくても心豊かに暮らすことができます。
けれど “お金のゆとり” ではなく、
“お金に対する心のゆとり” がなくなった人は不幸です。
カネは天下の回りものであるのと同じく、
ものも心にゆとりがある限り、必要なものはきちんと手元に巡ってくるものと信じます。
昨日は第二土曜日、公衆トイレ掃除の日でした。
昨日は広島の平和記念公園をいつもの常連四名で掃除しました。
寒い時期のトイレ掃除は正直言って辛いです。
素手で便器を磨いていると、水の冷たさで指の感覚がなくなってきます。
![](img/160110_03.jpg)
平和公園のトイレは幸いにして普段の手入れが行き届いているので、
便器を磨くのは短時間で終わり、
その後は少しずつ暖かくなってきたのでジャンパーを脱ぎ、
建物の上に昇って落ち葉の清掃をしました。
それでも便器を磨いている最後の方は辛かったですね。
こんな時にホッカイロがあればと真剣に願いました。
そうすると、その掃除が終わった後の帰り道に通った市内中心街で、
さかなクンの帽子を被った女の子からもらったふぐ料理の案内に、
さっきあんなに欲しいと願っていたホッカイロが付いているのです。
これがホントの “ツイてる” です。
![ホッカイロ](img/160110_04.jpg)
シンクロはいくらでも続きます。
これを書いているほんの二三時間前のこと、
コンビニに立ち寄って、何気なく並んでる本を手に取りました。
コンビニで雑誌を読むのは一年ぶりぐらいだと思います。
何冊かある雑誌の中で、広島を案内している本が気になりました。
それを持ってページをパラパラとめくると、
パッと十輝くんのことが書かれているページが目に入ったのです。
『流し川大作戦』、広島の流川という飲み屋街を、
十輝くんはギータ一本持って流しのようなことをしています。
そのことが書かれた特集ページでした。
けれどあんまりシンクロばかり続くので、
もうそんなことでは驚かない自分自身に驚きます。
世の中のこと、身の周りで起こること、
それらはすべて何らかの意味、必然性を持ったシンクロです。
けれど普段はそのシンクロの因果関係が見えないがゆえ、
それを見過ごしてしまうのだと思います。
そして意味はあらかじめ決められているものではなく、
自分自身が意味づけをし、
それをどう活かすかも、すべて自分自身が決定権を持っています。
そう言えば、一昨日参加した積極人間の集いの演題はこんな言葉でした。
『人間万事塞翁が馬』、
人間はついつい今現在の結果や状態ばかりを見てしまうが、
長い人生、それが将来どんないい結果、悪い結果をもたらすか分からないということ、
こんな演題の話を聞いたのも、
やはり意味が明確に見えるシンクロだったのだと感じます。
昨年工藤房美さんの本を読んで大きな影響を受け、
それ以来自分の中での最大のテーマは “感謝” です。
今回自分にとって “都合がいいと思えるシンクロ” と
“都合が悪いと思えるシンクロ” 、様々なシンクロを体験することにより、
心の持ち方、感謝ということの意味をより深く感じ取らせてもらうことができました。
感謝とはどういうことか、
真に感謝をしているならどういう行動をとるべきか、
どんな思いを持つべきか、
それを今後さらに深めて行きたいと考えています。
意味ある偶然、シンクロに導かれながら ・・・ 。
2016.1.10 Sunday
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