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2013年12月23日 ・・・ 発酵の時

このところずっとホームページが更新できませんでした。
気になってはいたのですが、
ここ最近、思いを文字にするための時間を取ることができません。
また思いもなかなか湧き上がってきませんでした。

体の調子が悪いとか落ち込んでいるということはありません。
それとは逆に、日々の時間の流れが一層加速化され、
一瞬一瞬がより研ぎ澄まされてきているのを感じます。

変化とは一様に進んでいくものでなく、
長い間の沈滞と急激な変容を階段状に繰り返しながら進みます。
自然の中で重ねていく年月も、四季の移ろいを繰り返す中、
南北半球が二重らせんの生命構造を描きながら推移します。
今はその移ろいの最中です。


今年は6月から7月にかけて一ヶ月間南インドに行き、
心の中に確固たるひとつのものを築き上げることができました。
自分が目指すもの、最も尊いと感じているものは何なのか、
それをハッキリと知ることができ、
それに視線を定めることができました。

幸せの青い鳥は身近なところにありました。
『最高のもの』、未読の方はご一読ください。

インドで心の中の宝石のありかをつかみ、
あれから五ヶ月の時が経ちました。

最近あのインドでの思いを振り返る機会が何度かあったのですが、
日本に帰ってきてから今までの期間、
少しずつインドで感じ取った思いが熟成し、
胸の奥に浸透していっているのを感じます。

何か強烈な体験をした時、
“頭をハンマーで殴られたような衝撃” などとよく表現します。
これはその体験は、まずは頭部にある感覚器官から体に入るということを
意味します。

頭から入った衝撃、知識や情報は、
その後しばらくの時を要しながら、徐々に体の奥底に浸透し、
その人の生き様や考え方を変えていきます。

食品では、今は発酵食品の大切さが見直されてきていますが、
それと同様に、知識や体験も、
それを本当に役立つものとするためには、
一定の熟成期間が必要なのです。


人間に於ける体験や知識の発酵とは、
それらのものを体の奥底に沈める作業であり、
その間は、その過程でどのようなことが起こっているか、
それを的確に表に表すことはできません。

完全に発酵しきるか、あるいは発酵を始める前、
素のままの体験や知識が頭にある時の方が、
形として表に表現しやすいのです。


今の自分はその発酵の期間です。
インドで感じたことだけではなく、
それに伴って周りで起こった様々な変化が胸の中で時の移ろいとともに変容し、
たぶん近いうちに迎えるであろう、
表に現れる瞬間を待っているように感じます。

それがいつになるかは分かりません。
また早く来ることを願うこともありません。

このたびインドで見つけたのは心の中に密やかに存在する幸せの種であり、
五年前に初めてホームを訪ねていた時から感じた “ただ足るを知る” という
豊かさの源泉を己に求めるというきわめてシンプルな真理を、
より深く感じ取らせてもらったのです。

ですから今この瞬間が満ち足りたものであるのですから、
未来に視線を移し、 “もっともっと” の世界に意識を向けることもないのです。


時に、真理を表す言葉は対極の矛盾した意味合いとなることがあります。

西洋では、『求めよされば与えられん』というキリスト教思想がベースですが、
東洋はその対極である『執着を手放した時に思いが自由になる』という
無為自然な生き方を尊びます。

このどちらが正しくてどちらが間違っているということはありません。
人それぞれの発達段階によって、
そのどちらの知恵も活かしていくところに価値があります。

正解は自分の外には存在しません。
自分がそれとどのように関わるのか、
その関わり、その関わっている自分の内にのみ存在します。


インドで自分にとっての “最高のもの” を見つけてから、
心の中にあった迷いや雑念の多くを払拭することができました。
これは心の断捨離です。

心の断捨離をすることによって、
今の幸せを感じ、今という瞬間により意識が向けられるようになりました。

振り返ってみてここ数ヶ月、
未来のことを想像し、自分が理想の姿になっていることをイメージすることが
ほとんどなくなりました。

理想をイメージすることは潜在能力活用、成功哲学の基本ですが、
これは “ただ足るを知る” と対極にある、
現状否定、我欲への執着とも結びつかねない両刃の剣の思想です。

もちろんこれが悪いと言っているわけではありません。
この時空は相対の世界であり、
絶対善などといったものは存在せず、
どんなものにでも危険性を含んでいるのは当然のことです。

ですから逆に返して言うならば、
より絶対善に近いと思われるものほど人を盲目にし、
危険性が高くなってしまうので注意が必要です。


特に意識して未来をイメージしないわけではありませんが、
心の中で、今この瞬間にこそ幸せの要素のすべてが含まれていると
体で感じるようになったので、自然と今にしか意識が向かなくなったのです。

そしてそうすることによって、
今はこれまで感じたことのないような未来へのワクワク感が高まっています。

これは的確な言葉で表現することができません。
また頭の中で形として思い描くこともできないのですが、
今という瞬間こそが最も太いパイプで未来と繋がっている、
そんな感覚を持っています。


心の中の思いを手放すことは容易ではありません。
無の状態で生まれた赤ん坊が、
自我を通して様々な知識や執着を手にし、分別を知り、
社会性を身に付けていくのですから、
手放すとはそれと逆行する行為です。

ここに書かれていることによって、
読まれた方の人生観が強烈に変わることはないでしょう。
考え方や生き方の根幹は、自らの体験によってしか変えることができません。

けれどこういった考え方があるということを知っていれば、
将来身近に起こった体験を自らのものとする過程で、
少しは役に立つかもしれません。

モノへの執着を断ち切る断捨離がブームですが、
断捨離とはモノだけではなく、
最終的にはモノを通して心の断捨離へと進んでいくことが大切ある、
そのことをより深く感じていただければ幸いです。


時間には、現在、過去、未来、この三つの種類が存在するのではありません。
今この瞬間、この時がすべてです。
この瞬間が継続し、永遠に続いている、これが時の持つ実相です。

己を見つめる内観法の研修を受けていた知人が、
研修中の食事に出されたメロンを見つめ、
「このメロンは人に食べられるために生まれてきたのだろうか?」
と疑問を持ったところ、そのメロンから、
「これはひとつの過程なんだよ」
という言葉が返ってきたそうです。

過程とは、今のこの瞬間のこと、
メロンは丸い大きな形で熟しているものが唯一の完成形ではありません。
一粒の種であっても、カットされた状態であっても、
また人間の胃袋の中にあったとしても、
すべてメロンはメロンであり、それぞれの状態、過程で、
その生命を輝かせています。



2013.12.23 Monday  
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