ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2013.4.8



ヨガナンダ



2013年4月8日 ・・・ モノとお金

昨日の広島は、陽がさしたり曇ったり、
小雨が降ったり止んだりのおかしな天気でした。
全国的に荒れ模様だったので、
広島はまだましな方だったのかもしれません。

桜の花はピークを過ぎていましたが、
散りゆく花を惜しむように、
車椅子介助のほのぼの広島会のお花見会に参加してきました。



公園の端っこに大きなシートを敷き、
その上にもまたブルーシートを二枚合わせたものを屋根として張り、
万全の装備でみんなで楽しい時を過ごしました。



最後に撮った集合写真には、飛び入りでちびっ子たちも参加してくれました。 (^o^)v
    (男前さんは例によってカメラマンなので写っていません (^^ゞ )

  ・公園でお花見をする。
  ・公園には子どもたちも遊んでいる。
  ・食べ物を目当てに鳩が飛んでくる。
  ・その鳩を見に子どもたちがやって来る。
  ・子どもたちに鳩の餌として豆菓子を渡し仲良くなる。
  ・童謡歌集でみんな一緒に歌を歌い、ますます仲良しに。 ^^☆

こんな感じてコミュニケーションを取ったのです。
思わぬ触れ合い、いいですね♪


ホームページをご覧いただいている方から、
メールをいただくことがよくあります。

今朝も小野春子さんの資料が欲しいとのことでメールをいただいたのですが、
その方にメールをお返しすることができません。

その方のお名前はメール本文に記載されていませんので分かりません。
  (メールをくださる方は、きちんとお名前を表記していただきたいです)
そして表示されるドコモ携帯のアドレスが、
本来あり得ない文字列になっているように思われます。



@より前のメールアドレスのローカル部分が、
最初が " で始まり、最後が ." となっています。
これはメールアドレスとして使用可能なのでしょうか?
調べてみてもよく分かりません。

このアドレス宛にパソコン、ケイタイ、両方から返信しましたが、
どちらも送信不能として返ってきてしまいます。

もしこのページをご覧になっていたら、
再度ご連絡お願いいたします。


先日ご紹介した「奇跡の脳」のジル・ボルト・テイラーは、
今この瞬間を意識し、喜びを感じることが幸福への道であり、
世界を平和に導く大切なことだと説いています。
これは悟りを開いた多くの賢者が語ることと同じです。

また、今この瞬間を見つめた時、
意識は自ずと己の内へと入っていきます。

自分というものを原点とし、
時間的にも空間的にもピンポイントで意識を置く、
それは最も深い真理への入り口だと感じます。

ジル・ボルト・テイラーは科学者でありながら、
脳という人間の最も大切な器官のひとつに障害を負うことにより、
東洋的、生命的に最も深い真理に触れることができました。

“科学者でありながら” と書きましたが、
これは科学が悪いという意味からではなく、
科学は物事を分けて考える分析的思考方法であり、
これは全体を俯瞰して物事を捉える東洋的思考とは対極のものだからです。

ひとつの極にいながらその対極の神髄に迫るというのは、
やはりとてつもなくすごいことであり、
これから価値観が逆転する今という時代だからこそ、
彼女の発するメッセージは、今後さらに大いなる輝きを得ることでしょう。


科学者であり、事実を客観的に捉えながら、
我が身に起こり、その間に感じたことを淡々と語る彼女こそ、
真のスピリチュアルメッセンジャーだと感じます。

陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる。
極限の体験をした人が得るものは、
そのジャンルに関わらず、
同様の真理に到達するのではないでしょうか。


今ここ、ただ己の内、
ここに意識の焦点があるならば、
感じることは、今生きていることへの感謝と喜びになるはずです。

そして深い次元にまで意識が到達したならば、
意識の向かう先は自ずと決まってくるはずです。

この時空に不要なものは存在しません。
すべてのものに善悪はありません。
これは究極の考え方です。

けれどスピリチュアルと称するものが、
モノやお金への執着を満たすことを第一目的とするのはいかがなものでしょう。

モノやお金は人間が生きていく上で必要欠くべからざるものであり、
これは悪でもなければ否定することもできません。
けれどそれが第一目的になってしまうのは、
現状への不満が根底にあるのではないでしょうか。

もしそうだとしたならば、
それはスピリチュアリズムとは対極であり、
偽スピリチュアリズムであり、
単なるマインドコントロール手法に過ぎません。


十年ぐらい前、ある方とこんな話をしました。

その方は平屋の一軒家に住んでいて、
できれば増築し、二階建てにしたいとのことで、
これは欲な事なのかどうかと聞いてこられました。

その方は精神的なお勉強をたくさんしておられますので、
目に見える形と同時に、少しでも心の中も理想に近づけたいのでしょう。

二階建てにするというのは形の問題で、
そのことだけで心の中を判断することはできません。
大切なのはそう思うに至った心のあり方であり、
それによって同じ目に見える形のものも、
意味合いが大きく異なってくるのです。

もし増築したいという動機が、
近所の家との比較や現状の不満から発せられたものならば、
それは欲だと言えるでしょう。
けれど欲だから悪いというわけではないですよ。

その方はとてもおしゃべり好きな方だったのですが、
今この時に無限の喜びを感じ、
その喜びを多くの人に語り伝えたいという思いが芽生え、
そのためにも多くの人に来ていただけるように家をより広くと考えたのであれば、
その心のあり方は、
まったく違ったものであると言えるでしょう。


現状に感謝することができず、喜びを持てず、
もっとお金を、もっとモノを ・・・ と願い、
その願いを成就させる手段として目に見えない心の手法を用い、
「今この時に感謝しま〜す♪」と、
心の本音とは異なる思いを繰り返しインプットしても、
そこには大きな矛盾があるのです。

スピリチュアリズムとは、今持っている欲望を成就させる手段ではありません。
今この時にある喜び、幸せに気づき、
その上で喜びにあふれた瞬間、瞬間を積み重ね、
未来を築き上げていくことです。

これを完全な形で為すことは聖人君子でなければ不可能です。
煩悩多い一般人は、その煩悩を否定することなく、
いつかは今自分が持っている大いなる幸せに気づくことを志として持ち、
できる範囲で一歩ずつ進んでいけばいいのです。

大切なのは、現在の心の状態とともに、
その心をどの方向に持っていきたいかという志、心の方向性です。

さきに大きな矛盾があると書きましたが、
矛盾があり、理想のものとは異なっていても、
それを自覚し、ステップを踏むように今の自分に感謝できるよう
志を持っていけばいいのです。


欲は誰にでもあるものです。
それはまるで生きる原動力のようなものです。

自分にとってはバイブル以上の存在である
パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」に、
このようなことが書かれています。

あるヨギの自叙伝あるヨギの自叙伝
パラマハンサ・ヨガナンダ

森北出版 1983-09-01
売り上げランキング : 25401

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ヨガナンダの師匠の師匠であるラヒリ・マハサヤという聖者がおられます。
ある日マハサヤがヒマラヤの山中を歩いていると、
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえます。

その声の主は、過去世からのマハサヤの師であり、
人間を解脱し、肉体を持ったまま永遠の生命を持つババジでした。

師との輪廻を超えた邂逅の時を持った後、
案内の男に導かれて森の中を歩くと、
目の前に黄金に輝く宮殿が現れました。
これはマハサヤが前世に抱いていた夢であり、
その夢を成就させるためにババジが意志の力で創り上げたのです。

「ラヒリ(マハサヤ)、お前の夢であった黄金の宮殿を十分に満喫したかね?」
「目を覚ましなさい、お前の地上の欲望は、これで永遠に断たれるであろう」



これはとても大好きなエピソードです。
胸に抱く欲望は、マハサヤのような聖者でも、
それを一度成就させなけけば昇華させることはできません。
凡人だったらなおさらでしょう。

モノやお金を通して欲望を満たすことは生きていく上で必要なことです。
それを経ることによって、
少しずつ心の成長を遂げることは可能です。

可能ではありますが、
モノやお金によって、より一層物欲が高まることにもなりかねません。
その点が最も注意しなければならないことです。


今この瞬間に無限の喜びを感じる、
これがスピリチュアルの原点です。

このことを胸に刻み、
モノやお金と上手に関わっていってください。

煩悩まみれの凡人で結構、
志、心の方向性だけはしっかりと持ち、
凡人である自分を深く愛してあげてください♪

2013.4.8 Monday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.