心に残る映画
以前どこかのページでも書いたかもしれませんが、
芸術、特に映画における上質な感動とは、
直接的なものではなく、間接的な感情表現の中にこそあるのだと感じています。

嬉しい、悲しい、腹立たしいといった直接的な感情ではなく、
切(せつ)ない、儚(はかな)い、ほほえましいといった、一歩引いた感情の中にこそ
より深く心に響くものが潜んでいるように思えます。

もちろん個人の趣味趣向といったものが関係しますので、
一般論化することはできないでしょうが、
私の心に深く響き、繰り返し観た映画というのは、
主題となるテーマを側面から捉え、それでいて主題を真っ正面から描くよりも
深く主題について考えさせられるといったものがほとんどです。


ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演し、
戦争で引き裂かれた夫婦の姿を描いた ひまわり は名作として名高いものです。

B0009J8K9Kひまわり《デジタルリマスター版》
ヴィットリオ・デ・シーカ ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
東北新社 2005-06-24

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戦争に行った夫を待ち続ける妻、
その夫を探し、大輪のひまわりの咲き誇る広大なロシアの地に足を踏み入れ、
そこでやっとの思いで夫との再会を果たすものの・・・。

こうやってストーリーを思い出しながらキーボードをたたいているだけで、
胸が熱くなるのを感じます。

妻の不器用なまでのひたむきな夫への思い、ロシアの広大な大地、
明るく華やかなひまわりの花、そして美しくも切ない音楽、
それらに対比するものはただひとつ、戦争が作り出した悲しい運命です。
   映画音楽 ひまわりひまわり ( ← 他サイトへの直リンクです。ごめんなさい)

映画の中に悲惨な戦闘場面は出てきません。
けれどもひまわりは、派手な戦争映画以上に
戦争の持つ愚かさ、悲しさ、無意味さを観るものに訴えかけてきます。


ひまわり ほど有名な作品ではありませんが、
誓い休暇 も戦場をほとんど描くことなく、
人のささいな幸せ、日常の喜びというを奪い去ってしまう戦争の虚しさを
見事に表現しています。

誓いの休暇 デジタル・リマスター版
誓いの休暇 デジタル・リマスター版ウラジミール・イワショフ ジャンナ・プロホレンコ アントニーナ・マクシモワ

アイ・ヴィ・シー 2001-04-25
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この映画と出会ったのは今から20年ほど前です。
NHKで深夜に放送されていたのを映画好きの知り合いに勧められビデオ録画し、
それこそ数十回、繰り返し繰り返し観てきました。

心優しき青年アリョーシャ、彼が偶然戦場で手柄を立て、
ご褒美として一週間の休暇をもらい、年老いた母の待つ家へと向います。

家へ向かう途中、戦友の妻に会ったり、偶然出会った男の頼まれごとを引き受けたり、
せっかく手に入れた貴重な休暇をまったく惜しむことなく
周りの人たちのために使うアリョーシャ。
移動の貨車の中で若く美しい少女と出会い、最初は怪しまれながらも
少しずつ恋が芽生え、そして名前も告げることなく別れていく。
途中起る様々の出来事、アクシデントを経て母の元へ帰ることができたけれども、
二人のために与えられた時間はもうほんのわずかしか残されていなかった・・・。

映画の中で起る出来事は、戦時中という非常時なら起りうるごく当たり前のことばかり、
大どんでん返しや意外な展開といったものは何ひとつありません。

けれどもそのささいな人と人との心や言葉のやり取り、葛藤が、
どれもとても切なく、そして儚く心に響きます。

幸せというものが、日常のほんのささいなものの中にあるのだとしたら、
本当の悲しみとは、そのささいなものを崩れさすことなのかもしれません。

アリョーシャが心を通わすようになった少女が水道の蛇口に顔を寄せ、
美味しそうに水を飲み、
それをアリョーシャが爽やかな笑顔で見つめる、といった場面があります。

その時のアリョーシャの笑顔の美しいこと・・・。

誓いの休暇は当時使っていたβ-maxのテープに録画していたため、
16年ほど前に私も手元からデッキとともになくなってしまい、
それ以来一度も観ていません。

けれども誓いの休暇から受けたあの感動、アリョーシャの美しい笑顔は、
今も私の胸にしっかりと刻み込まれていて、
誓いの休暇は、私のマイ・ベスト・ワン映画です。


ひまわりで、妻がひたむきであればあるほど、ひまわりの花が、音楽が、
美しければ美しいほど、
また誓いの休暇で、アリョーシャが心優しく、笑顔が美しければ美しいほど、
その対比として、戦争の悲惨さ、虚しさがクッキリと浮かび上がってきます。

ストリーはどちらの映画もきわめて単純です。
けれどもストーリーが分かっていても、何度も繰り返し観て、
その都度深い感動を味わうことができます。

少し時を経てから観ると、その時と前回との感じ方の違いで、
自分自身の心の変化を感じ取ることができるほどです。

私にとって心に残る本当にいい映画とは、
こういった映画だと考えています。


泣かせるための“感動仕立て”のストーリー、
派手なアクション場面、
状況、心の動きをすべて俳優の台詞で語らせるシナリオ、・・・
そういった表面的、感覚的な表現の世界は、
その時は大きな喜怒哀楽を感じ楽しいかもしれませんが、
後々まで心に残るものは多くありません。

日本で作られる映画、ドラマでも、
最近はこういったものが増えてきたような気がします。

本来日本には 世阿弥(ぜあみ)の唱えた
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
あるいは“語らずして語る”といった文化があったはずですが、
一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

能面

能面は無表情ですが、その変わらぬ表情の中から
話、台詞の流れ、所作などから秘めた感情を“察し”、感じ取ります。
だからこそ文化なのです。

ミロのビーナス

ミロのビーナスは両腕をなくしてしまったが故、
想像上で無限の腕を持ち、
それがために高い芸術性を評価されています。


これは映画に限りませんが、
自分にとって深い感動を味わえ、高い文化や芸術性を感じ取れるものを持つということは、
それだけで生涯光り輝き続ける宝物を持っているようなものですね。

あなたにとって大切な宝物とは何でしょうか。
どうかそれを大切にしてください。

2007.08.07 Tuesday


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