母への思い
今日3月19日は母の十五回目の命日です。

友人と三人でフォレストガンプという映画を観て、
その後街中の公衆電話から自宅に電話をし、
兄からかのメッセージで母が亡くなったことを知ったあの日。

震災の影響で飛行機しか移動手段がなく、
日曜日でどこも開いていない旅行代理店を訪ね回り、
その前日、たまたま映画のチケットを買うために立ち寄った
ビルの中の代理店で、
たった一枚だけ残っていた翌朝一番の飛行機のチケットを買ったあの日。

もうあの日から十五年がたちました。

明日になればマスコミ各社が地下鉄サリン事件から十五年たったことを報道するでしょう。
サリン事件のニュースを耳にすると、
親戚や近所の人たちが慌ただしく母の通夜の準備をしてくれていた
あの通夜の日の朝の光景を思い出します。


女兄弟のいない私にとって、
頭の中にある女性像の大部分は母によって形作られました。

教養豊かで理性的とはいえない母でしたが、
料理、掃除、裁縫、一通りの家事仕事は完璧にこなし、
友人を家に招いた時には、
いつも手作りのお菓子や飲み物を振る舞ってくれました。

いつも毛糸の編み物、刺繍、アートフラワーなどの内職をしていて、
母がのんびりとテレビを眺めている姿をほとんど見たことがありません。

愛情深かったけれども過干渉気味だった母、
情は厚かったけれども論理的ではなかった母、
亡くなった今となっては、母のいい面、悪い面、
ひとつひとつが胸を熱くするいい思い出です。

札幌藻岩山市民スキー場にて

子どもの頃の私は、
学校の勉強はまったくしない、親のいうことは素直に聞かない、
本当に可愛げのない困った子どもでした。
大の子ども好きを自称する私ではありますが、
もし子ども時代の自分が目の前に現れたら、
とても可愛がる気持ちにはなれないだろうと思います。

そんな愚息である私を、母は全身の愛で受け止めてくれました。
母の愛は無条件のものであり絶対です。
こうして文字を打っていると自然と涙がこぼれてきます。

母は私にとってとても大きな存在でした。
そのことを私は、母か亡くなってから初めて気がつきました。
それまでは気づくことができなかったのです。

母にとって私は、心の中の大きな部分を占め、
全身の愛情を注ぐべきとても大切な存在だったのだと思います。

この金子みすゞの詩を読むと、
いつも母のことを思い出します。

  〜 こころ 〜

おかあさまは
おとなで おおきいけれど、
おかあさまの
おこころは ちいさい。

だって、おかあさまは いいました。
ちいさい わたしで いっぱいだって。

わたしは こどもで
ちいさいけれど
ちいさい わたしの
こころは おおきい。

だって、おおきい おかあさまで、
まだ いっぱいに ならないで、
いろんな ことを おもうから。


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母の心の大きな部分を占めていた私にとって、
母を喜ばすのはたやすいことでした。
けれどもそれをすることができませんでした。

社会人になって一人暮らしをするようになり、
赴任地に帰る私に、母はたいてい大阪までについてきてくれました。

ほんのささいな言葉のやり取りで母に対して感情的になり、
別れの挨拶も言わず一人そのまま立ち去ってしまったことがあります。
その時母はどんなに寂しい思いをしたでしょうか・・・、
そのことを思うと胸が張り裂けそうに痛みます。

最も血の濃い親子だからこそ感情的になるということもあるのでしょうが、
このような母に対して心ない態度を取って傷つけてしまった記憶がいくつもあります。
ここでは書けないプライベートなことで、
母に対して深い悲しみを与えてしまったこともあります。

それらのことがすべて心の中で、
深い傷となって残っています。

けれども愛情深い母は、命の最後の灯を消すその瞬間まで私のことを思い続け、
母が光り輝く魂の存在になったこと、
肉体は滅しても、今も永遠の命を持って私を見守ってくれていること、
そんな真実を、母は命をもって私に伝えてくれました。

そのことは「母の愛」に詳しく書いています。
まだお読みでない方は是非ともお読みください。
私が最も大切にしている文章です。


その母の愛で私はどれだけ救われたか分かりません。
それでも今の私の心の中は罪の意識で傷だらけです。
もしあの母の愛を感じることができなかったなら、
たぶん一生消えない重い十字架をトラウマとして背負い、
生き続けなければならなかったことでしょう。

私は元々奉仕の精神が旺盛なボランティア人間なのですが、
今関わっているボランティア活動の最も大きな原動力は、
間違いなく母に対する罪の意識であり、
懺悔の思いを込めた贖罪です。

私が発した言葉、行いによってどなたかが喜んでくだされば、
その時にはきっと天にいる母も喜んでくれている、そう感じることができます。
それが私にとっての喜びであり、最高の救いなのです。


こうして母のことを思い出し、涙し、心の中がまた少し整理できました。
これが母に対するささやかな供養になるのだと思います。

愛は最も身近なところにあります。

2010.3.19 Friday


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