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ホームで感じたこと


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やはり睡眠は最高の回復薬です。
昨日はインド出国前からずっと続いていた睡眠不足を解消すべく、
心置きなくしっかりと眠らせてもらいました。
お陰で体の芯から残っている倦怠感と腰の痛み、
その両方が八割方回復いたしました。


インドには体調が悪くなった時のためにと炒り発芽玄米を持って行ったのですが、
なかなか現地でそれを食べる機会がなく、
その持ち帰った分をここ数日ことあるごとにポリポリと食べています。

炒り発芽玄米の効果は絶大で、
その絶大なる効果のひとつがお酒にすごく強くなることなのですが、
一ヶ月間のインド滞在中はほとんどお酒を口にしなかったこともあり、
帰国後はその反動もあって連日お酒をたしなんでいます。

焼酎をロックでガバガバ飲んでそのまま寝ても、
翌日ほとんどアルコールが残らないのは炒り発芽玄米の効果です。
そんなこともあって、お酒の飲み過ぎで疲れが取れなかったというのもあるかもしれません。
プラスマイナスゼロということです。

それとインドからの帰国後はカルチャーショックで気分が高揚していますので、
それを静めるためにもお酒は役立ちます。

そんなお酒ですが、
インドではお酒は貴重な税収源である反面、
お酒を飲む人間はろくでもない奴ということになっていて、
お酒を売るのは特定の店で、
大通りから離れた町の端っこで営業することになっています。

インドは映画文化が盛んですが、
その映画の中でお酒やタバコが映るシーンには、
画面の隅に『お酒やタバコは貴方の健康を害する恐れがあります』
というようなテロップが入ります。
これは規則として決まっているので必ずです。

けれどお酒のクラスを持っているシーンにはそのテロップが入っても、
酔っ払ってふらついているシーンにはテロップが入らないので、
杓子定規な規則の運用だなと感じます。


話を炒り発芽玄米に戻しますが、
インドで玄米をポリポリと食べていると、
必ず周りの子どもたちは珍しがってそれは何なのか知りたがり、
また食べてみたいと言い出します。

そこでみんなに「これはジャパンライスだ」と言って、
ほんの少しずつ分けてあげるのですが、
炒り発芽玄米はどの子どもにもとても好評でした。

健康にいいものを本能的に察知するのでしょうか、
あられのようなポリポリとした感触が心地いいのでしょうか、
あるいはほんのりと漂うごま油と醤油の香りが食欲をそそるのでしょうか、
あげたらいくらでもそのまま食べてしまうといった感じす。



今回で南インドタミルナド州のホームを訪ねるのは六回目ですが、
今回は特に目新しいことはほとんどありませんでした。
昨年知り合った日本語のできるスシルの家に二泊、
南インドとのご縁を作ってくださった日本山妙法寺のお寺に一泊、
その他は飛行場のある州都チェンナイ、インド最南端のカニャクマリ、
子どもたちの数が最も多いトリチー、
この三つのホームを順に回らせてもらいました。

子どもの数が少なく顔なじみの子どもが多いチェンナイでは、
たっぷりと家庭的雰囲気を味わわせてもらうことができ、
またまったく初めての経験だったのですか、
子どもたちと二度も遊園地で遊ぶことができ、
最高の思い出となりました。

インド最南端、最もトロピカルムード漂うカニャクマリでは、
オーナーであるスギルタンが、
自宅を車で二十分ほど離れた母親の実家に移していたこともあり、
飯田さんと二人、その間を何度もスクーターを借りて好きに走らせてもらい、
熱帯インドの生の空気を満喫することができました。

トリチーは内陸部だからなのか最も暑く、
過酷な暑さの中、229名の子どもたちに揉まれ、
体力の限界まで子どもたちと遊び、触れ合うことができました。


今回の旅は、自分の中でこれまでの集大成であったような気がします。
ホームで子どもたちから感じ取るべきものをまとめて受け取り、
これからは新たな段階へと進んでいくことを促されているように感じます。

これまではただホームを訪ね、子どもたちと触れ合うだけでしたが、
今後はできるならば運営の協力もしていきたいと考えています。

インド人三兄弟が運営するタミルナド州の三つのホームは、
セント・ボニフェス・アンバハムというドイツのキリスト教団体からの支援を受け
運営されています。

そのドイツはユーロ危機や難民問題を抱え、
経済的にかなり厳しい状態に陥っていて、
インドのホームへの支援は最近頭打ちとなり、
チェンナイのホームも最も多い時は350名もいた子どもたちが、
現在は80名、来年度は学校を卒業する子がいるので60名となるのですが、
新しい子どもたちを受け入れることができない状況です。

押しがけしなければエンジンがかからない
50年選手のスクールバスもついに壊れてしまったのですが、
そのことをドイツに報告しても返事がもらえないとのことでした。

子どもたちへの支援はフォスターペアレントという形で、
ある支援者が名目上ある特定の子どもを支援するという形で、
その子一人にかかる費用を負担することになっています。

その金額は現在支援を受けているヨーロッパ通貨ユーロから日本円に換算し、
一人の子どもにつき月間五千円、年間六万円ほどになり、
その金額で子どもたちの食事、制服、文房具、石けん、
その他スタッフの給与や設備を維持する費用をまかないます。

年間六万円というのは日本人にとっても少ない金額ではありませんが、
これでインドの子どもが一人学校に通うことができ、
またインドは児童労働が大きな社会問題になっていますが、
その労働の場から解放されるというのは大きな意義のあることです。

ホームのあるタミルナド州の北西に隣接し、
一昨年三ヶ月半赴任していた学校のあるカルナータカ州の
児童労働の実態を描いたビデオをご覧ください。
  <悲しみの種(インド)/プラン・ジャパン>


インド人は明るくおおらか、
そして日本人から見ると大ざっぱという印象があるものの、
個々の人々はみな性格が異なります。

ホームの元気で可愛い子どもたちもみな印象が異なり、
同じ言葉をかけてもそれぞれ反応が違うので、
その子に応じて接し方を変えるようにしていました。

そんな中で最も深く心に残っているのがミスティカという
トリチーにいるプライマリー三年生の女の子です。
下の写真、右の女の子がミスティカです。



彼女は昨年もトリチーのホームで出会い、
まだ幼いにも関わらず深い慈愛を感じさせる微笑みを讃え、
過度に愛情を求めることのない落ち着いた態度にとても心打たれました。

それから一年経った今年の彼女も昨年同様
心の深い部分での落ち着きを感じさせるものの、
なぜか昨年よりもより親しみやすく、
逆に少し幼くなったような印象を受けました。

成長期の子どもたちにとっての一年間は大きく、
一年ぶりに会う子どもたちは大きく背が伸びている子がいれば、
急に大人びて寡黙になる子もいたりして、
その変化に驚かされるのですが、
ミスティカのように本来成長がより大きく見えるはずの幼い子が、
一年経ってもまだ幼いままということもあり、
子どもの成長の度合いというのは様々なのだということを感じさせます。

もちろん幼いままだから悪いということはありません。
子どもたちの内面的成長は外から容易に推し量れるものではなく、
みなそれぞれ独自の成長の道を歩んでいるのだと思います。


これは学校からの帰り道の写真ですが、
最後尾で後ろ手でリュックを抱えているのがミスティカです。



彼女のリュックはボロボロになっていて、
ほとんどのジッパーが壊れてしまい、
手を後ろに回してリュックを抱えなければ中味が落ちてしまう状態になっています。

ホームの子どもたちのリュックや服はかなりボロボロになっているものが多く、
シャツのボタン三つすべてが取れ、
それらを安全ピンで代用している子もいます。

リュックのチャックが壊れているのはごく当たり前のことで、
インド製のチャックの粗雑さ、
そして日本のYKKファスナーの優秀さを強く感じさせます。

ミスティカはこんな常に手を後ろに回さなければならない状態でも
常に柔和な表情を崩さず、
なにか神々しさを感じさせるほどでした。

ミスティカのリュックはチャックの部分だけではなく、
肩掛けの付け根も切れる寸前だったのですが、
この写真を撮った翌日、その肩掛けもついにちぎれてしまい、
ついにビニールの手提げ袋にテキストを入れて持って行くようになりました。
たぶんその後新しいリュックをもらうことになるのだと思います。


みんなに大人気だったパペットのピンキーは、
みんなが取り合いで触りまくるのですぐに汚れてしまい、
ある時は子どもが学校に持って行き、
インドの多くの子どもたちが愛用する万年筆の青いインクが
べったりと付いてしまった時がありました。

その時はミスティカにピンキーを渡し、
彼女の手できれいに洗ってもらったのですが、
それはそれは丁寧な手つきで、それを見てまたまた感動をするのです。

この写真は学校から帰った後、学校の制服を洗濯しているところです。
右から二番目がミスティカです。



きれいに洗ったばかりのピンキー、
水やりしている子どもと一緒の写真を撮りました。



このピンキー、最初に訪ね、最後に再び戻ることになっていた
チェンナイのホームに持ち帰る予定だったのですが、
子どもたちに人気がありすぎて、
トリチーに置いてきてしまいました。


何度も書いたようにトリチーのホームは過酷な暑さで、
子どもたちが大勢いることもあり、
毎日が体力の限界への挑戦といった厳しく、かつ楽しすぎる状態でした。

暑さでフラフラになっている中で子どもたちにまとわりつかれ、
バルーンやバブルスをくれ、写真を撮れ、iPadを見せろ、ダンスを踊れ、・・・
こんなことを言われ続け、
もう理想の対応ができる限界をはるかに突破し、
自分の素の感情ともろに対峙するような状況になりました。

そんな自分の対応が本当にいいのかどうか、
それを見極めることができるのが、唯一子どもたちの反応です。
100%子どもたちの要望に応えることができず、
冷たくノーということも多かったのですが、
それでも子どもたちは喜んでくっついてきてくれたので、
それはそれでよかったのだと思います。
今回はこれまで以上にそのことを敏感に感じ取ろうと努力しました。

そしてミスティカのような賢明な子どもは、
特にその反応が気になります。

ミスティカは可愛いので、
普通の子にはしないおんぶを無理やりさせてもらったのですが、
背中にしょっている間じゅう彼女はキャーキャー騒いでいました。
こんなことをしてよかったのかなと少し思ったのですが、
背中から降ろした後も、すぐに両腕でしっかりとしがみついてきてくれて、
彼女も喜んでくれたのを感じ、とても嬉しく思いました。

まだ十歳にも満たない子どもですが、
彼女に喜んでもらったことは、
すごく立派な大先生に評価された以上の喜びであり、
何にも勝る有り難き自己評価です。

彼女の柔和で慈愛に満ちた微笑みは、
これからも自分の心の中で生き続けるでしょう。


ホーム、児童養護施設というものはたぶん世界どこの国にでもあるのだと思います。
そしてその国によって、そこに入ってくる子どもの事情は様々でしょう。

昨年はカンボジアの首都プノンペンのホームを訪ねましたが、
日本の団体が運営するそのホームは子どもたち27名中
両親のいない孤児は3名だけで、
子どもたちのホームに入ってくる理由のほとんどは経済的事情です。
それはインドのホームも同様です。

二ヶ月前には地元広島のホームを訪ねたのですが、
そこでは育児放棄や虐待といった理由で子どもたちが入所してくるケースが
多いと聞きました。
心の豊かさを失った経済大国日本らしい理由です。


インド三ヶ所のホームでは、
定期的に両親が子どもと会うためにホームを訪ねてくる日があります。
子どもたちの中には片親の子もいるのですが、
訪ねてくる親御さん、祖父母や兄弟を含めて、
その日に家族で食事をしている風景は、
実に穏やかであり微笑ましく感じさせるものです。



家族写真を撮ってくれと頼まれて撮ろうとすると、
関係のない子どもたちも勝手に入ってくるんですよね ・・・ 。



以前のページにもあげましたが、
これがミスティカの家族写真です。



ミスティカのお兄さんもホームに入っていて、
両親ともに穏やかそうな方でした。

ところで上の写真、右手前に写っているのは自分が日本から持ってきたリュックです。
食事前に食べるようにしているとろろ昆布が入っていますね。


親御さんとの面会日に、
すべての子どもの親御さんが来るわけではないのですが、
誰も面会に来ない子も、外から見る限りはそんなに寂しそうな雰囲気ではなく、
面会に来た子がもらったお菓子を分けてもらって一緒に食べたりしていました。

学校でもホームから来ている子が、
一般家庭の子どもたちに引け目を感じている風でもないし、
そういった分け隔てしないおおらかさがインドのいいところだと思います。

けれどその反面厳しい身分差別のカースト制があり、
奥深いインドの世界は、正直分からないことだらけです。



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