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豊かさの尺度


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インドを訪ねるといつも体験することですが、
帰国後は新たな日本での生活に対してやる気が満ちると同時に、
なんだかしっくりとこない感覚に惑わされ、
忙しいこととも相まって、
心と体が噛み合わず、空回りしてしまいます。

これも一種のカルチャーショックだと思いますが、
インドでは毎回確実に素晴らしいものを受け取ることができるので、
進化のための一過程だと、のんびりとした気持ちで対応しています。


インドに行くと毎回必ず下痢をします。
自分の部屋にいる時はミネラルウオーターを飲みますが、
それ以外の場では、食べるものも飲むものも、
インド人たちと同じものを摂るように心がけていて、
軟弱な日本人の胃腸はそれについていけません。

それでも少しずつインドの食や細菌、雑菌たちにも慣れてきて、
そんなにひどい下痢はしなくてすむようになりました。
また下痢になったとしても、一日節食すればほとんど治ってしまいます。

今回三ヶ月半ほどインドで生活し、
六、七回ぐらいはお腹が下るという経験をしました。
けれどお腹が下ってもトイレに行く回数が増えるだけで、
別段体がしんどくなるわけではありません。
お腹の中が掃除され、返ってより健康になるんじゃないかと思えるほどです。

一度だけ、町の屋台でフルーツシュースを二杯、
そしてソフトクリームを食べた時は、
ひどい下痢をしてしまいました。



三日間ぐらい下痢の症状が治まらず、
体には力が入らず、
いつものように子どもたちと走り回ることができなかったのですが、
それでも特に痛みが出たわけではなく、
これも “インド人体質” になるひとつの過程だと気楽に考えていました。


当然ながら、インドの衛生環境は日本ほどよくありません。
ハエはたくさん飛んでいて
食材もきれいに洗うことなく、
そこらへんに直置きし、
そのまま鍋の中にほりこんだりしています。



インドでは直接手で食べ物を食べますが、
そんなに念入りに手を洗うことはありません。

子どもたちは親愛の情を示すためでしょう、
地面に座ってお弁当を食べている横を通ると、
ちっちゃな右手にそのお弁当の一部を握りしめ、
「食べて〜♪」と持ってきてくれるのです。



いろんな子どもが毎回食べ物をくれるので、
そのすべてを食べることはできないのですが、
なるべくその好意を尊重し、
お腹に入れるようにはしていましたが、
日本人的感覚で言えば衛生状態は最悪です。

インドで水やジュースなど冷たい飲み物を飲む時は、
直接容器やカップに唇をつけることはありません。
口元の少し離れたところから、液体を落とし込むようにして飲むのです。

食事の時に飲む水は、
水をためた大きな瓶(かめ)のような容器に、
コップや小さな壺を差し入れ、それで水をくみ、
みんなで回し飲みをします。

コップで瓶の水をすくう時は、
少し手が水の中に入りますが、
そんなことはノープロブレム(問題なし)です。


日本はこれと比べると、
清潔を通り越し、潔癖とまで言えるほどですが、
こんな衛生状態でも疫病が蔓延するわけでもなく、
みんな多少の菌には耐えうる力を身に付け、
この方が自然かつ健康的であり、
自由度がある点でより豊かなのではないかと感じました。


インドで自分が滞在していた部屋はゲストのためのドミトリーで、
水道やトイレ、シャワーがあり、
電気冷蔵庫も備え付けられていて、
冷蔵庫の中には常時ミネラルウオーターと果物を冷やしていました。

けれど近隣の村の多くの家、
そして寮の子どもたちや先生方の昼食を作るためのキッチンには、
冷蔵庫がありません。

インド人の大好きなチリ(唐辛子)や塩、砂糖などの
調味料を保管しておくロッカーはありますが、
生鮮食料品を冷やして保管するためのものはないのです。

日々口にする食材は、
米、小麦粉といった穀物類、
チリのように乾物になっているもの以外は、
すべて最近採れた新鮮なものばかりです。

南インドの人は、
なぜかインド北部でしか採れないリンゴをよく食べるのですが、
たぶんリンゴ以外のほとんどすべての食材は、
近辺で採れたものばかりだと思われます。

村周辺の畑はすべて露地栽培で、
ビニールハウスは見たことがありません。
化学肥料も日本のように大量に使うことはありません。

身土不二、地産地消、
自分たちが住んでいるその土地で、その時期採れた旬の物を、
新鮮なうちに料理していただく、
これがこのたび滞在したインドの村での食生活です。


毎日食べるものは超シンプル、超ワンパターンです。
これまでインド最南端タミルナド州のホームを訪ね、
その食のバリエーションの少なさに大いに驚きを感じていましたが、
今回訪ねたビジャプールの村は、
それをさらに上回るシンプルさでした。

朝はローフードを心がけ、
冷蔵庫のリンゴやマンゴー、オレンジなどの果物を食べ、
昼は先生方とスタッフルームで、
夜は寮の子どもたちと食堂で同じものを食べました。

昼はは小麦の全粒粉で作ったチャパティとライス、
それに野菜を煮込んで作ったサンバルというスープカレーのようなものをかけ、
ジャガイモやオクラ等の野菜を煮込んだり炒めたもの、
ライスにはヨーグルトやチリ、
そして日によってものすごく辛い総菜を添えてもらいました。



子どもたちと食べる夕食はさらにシンプルで、
チャパテイとライス、それにサンバルだけという日も珍しくありませんでした。

しかもベジタリアンの村ですので、
普段学校で肉、魚、卵などを口にすることはありません。

それでも飽きずに日々淡々と出された食事を食べ続けられたのは、
インドの食事を食べることで、
自分の体が喜んでいると感じられたからです。

インドに行くといつも体調良好です。
無理をして体調を崩しても、
喉が痛いとか鼻水が出るといった風邪の初期症状を抱えながらも、
体はパリバリ元気に動いてしまいます。
これはインドの食べ物が持つパワーによって、
体の底から力が湧き上がってくるからだと感じています。


日本の食文化は豊かです。
和洋中、世界各国ありとあらゆる食べ物が簡単に手に入り、
季節とは関係なく好きなものを食べることができます。

24時間営業のコンビニにはたくさんの食料品が並び、
各家庭には食料品が詰った大型冷蔵庫が置かれています。

これは確かにひとつの “豊かさ” だと思います。
けれどこの豊かさとはまったく別の尺度の豊かさがインドにはあります。

自然とともに暮らし、家で飼っている家畜のミルクを飲み、
近所の畑で採れた旬の野菜を腐らぬうちに料理していただく、
日々ただそれだけ、
この自然に則り、体にも優しい食文化、
これも立派な素晴らしい価値を持った豊かさです。


インドの食べ物は本当にパワーがあります。
普段学校に駐在している時は肉を食べることができないので、
日曜日に街に出た時には、たまにチキンを食べたりすることがあったのですが、
そのベジタリアン生活も慣れてしまえば快適で、
途中一ヶ月間ほどまったく肉や魚を食べなかったのですが、
肉を食べたいという欲求はまったく起こりませんでした。

日本でベジタリアンが少ないのは、
野菜の持つ力が衰えていて、
それを補うため、体が動物性タンパクを求めるのだと思います。

冷蔵庫のない食文化、冷蔵庫のない豊かさは快適です。
日本に戻ってきて冷蔵庫を見ると、
なんだか文明の持つ不健全さの象徴のように感じられ、
日本に戻って今日で二週間になるのですが、
いまだ三ヶ月半電源を切っていた冷蔵庫に電気を入れることができずにいます。

経済発展するインドは、これから日本の持つ豊かさに一歩ずつ近づいていくことでしょう。
けれど日本もまた、昔の日本が持っていて、
今も自然とともに暮らすインド人たちが持っている豊かさを学ぶ必要があります。

この豊かさは文明と逆行したものであり、
そこに立ち返るのは極めて困難なことですが、
食という生命の根源に関わることであり、
なんとしても実行しなければなりません。

インドと日本はともに支え合い、ともに学び合える素晴らしいパートナーです。
インド人の多くは親日派ですよ♪ (^o^)v





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