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帰国しました<2>


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日本に戻り、久し振りにスーパー銭湯に行き汗を流しました。
インドでの三ヶ月半は冷水シャワーばかりだったので、
  (天気のいい日はぬるま湯のような水が出ます)
温かい湯船は最高です。

3キロぐらいは体重が減っているかなと思っていたのですが、
体重計に乗ってみると6キロ減って70キロを切っていました。
健全な、ほぼベジタリアンの生活を続けてきた成果です。

帰国してすぐにたくさんの知り合いと会いましたが、
みな一様にスリムになったことに驚き、
精悍になったね、前よりも元気そうだね、若返ったね等と、
嬉しい言葉をたくさんかけてくださいました。

自分では自分の変化に気づかなかったのですが、
インドで可愛い子どもたちと接し、
毎日くたくたになるまで遊び回ったので、
その彼らからもらったエネルギーが全身を満たしたのだと思います。



日本に戻り、インドでの日々がいかに実り多きものであったのか、
じわりじわりと身に染みるように感じています。


けれど大事なトランクケースが行方不明なので、
手元に貴重品は一切ありません。
しかしながら関空で心穏やかであったその延長で、
広島に戻ってもなぜか心は喜びに満たされ、心乱れることはまったくありません。

奇妙なほど落ち着く自分の心を分析してみると、
思い当たる理由がいくつかあります。

ひとつはインドの学校でインド人たちと接する中で、
思い通りにならないことがたくさんあり、
その葛藤が自分を強くし、気を大きくしたということです。

善悪では判断できないことですが、文化の違いがあり、
インド人は時間にルーズでなかなか約束を守りません。
返事はとてもいいものの、
待ち合わせの時間に遅れたりすっぽかしたりするのはまったく平気で、
約束の期限も、明日、明日、明日 ・・・ と、
明日するという言葉が延々と繰り返され、
いつまで経っても実行されないということが何度もありました。

そんなことで胃を痛くするような思いを繰り返し、
それで鍛えられ、気持ちの持ち方に変化を与えたように感じます。

それとインドでの日々が、
できるだけのことをやったと満足できるものだったので、
それがこれからの日本での行動に必ずいい影響を与えるであろうと確信でき、
その安心感があり、
トラブルもいつかそれがプラスになるんだと無意識に感じ取ることができました。


人の心とはなかなか奥底が見えないものです。
当初感じていたのはこんな二つのことだったのですが、
よくよく見つめてみると、もっと自分の心を大きく変えたものがありました。
それはやはり可愛い子どもたちと接する中で得たものです。

駐在したコスモニケタン日印友好学園はプライマリースクールとハイスクール、
日本で言うところの小学校一年生から高校一年生まで
四百数十名の子どもたちが通ってきています。

近隣の村から歩いたりスクールバスに乗って通ってくる子どもが多いのですが、
どの子の家もみな質素で貧しい暮らしをしています。



コスモニケタンにいる間、
のべ百数十名の子どもたちの家を訪ねました。
日本の一戸建てのような大きな家もありますが、
たいていは暗い土間のような家の中で、
大勢の家族が一緒に暮らしています。



村には何カ所か井戸があるもの、
家に水道はなく、大切な家事のひとつとして、
まだ幼稚園児ぐらいの幼い子どもたちも井戸で水汲みをし、
家まで運んでいます。



子どもたちは家に来てもらうのが大好きで、
たくさんの子どもたちから「家に来て♪」と繰り返し言ってもらいました。

村に行き、子ともたちに手を引かれ、
それこそ大名行列のように大勢の子どもたちを引き連れて、
何軒もの子どもたちの家を回りました。

大きな家も小さな家も、
山羊や水牛、たくさんの動物とともに暮らす家もあれば、
たったひとつの部屋に家族が肩寄せ合って暮らしている家もあります。

けれど貧しい家に行っても、
子どもたちはそれを恥ずかしいとか引け目に感じている素振りはあまりありません。
家にお母さんがおられる時は、
部屋の片隅にあるかまどのようなところ、
あるいは小さなガスボンベでお湯を沸かし、
チャイやコーヒーで歓待してくださいました。





8畳ほどの広さのたったひとつの部屋、
薄暗いその中で親子兄弟数名が暮らし、
そこに招き入れられ、硬い床に腰を下ろし、
奥ではお母さんがお茶の準備をしてくださり、
横ではその家の子どもと友だち何人かが座り、
初めて招き入れた外国人が満足しているのかどうか、
じっと静かな笑みを浮かべながら顔を見つめています。

その時の子どもたちの平安で満ち足りた表情、
この子たちは形あるモノではない、
本当に大切な形のない豊かさを持っています。



けれど学校ではいつも凜々(りり)しい表情を浮かべ、
背筋を伸ばし、動作ひとつひとつにも落ち着きと品位を感じさせる子どもたちが、
実際生活している家に行ってみるとこんなに貧しいなんて・・・、
やはりこの事実に、日本人としてとても違和感を覚えます。

それは “豊かな日本” という国に暮らし、
知らず知らずのうちに、
ある程度の物質的豊かさがなければ健全な教育はできないと、
心の奥で深く信じ込んでいるからです。

インドの子どもたちと接し、
これまで何度も感じてきた己の偏見を、
今回もまたさらに気づかせてもらうことができました。


多くのモノを持たない子どもたちの平安に満ちた表情は、
自分の心に大きな衝撃を与えました。

モノやお金はあって悪いものではありませんが、
なければ生きていけない、幸せになれない、
豊かさを享受できないというものではありません。

子どもたちから教えてもらったその “豊かさの真理” があったからこそ、
関空で貴重品一式が手元に届かなかった時も、
困ったという感情が湧くよりも先に、
そんなものはなくても生きていける、
なくなったらなくなったで、またそれに応じた生き方をすればいい、
そんな気楽な思いになれたのです。

また “こんなこと” で慌てていては、
せっかく大切な真理を伝えてくれた子どもたちに申し訳が立ちません。


日本に着いた翌日の午後、
空港関連サービス会社から連絡があり、
乗り継ぎをしたインドのデリーで荷物を積み残されていたということが分かりました。
そして本人が広島に着いた三日後の3日金曜日の昼過ぎ、
貴重品の入ったトランクケースは無事手元に届きました。

インドで子どもたちからもらった体験の価値を、
この荷物トラブルを通してより深く心に刻むことができました。

すべての流れはあまりにもできすぎていますが、
自然な生き方が自然な流れを生むのでしょう。


広島に着いた翌日、知り合いを見舞いに病院に行きました。

ご存じのように、8月20日、広島で大きな水害があり、
八十名以上の方々が命を落としました。

その中でも最も被害の大きかった八木地区の山際に、
一人暮らしをしている知り合いの家がありました。
その方の家は土石流によって一階はつぶされたのですが、
二階は形を保ったまま流され、
幸い二階に寝ておられたので、
周りのものに体を挟まれながらも命を取り留め、
七時間後に無事救出されました。

年齢八十歳ほどの女性の方で、
お茶やお花の先生をしておられ、
価値ある着物や陶器をたくさん持っておられたのですが、
そのすべてを失ってしまいました。

また右手を壊死する寸前まで負傷し、
背骨も圧迫骨折し、今も病院で大きなギブスを巻いて横になっておられます。

元々明るい方だったのですが、
化粧っ気のない顔でベッドに寝ておられるその顔からは、
さすがに憔悴しきった表情が見て取れます。

ベッドの横に立った自分の顔を見ると、
「あら、痩せちゃったね〜」、「前より若くなったんじゃないの?」
と明るい言葉をかけてくださいました。

自分としてもなんと応えていいか分からなかったのですが、
インドでの思いが胸いっぱいのその口からは、
「生きててよかったね〜♪」、
「何もなくても人間幸せに生きれるんよ〜♪」
そんな言葉が自然と出てきます。

本来ならば、悲惨な目に遭った人生の大先輩に対し、
偉そうなことなど言えるはずもないのですが、
それがその時感じた正直な思いでした。


生きてるって素晴らしい、今はただそのことだけを感じています。
インドの子どもたちに感謝です♪





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