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2月16日 トリチー


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日曜日の朝もヨガ教室です。
男の子たちばかりたくさん参加しています。



ヨガマットは子どもたちがベッドで使っているシーツを使っているのですね。



バイクに乗って帰ろうとしていた先生に挨拶し、
写真を撮らせてもらいました。
ゴーパルさんという渋い感じの方です。



男の子たちに手を引っ張られてキッチンに行きました。





今朝もウッポンクッティーで歯を磨きます。
インドの子は歯がきれいです。





パンツ一枚の男の子の写真を撮れとみんなではやし立てました。
男の子たちはみんないい体格をしていて、肥満児はほとんどいません。





男の子も女の子もみんなコスーバット(電気蚊取り器)を持ちたがります。
蚊が周りに寄ってきたら、
「コスー!コスー!(蚊だ!蚊だ!)」と言って、
子どもたちに蚊を退治してもらい、楽ちんです。 ^^☆







食事しているところは、やっぱりちびっ子が可愛らしいのです♪



みんな地面に直接座っても、姿勢がよく実に自然でさまになっていますね。
これは最も大切な生きる基本です。





日曜日は、歩いて十分ちょっとのところにある教会に向かいます。



礼拝は約一時間半、それをひたすら外で待ち続けます。



教会の横にある駄菓子屋さんでちょっとだけお買い物、
インドはこんな駄菓子屋さんもものすごくたくさんあります。
子どもの数が多いですからね。
それに買い食いが日本のように厳しくなくて自由みたいです。



礼拝の後はサンデースクールがあります。
子どもたちは男女年齢によって別れます。





気兼ねして写真を撮っていたら、
ここは先生の方から “子どもたちの写真を撮ってやってください” と頼まれました。
これだからインドはいい国なんですね。 (^o^)v







ホームのハウスマザーの子どもさんたち、
一緒に暇つぶしに付き合ってくれました。
これも頼まれて写真を撮ったものです。



ホームにいるこんな小さな子は、
誰がどのハウスマザーの子どもか今イチよく分からなかったので、
他の子どもたちに “二人は兄弟なの?” と聞いたところ、
“イエス!” と答えたので、すっかり信じていたのですが、
実はそうではないということが後で分かりました。

他にも兄弟なのか尋ねて “イエス!” と答えをもらった場合でも、
後で違っていたと分かることが何度もありました。
子どもたちは適当に答えているのか、
あるいはみんな兄弟、姉妹のつもりなのかもしれませんね。

教会に来た子どもたちは、こんなジーザスのカードを二枚もらえます。
子どもたちはみんなジーザスが大好きで、
ジーザスの写真と像、あるいはその前で自分たちの写真を撮れとよく頼まれます。



子どもたちからは、知っているはずなのに何度も名前を聞かれます。
それとなんでか分かりませんが、両親や兄弟の名前もかなり頻繁に尋ねてきます。
そして自分の名前を覚えてくれと自己紹介してくるのですが、
能力の関係上、どうしても覚えることができません。 (☆o☆)

何人かの名前は覚えましたが、
後はもう覚えようとする努力を放棄しました。 (-人-)

彼女の名前も忘れましたが、
下の写真左から二人目、その下の写真右から二番目の女の子は、
カニャクマリのホームでハウスマザーをしているジェニラーの妹です。
少しだけ感じが似ています。





けなげに折り鶴を折り続けています。



日本から持ってきたハート型のマシュマロをあげたので、
話題がハートになり、ハートマークを胸元で作って記念写真です♪



数日前から風邪気味ですが、
インドの自然と子どもたちのパワーを受け、体は日本にいる時と同様に動きます。
けれど今日はかなりのガラガラ声です。

そんな中、子どもたちから “フォト、フォト!” 、 “ラップトップ!” と求められ続け、
ついに気力が尽き果て、ダウン気味になっていると、
ハウスマザーが気遣って、ベッドで横になるよう勧めてくれました。

女の子が二つのベッドを移動させ、枕とシーツを用意し、
丁寧なことに水とコップまで横に置いてくれました。



入り口のドアも閉めて、子どもたちは誰も中に入ってきません。
またまたこんな厚遇していただいて、
二十分ほど横になっていると、なんだかまた申し訳ないような気になり、
気力復活で起き出しました。

子どもたちの純粋な心と対峙すると、
自らの内にある嫌な面が浮き彫りになります。
子どもは己を写す鏡のような存在です。


そんな子どもたちですが、
当然ながらいろんなタイプの子がいます。

子どもたちを見る時は、その子の体型、顔つき、動作などから、
その子のキャラクターを推察するのですが、
これが実に興味深く学びになります。

自然とともに生きるインドの子どもたちは、
ストレートにその内面を外側に表わし、
日々伸び伸びと生きていることを感じさせます。

そしてこれもこれまで何度も書いてきたように、
インドの子どもたちは日本の子どもたちと比べ、
適応力、柔軟性、心の解放感、
もっと端的に言うならば、地力とでも呼べる根本の生命力が勝っています。

日本の子どもたちにいい面がないわけではないですが、
その多くは、高度に発達した文明、文化、技術の上に立脚した社会でのみ
役立つものであり、
今はその社会の基盤そのもののあり方が問われているのですから、
それはやはり脆弱だと言わざるえません。

もし今この瞬間に、電気、ガス、水道、
そういったライフラインが消滅したらどうなるでしょう 、
たぶんインドの子どもは泰然自若、それなりの暮らしを続けるでしょうが、
日本の子どもたちの場合は ・・・ 。

これは決して極端なことを言っているのではなく、
今という文明の価値観が大きく問われている時だからこそ、
生きる原点を見つめ直し、それを基盤とすることが強く求められていると考えます。

自分を振り返ってみても、
パソコンという、そのハードもソフトもほんの表面の一部しか理解していないものに、
生活の主要部分を大きく握られていることに潜在的な恐怖を感じています。

最先端の電子機器の恩恵に浴しつつも、
それがなくなっても自己を確立していきたい、
それが本当にできるかどうかは分かりませんが、
常に願っていることです。

とは言え、日本では震災、津波で大きな被害を受けた後も、
被災された方たちが秩序ある行動を取っていたことが、
世界から大きな賞賛を浴びたことは記憶に新しいところです。

日本人の持つ高い道徳観念、
それにインド人の持つ逞しさ、適応力が加わったら最高です。


インドの子どもの持つすごさはその強靱でしなやかな肉体に現れます。
特に下の写真右側の女の子が強く印象に残っています。



彼女は常に凜々(りり)しい表情をたたえた美しい女の子で、
その凜とした肉体の佇(たたず)まいと同様、
どんな時でも大きく表情を崩すことはありません。

プロポーションも完璧で、
細身の七等身の体には長い手脚が美しい曲線とともに伸びていますが、
まだ年齢的に幼いため、身長は成人女子と比べて少し低く、
胸元も豊かではなく、そこにこれまで感じたことのない不思議な違和感を覚えます。。

彼女はその美しい肢体と同様、身のこなしも実に優美で、
朝夕の礼拝の時、礼拝堂には整列して入場し、
順番に腰を下ろしていくのですが、
その時の歩いてきて腰を下ろすごく単純な動作の中からも、
ひときわ目を引く美しさを感じさせます。

美しい動作、身のこなしというものは、
意識し、訓練によって身に付く場合もあるのでしょうが、
彼女のように、生まれ以て備わっていることもあるのだということを感じます。

そして内面の平安さを表わす落ち着いた表情、
肉体の形状、その動作、身のこなし、これらには高い相関性があるということも、
彼女によって強く感じました。

下の写真はまた別の日に撮ったものですが、
髪飾りを持ったごく自然な彼女の姿勢から、
彼女の肉体的特質が感じられると思います。



上の写真はクマールの自宅・事務所の建物の鉄扉の前で、
ここを入ってすぐ左側に泊めてもらっているゲストルームがあります。

二の写真を撮った後、二人には手持ちのキャラメルをあげたのですが、
しばらくして部屋を出た時もまだ彼女はそこに座っていました。
そしていつもの落ち着き払った表情で、
「ブラザー、ハート型のチョコレートはないんですか?」と聞いてきました。

他の子にあげたハート型のマシュマロが気になって欲しかったのでしょう、
残念ながら手元にはもうなく、彼女にそれをあげることはできなかったのですが、
そんな可愛いものを欲しがる一面もあるんだなと、少し嬉しくなりました。

彼女の名前は聞いていないので知りません。
けれど年齢が気になったので尋ねてみたら、
つたない英語で十三歳だと教えてくれました。

十三歳という年齢がとても信じられません。
この子が二十歳ぐらいになったらどんな女性になるんでしょう。
とても興味かあります。


これまでたくさんの素晴らしい肉体的特質を持ったインドの子どもたちと出会ってきました。
中には相撲の四股を踏むような姿勢で床に這いつくばり、
その姿勢のまま床に置いたテキストに目をやる姿に、
人間を越えた動物的逞しさすら感じたこともあります。

けれどそれらの子どもたちはみんなそれぞれの身体的個性を持っていて、
一人として同じタイプの子どもはいません。

その中で共通して感じるのは体幹の力です。
最近は日本でもこの体幹力を鍛える本が何冊も出ていますが、
日本人は日々の暮らしの中で、自然な形でこの体幹を鍛えることができないのですから、
今はまず何らかのトレーニングを通して体幹力を養うべきだと考えます。

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体育、そしてその体を培うための食育、
そのあり方を問うことがまずは最重要事項です。


子どもたちとはよく櫛で髪の毛をといたりといてもらったりします。
日本だとセクハラかもしれませんが ・・・ 。



頭皮に櫛が等間隔で当たっていく感触は心地いいですね。
猿の毛繕いはグルーミングと言い、
コミュニケーションの大切な手段だと聞いたことがありますが、
それは人間も変りがありません。

こんな当たり前のことが楽しいですね。
やはり幸せは身近なところにあります。



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