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2月17日 トリチー


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今の時期、南インドはほとんど雨が降りません。
朝起きて外に出ると、いつも肌に心地いい風が吹いています。
もうすっかりこれが当たり前という感覚になりましたが、
自然に恵まれた大地であるがゆえ、人々の生き方も豊かなのでしょう。



きれいなコテージの周りを掃除したり、
植物の周りの溝を掘っているところです。
これもすぐに駆け寄ってくる子どもたちを説得し、
作業しているところの写真を撮るからとて言って作業してもらいました。 (;^_^A





トリチーでは山羊が一カ所に集められています。
男の子たちが水浴したり洗濯する水槽のすぐ近くです。



とにかく蚊が多いので、コス!コス!と言いながら歩いていると、
子どもたちから蚊がたくさんいるところがあるから来いと誘われました。
行ってみるとそこは浄化槽で、浄化槽のふたの隙間から蚊がたくさん出入りしています。



そこで子どもたちに蚊をしっかりと退治してもらいました。 ^^☆



子どもたちが蚊を退治している間、
ノートのページを切り取った紙を持ってきてもらい、またまた折り鶴作りです。
折り鶴はノートのような白い紙で折るのがきれいです。



子どもたちがとてもサダコ(佐々木禎子さん)に興味を示すので、
ネットでサダコの写真をダウンロードし、
iPad に入れて見せてあげました。

子どもたちが少しでも広島のことを知り、興味を示してくれるのは嬉しいものです。
佐々木禎子さんと、
たくさんの折り鶴が奉納されている広島の平和公園にあるサダコのモニュメントです。






トリチーは子どもの数が多いので、
いい意味で互いを刺激し、高め合っている気がします。

一人の子が他の子の口に食べ物を手で持って行ってますが、
これはよくあることで、
自分も子どもからその子が食べるのに使っている右手を通し、
何度か食べ物を口に入れてもらいました。



これを不衛生だとか行儀が悪いという観念で捉えるのもひとつの考え方ですが、
食べ物を生きる糧として捉えた時、
その最も大切な部分を、インドの人たちは日本人以上に大切にしているように感じます。

インドでは自分もすべて手を使って食事をしますが、
一度もそれを嫌だと感じたことはありません。
インドではそれがごく当たり前です。

大地の恵み、命の糧、食事をそう捉えた時、
フォークやナイフ、箸といった道具を介して口に運ぶよりも、
直接手でいただく方がどう考えても自然です。

アダムとイヴが禁断の木の実を食べ、羞恥心を知るようになり、
今の社会が形成されてきたように、
人間も道具を使って食事をすることによって、
少しずつ自然から乖離するようになったのだと感じます。

食事が命を保つ大切な行為から、
道具を介することによって利便性を増し、
味覚を楽しませることへと目的が移行していきました。

これも善悪ではないですが、
以前も書いたように、
文明は、人間を自然から遠ざけることによって発展し、
その恩恵を浴する裏には必ず危険性が伴うということを知るべきです。

こういった考え方は、ごく単純で当たり前のものの見方だと思うのですが、
日本にいてはまったくそんなことに気がつかず、
振り返って意識することもありません。

インドと日本、互いに大きな差があるからこそ互いに学び合えることがあります。



さあ今日も学校です。
学校に行くのは大きな子から順番です。





仲のいい仲間同士、一緒に学校に通うのも楽しみのひとつです♪





大きい子が学校に向かっても、ちっちゃな子はまだ準備中、
一番小さなプライマリースクールの子どもはまだ朝ご飯を食べています。



女の子は髪の毛のセットやおしゃれに時間がかかりますね♪





まずはハイヤーセカンダリースクールの子どもたちと学校に行き、



彼らを送った後、ホームへの帰路で今度はハイスクールの子どもたちと出会い、



彼らを再び学校の門の所まで見送ります。



そしてホームに戻ると今度はプライマリースクールの子どもたちが学校に向けて出発です。



やっは゜りちっちゃな子たちは可愛いですね。 ^^☆
いつも大声援で歓待し、そして見送ってくれます。



ホームに戻ると少しのんびりします。
いつもはたいていしばらく横になり、パワーを取り戻してから活動再開です。

スタッフの人たちに写真をプリントして渡したいと思い、
各所を回って写真を撮りました。





子どもたちが学校に行っている間はみんなのんぴりしています。



サントスたちは椰子の実をくり貫いた穴に砂糖を詰めています。
何かスイーツになるようです。



静かなホームを写真に撮りました。
トリチーのホームは外観の色使いもとてもきれいです。





再びスタッフの方の写真を。
このおじさんは門番や水やりなどを主にしています。



彼女は一番若いホームマザーです。



今日もスタッフのちびっ子二人を写真に撮りました。
こんな風にキチンと挨拶もできるのです。



4時を過ぎると子どもたちがホームに戻ってきます。
写真を撮ってくれとうるさく感じることもあるものの、
やっぱりこの子たちの笑顔を見ると癒されます。 ^^☆









この子は前歯が乳歯から永久歯に代わる時期で、
前歯がごっそりありません。
めちゃくちゃ可愛いので、たまに抱っこさせてもらいます♪



この子は食べるのは遅いし、なかなか他の子どもたちのペースについていけず、
周りの子どもたちも気遣っています。
どんな事情があるのかは分かりませんが、
こんな小さな子が親元から離れて暮らさなければならないことを、
とても悲しく感じます。

まだまだスキンシップが必要な年齢です。
この子を見るたびに、いつも手を繋いだり抱っこしていたら、
この子もとてもなついてくれて、
礼拝が終わった後などは真っ先に駆け寄って、
自分のコテージに来るよう、その小さな手で引っ張ってくれます。

礼拝の後で自分のコテージへと誘ってくれるのはこの子だけではなく、
いつも両手にはいくつもの小さな手が伸びてきます。
自分たちのところへと誘ってもらうのは有り難いのですが、
その要望すべてを満たすことができず心苦いです。

この子たちは歌を歌ってくれました。
子どもたちは教会で習った歌をたくさん知っていて、
その歌を歌い、最後に合掌しています。



子どもたちのそばにいると、いろんなことを聞いてきて、
またいろんなことを話しかけてきてくれます。
そんなささいなやり取りが楽しいですね。
子どもたちが楽しんでくれるから、自分もとっても幸せです♪



この女の子は15歳、腕が細長いですね。



彼女は全体的にひょろっと細長い体型で、
声はボソボソとした感じで淡々と早口で語ります。
暗くて醒めているという風ではないのですが、
こんな客観的、事務的口調で話をするキャラクターの子どもって、
日本にもいるなって感じます。

インドの子どもたちを見ていて、
この子が日本人になったらこんなタイプの子どもになるんだろうなと
想像することがよくあります。
インド人も日本人も、個性のバリエーションはとてもよく似ています。

これは何かの細胞でしたっけ?
キラキラ光る素材を貼り付けて、楽しく学習しています。
とってもいですね♪



黒板に果物の絵と日本語の名前、そのローマ字読み、英語を書いていきました。
綴りが間違っていたらごめんなさい。



そしてらその下に、黒板の前で笑っているゼンジーダ15歳が
タミル語の読み方を書いていってくれました。
この子たちと一緒にいると、何をしても楽しくなります♪

学校の課題作り、これも楽しそうでいいですね♪



このコテージの黒板には、有名な聖書の言葉が英語とタミル語で書かれていたので、
そこに日本語の訳を加えました。
一番下の行には、子どもたちが書かれた日本語を真似して書こうとした跡が残っています。



  Unless you become like little children,
    you will not enter into heaven.

  幼子のようにならなければ、
    天国(の門)に入れない。


この子たちと接していて、この言葉の持つ意味の深さを感じます。



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