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ヨガナンダ



2017年9月26日 ・・・ 喜びと安らぎ

ここしばらく過去最大級の大片付けをしていて、
昔からのものを棚から引っ張り出し、
過去を振り返ると同時に多くの過去の遺産と決別しています。

モノの整理は心の整理、
そのことをあらためて実感するとともに、
新たなる気づきがたくさん湧き上がってきています。


自分の心に素直に生きる、
好き嫌いの感情を大切にする、
これは自分が最も大切にしているモットーです。

素直とは、人の意見に従順になることではなく、
自分の思いを大切にすることです。

好き嫌いといった感情を選択基準の最上位に置き、
世間の常識や評価を気にかけないで生きるのは、
風当たりが強く、苦しいことも多いのですが、
これは『自分の生き方』なので、変えることはできないのです。


本当に自分の心を正しく見つめ、それに素直に生きていれば、
好きか嫌いかという感情は、
誰にとっても究極的に正しい選択肢となるはずです。

ただそこに、望ましくない感情が折り込まれている場合、
好き嫌を言うことは単なる感情の発露となり、
よくない結果を生むことになります。

自分に素直に生きるとは、
本来最もシンプルなことですが、
複雑化した現代社会においては、
とても難しいことなのです。


その好き嫌いとは、
心の中のどんな感情、どんな欲求から生まれているのか、
今そのことをあらためて考えています。

何か一般論として具体例を挙げればいいのですが、
どうしても思いつきません。
ですから恥を忍んで、
自分のプライベートな心の内を例に挙げてみます。


人間、幸せに生きていくためには、
日常の心の持ち方を正していかなければなりません。
今はモノの豊かな時代、
日本ではいくら貧しくても、飢え死にすることはまずありません。

『幸せはすべて自分の心が決める』、
これは今の時代だからこそ光る言葉だと感じます。

その心を正していくためには、
まずは自分の心のあり方を知ることです。

心のあり方、自分の心とはどんなものなのか、
それは何を好きで何を嫌いなのか、
その思いの奥を探っていくとよく分かり、
今そのことに目を向けているところです。


“好き” という言葉を聞くと、
まず思い浮かぶのが異性に対する思いでしょう。
種としての遺伝子を残すことは、人間の持つ極めて重要な本能ですから、
そこに強い感情を抱くのは当然のことです。

だからこそ、その異性への感情の中にこそ、
その人の持つ感情、欲求の根源的部分が表れるように感じます。


自分がこれまで好きになった女性にはひとつのタイプがあります。
小柄で口数が少なく、控え目で、
決して暗くはなくても、どこか寂しさを感じさせる女性、
貞淑などと表現された古風な日本女性、
そういうタイプに惹かれるのです。

恋心を感じる時の肉体表現には、
頬が赤くなる、胸がときめく、といったものがありますが、
頬よりも胸、より肉体的に下にある部分に反応する方が、
より根源的、生命に近い部分に感応していると思われます。

自分がその控え目なタイプの女性と出会った時は、
頭の中にある理屈ではなく、
胸の奥にある心の深い部分から何かか反応し、
希求するのを感じます。
これは “安らぎ” とも言えるものです。


女性には様々なタイプがあり、
自分が魅力を感じるのは、上記のような控え目のタイプだけではありません。
明るく、常に微笑みを絶やさず、
その人がそばにいるだけで周りに明るいオーラを振りまく、
そんの女性をごくたまに見かけ、
そんな女性にもとても好感を抱きます。

その女性と結婚するとまではいかなくても、
そんな女性であれば、
どんな状況でも一緒に時を過ごせば、
きっと大きな “喜び” を得ることができるでしょう。


では、そんな二つのタイプの女性が目の前にいるとすれば、
自分はどちらを選ぶのか、
それは迷うことなく胸の奥が反応する控え目なタイプの女性です。

喜びを得られるのは素晴らしいことですが、
それは感情の上では表面的なものです。
反応の理屈は分からないものの、胸の奥、
より深い部分からの “安らぎ” を得られる、
そちらの方が生命的感覚からすれば上位なのです。

安らぎというのは安心感、
あるいは生命を守る安全にも通じ、
生命に近い欲求の根底にあるものであり、
その意味では肉体的感覚とも言えもものです。

この肉体的感覚は、
どんな思考結果よりも優先してしまうものです。


頭で考えたならば、
常ににこやかな女性といた方が喜びに満ちあふれていていいとは思うのですが、
肉体的感覚がそれを許さず、
胸の奥が希求し、それを満たしてくれる人を求めるのです。

この好き嫌いの感情の中に、
自分の心の奥にある何物かが見え隠れし、
それを明らかにしていくことが、
自分の心をより拓いていってくれるものと感じます。
ただし、自分はまだその段階にまで至っていません。

至ってはいませんが、今感じるのに、
たぶん、胸の奥が希求するものと、
大きな喜びを感じられるもの、
これが一致することが理想ではないかということです。

そしてそうなるためには、己の欲求の根底を、
よりクリアーにする必要があるのではないかと感じます。


思うに、自分の兄弟は兄一人であり、
幼い頃からあまり女性と接したことがなく、
心の中に女性に対する恐れがあり、
それが自分は長身であるにも関わらず小柄の女性を好み、
あまり強く自己主張する女性を敬遠することになっいるのだと感じます。

これは女性に対してだけではなく、
すべてのものに対しても共通する感覚だとも感じます。

好き嫌いの最も端的に表れる異性への思いの中に、
自分の心のあり方を広く掴むキッカケを得られそうです。


こうして書いていて、
他にも自分と同じような例があるということに気がつきました。

幼い頃、親からの暴力、DVに悩まされていた女性が、
結婚相手には絶対に暴力を振るわない優しい人を・・・と思っていても、
結局は親と同じようなDV夫を選んでしまい、
離婚したりシェルターに逃げ込んだりという話を何度も聞いたことがあります。

これなども、頭の中では「夫となる人は暴力を振るわない人を」と思っていても、
心の奥、根底からの欲求では、
暴力への過度の恐怖が “望まない期待” となり、
そんなDV夫を引き寄せてしまうのでしょう。

好き嫌いの根源は、表面的な感情ではなく、
心の奥深くにある欲求、肉体感覚といったものです。


これ以外にも世間には、
なんで好き好んで不幸な道を歩んでるんだろう、
と思える人がたまに見受けられます。

それはきっと表面意識の感情と根底の欲求に乖離があるからではないでしょうか。


好き嫌いを大切にし、自分に素直に生きるとは、
とても大きな責任と負うことでもあります。

今回はそれを少し掘り下げてみることができ、
自分の最も心の奥深くにあるもの、安らぎを感じられるものは何か、
それを知り、
もしそれがクリアーにすべきものであればクリアーにしていくことが、
より大きな喜びを得ることになるのだと知ることができました。

胸がトキメキ、かつ大きな喜びが感じられる生き方をしていきましょう♪

2017.9.26 Tuesday  
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