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2017年8月28日 ・・・ 原因論と目的論

過去の経験など外的要因によって
現在の自分の行動を決定するというのが『原因論』、
これは従来型のフロイトやユングの心理学、
因果律を説く引き寄せの法則、前世療法、ヒプノセラピー、
心の囚われを解放するセドナメソッド、・・・
数多くのものがこの原因論を根底として成り立っています。

それに対してアドラー心理学が説くのは『目的論』、
現在の自分の行動は、過去ではなく、
未来の目的によって決定されているというものです。



これは過去を指向するものと未来を指向するもの、
まったく対極と言っていい関係です。


これまでこのホームページでは、
過去の原因から来る囚われを解放する方法について書くとともに、
未来志向のアドラーについても何度も書いてきました。

一見矛盾するような二つの方法論ですが、
自分の中ではどちらも確実に糧となっていることを感じ、
“すべては経験として役に立つ” と信じています。
だからこそどちらもこのホームページでご紹介しているのです。

けれどその理論的根拠となるものを具体的に提示することは難しく、
きちんとそれを言葉で説明することは避けてきました。
本当は、避けてきたというよりも、
言葉で表現することができなかったというのが正直なところです。


今日はそのことが頭に浮び、
自分なりに二つのものをどう解釈するかを考えてみました。

生い立ちや経歴、これまでの様々な人やものとの出会いや交流、
過去に実際起こった出来事を変えることはできませんが、
そこから生まれる感情や影響は、
その出来事の解釈を変えることで、囚われを捨て去ることは可能です。

過去を見つめる原因論は、
その過去の解釈を変えることによって、
そこから生じる悪影響を取り除こうとするものです。

それに対して目的論を説くアドラーは、
過去に原因を求めるのは言い訳であり、
現在の状況は、自分の持つ目的によって形作られているとしています。


この対極とも言える二つに共通しているもの、
それは『過去からの解放』です。

過去に囚われたくない、
だからこそ、その囚われとなっている過去の原因を探り、
それを癒やし、解放していく、これが原因論です。

目的論は過去ではなく現在を見つめ、
今の自分が持つ物事の解釈、目的がすべてのものを形作っているのだから、
現在の自分への思いを変えていこうというものです。
ここには過去という概念は出てきませんが、
それを出さないことこそが『過去からの解放』であると捉えています。


アドラーの教えを説いた『嫌われる勇気』を読まれた方の中に、
一読して自分の価値観を根底から覆すほどの大きなショックを受け、
その後で見た外の景色は、これまでとはまったく違った様子に思えた、
と語る方がおられます。

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自分もそれとまったく同じ体験をしました。
『嫌われる勇気』を読み、心動かされ、
その後で外に出た時に見た街の様子、
それは『課題の分離』に得心したからか、
すべてのものが独立した存在であることを強く感じるとともに、
その根底に流れる粘性を持つ波のようなつながりをも同時に感じ、
何か生命の実体のようなものが五感から入ってくる思いでした。

アドラーは、「人は今この瞬間から幸せになることができる」と説いています。
アドラーの目的論を心から受け入れたならば、
その瞬間から世界すべてのものの見方が変わるということです。

これはこれでとても納得できることです。
けれどだからと言って、
その瞬間からずっとその見方が維持されるわけではありません。

アドラーは、その教えを本当に自分のものにするには、
それを知るまでに生きてきた半分の年月を要するとも語っています。
つまり四十歳でアドラーを知り、それを100%自分の生き方とするためには、
それから二十年の年月が必要だということです。


アドラーを知り、現在の自分に着目するようになり、
過去の囚われから意識を脱し、
『過去からの解放』がすべて上手くいくのなら言うことはありません。

けれどなかなかそこまですぐに至ることができないのであれば、
原因論を用いることによって『過去からの解放』を求め、
少しずつ過去の自分に目を向けることなく、
現在へと意識を持って行けるようにするのは、
有効な手段だと考えます。

自分自身の体験として、
『過去からの解放』が進めば進むほど、
楽な心で今この瞬間、現在の自分というものを見つめられるようになりました。

ただ注意しなければいけないのは、
原因論に走りすぎると、
過去に意識が向き過ぎて、何事も過去の原因を探らないと気が済まない
『過去依存症』のようになってしまうことです。


アドラーの考え方が理想的だとは言いません。
すべては価値ある方法論です。

けれど最終的に目指すべきはアドラーのような現在、未来志向であり、
そのための『過去からの解放』だと感じます。

ですから原因論で過去を見つめる際は、
それが明るい未来、そして現在の自分を捉える目、
見方を変えるためのものだという意識を強く持ち、
関わっていくのが理想だと考えます。


輪廻を繰り返す人間の過去は無限にあります。
ある心のあり方を説く講師が、ネット上の動画でこのようなことを述べていました。
「過去のトラウマを消そうと思っても、
 若い頃の思いを消しても次は幼少期、
 幼少期の思いを消しても次は赤ちゃん、胎児の頃、
 そして次は前世、そのまた過去世と・・・、
 過去のトラウマを消そうと思っても、これはキリのない世界です。
 ですから過去からは脱却し、
 現在の捉え方を変えるしか心を救う道はありません」

これは一見正論のようですが、
大きな間違いを含んでいるものと考えます。

トラウマを消す、心の囚われ、感情を解放する、
これは対象となる事象にだけ関わることではありません。
その事象にかけた思い、感情を解放するというのは、
その事象を通し、自分の心のあり方そのものを変えていくことが目的です。

ですからそこで心の持ち方が変わったならば、
他にも影響を与えることがあるのです。

セドナメソッドで感情の解放を進めると、
直接解放しなかった別の感情が解放されるというのは
よくあることです。

トラウマを消す、感情を解放するとは、
心を元の自然な状態に戻していくひとつひとつのレッスンであり、
それらはみな包括的な意味を持ち、
その進捗状態がどのようなものであれ、
心に恵みを与えるものになると感じます。

そしてその恵みが『過去からの解放』につながり、
現在をしっかりと見つめる力となり、
アドラーの説く目的論にも適ったものになると考えます。


自分はアドラーの専門家でも研究者でもありません。
ここで書いたことが専門家の目から見て正しいことかどうかは分かりませんが、
自らの体験から感じたことです。

原因論と目的論は共存できる。
または、より理想に近い目的論を自分のためにする助けとして、
原因論は大いに役立つことができる、こう考えます。

そしてどちらも目指すものは『過去からの解放』、
これをしっかりと心に留めておかなければなりません。

2017.8.28 Monday  
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