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2017年2月7日 ・・・ 節から芽が出る

人生には様々な大きな節目となる時期があります。
進学、就職、結婚、転勤、転居、
あるいは親しい人との別れ、
身近にところでは新しい年を迎えた時、
月のリズムで言えば新月は大きな節目です。

節目とは目に見える環境が大きく変わる時、
そして心の持ち方が変わる、あるいは変わらざる得なくなった時です。

大きなトラブルを体験した時もそうですが、
そういった時、その節目こそが自分を変える機会であり、
それを飛躍するチャンスにするべきだという思いを込めて、
『ピンチはチャンス』とか『節から芽が出る』という言葉があります。

『節から芽が出る』というのは本来は天理教の言葉のようですが、
とても大切な人生訓だと感じ、いつも心に置いています。


自分にとって大きな節目のひとつが、
インドに行くということです。
インドにはいつも最低一ヶ月間は滞在するので、
日本を出国するまではその準備に追われ、
“これだけは絶対にやっておきたい!”というリストを作り、
それを実行していくようにしています。

実際にインド滞在中にどれだけ充実して過ごせるかは、
この出国までの準備にかかっていると言っても過言ではありません。
日本での最後の期間、そしてインドに滞在している期間、
これはフラクタル(自己相似形)の関係であるようにいつも感じます。

このことは、たぶん誰にでも当てはまることだと思います。
進学でも就職でも、あるいは結婚でも、
その準備期間にのんべんだらりと無計画に過ごし、
環境が変わった途端に心を入れ替えるというは無理なことです。

時の過ごし方はその人の心の癖、習慣によって形作られ、
それはそう簡単に変えられるものではなく、
それを律することは常に意識しておかなければなりません。

森信三先生の有名な言葉です。
『一日は一生の縮図である』


大昔、まだ子どもだった頃に読んだ学習雑誌の記事が心に残っています。
そこには、大学受験を控えた高校三年生が、
その一年間に描く成績の推移は、
その子が高校受験のために学習していた中学三年生の時の成績の推移と
類似するというものでした。

つまり受験という目標に向かって進んでいる時のその子の学習姿勢、
環境の変化による心の持ち方の変化は、
その子の心の癖によって影響を受け、
それは15歳でも18歳でも、歳が変わってもなかなか変わらないということです。

自己変革とは、この心の癖を変えていくことです。


自らの行動が変わり、心の持ち方が変化してくると、
それに応じて周りの環境や縁というものも変わってきます。
これは自然の法則です。

ただし自分がいいと思える方向に進んでいるからといって、
必ずしも周りもいい方向にのみ変わるかといえばそうではありません。
その変化を望んでいる心を試すかのように、
また向上したいと願う真我の願いを手助けする意味でも、
これまで表に現れなかった苦難が目の前にやって来ることがよくあります。

これは本当によくあることで、
そんな時は、「あっ、またお試しが来た!」
と思い、快く受け入れることにしています。

またお試しが来るのは向上のためのステップであって、
喜ばねばならないことです。


とは言うものの、
今回もインド行きを控えたこの節目の時期に、
不愉快の出来事がいくつか起こり、
そのことで心が波立つことがありました。
不快な思いでお酒を口にしたこともあります。

けれど少しずつ、ほんの少しずつではありますが、
嫌な出来事が起こった時に、
それによって生じる不快な思いより、
“これでより自分が成長できる”
という明るい思いが勝ってくるようになりました。
これは何よりの喜びです。


『温故知新、今身近にあるものを大切にしてそれを活かす』、
これを今年のテーマとして実践していて、
感情を手放す素晴らしい手法であるセドナメソッドも日々行っています。

感情を手放すことは自己を解放する大切な手段であり、
これはよりよい人生を歩むために常に行っていくべきだと考えます。
そしてその手放す手段として
セドナメソッドは極めて優れた手法ではありますが、
これですべてが解放されるわけではありません。

近年最も激しい怒りを覚えたのは、
一年前に体験したインドでの交通トラブルです。
目的地を告げて乗ったにも関わらず、
知らぬ間に遠く離れたところまで連れて行かれ、
その非を認めようとしないで逆に食ってかかってくる運転手と車掌、
その遠く離れた場所から目的地まで乗ったオートリクシャーも、
少しでもお金をふんだくろうと、用のないガソリンスタンドに立ち寄ったり、
途中で知り合いを同乗させたりして、
インドではいつものことなのですが、
最初に言った金額よりも多くの金を要求してきました。

このバスの運転手と車掌、オートの運転手には心底腹が立ち、
このインド人たちの胸ぐらをつかんで怒鳴り散らしました。
胸ぐらをつかむというのは大人になってからはまずないことですが、
インドという異国の地で、
わずか一時間も経たない間に二度も経験しできたというのは、
今となっては貴重だったと感じます。

この時の金額的、時間的損失はわずかなものですが、
不案内で心細い外国人に対する愚挙に怒り心頭となったのです。


このインドでの怒りは、当分収まることはありませんでした。
また収めたいという気持ちよりも、
このことを記憶に刻み込んでおき、
いつか正してやりたいという憤りの方がはるかに強く、
怒りの感情を手放すためにセドナメソッドを使いたいという気持ちには
まったくなれませんでした。

そして一年が過ぎた今、
今年に入って行ったセドナメソッドで、
ようやくこの感情を手放すことができました。

インド人にはインド人の倫理観があり、
お金を持っているであろう肌の白い人間からはお金を取って当然という
彼らの思いを今はある程度受け入れることができます。


今この節目の時に現れた新たな感情については、
それを手放すため何度かセドナメソッドを行い、
その時には少しラクになったように感じましたが、
なかなか完全に払拭するまでには至りません。

インドの時のように、やはり時というのも感情を薄め、
手放す大切な要素であるのは事実です。

かと言ってあきらめるにはとても心が苦しく、
またもうすぐ向かうインドでの日々のためにも、
この思いから早く解放されたいと強く願いました。

この強く願うこと、そしてそれに向けてアクションを起すこと、
そうさせてくれるのが節目であり、
そこに起こってくる数々のトラブルの功徳です。


いろいろ考えて思ったこと、
それは今の苦しい思いに意識を向けすぎてはいけないということです。
苦しいことがあると、どうしてもその思いに囚われ、
頭の中はマイナスイメージのどうどう巡りになってしまいます。

『今を生きる』というのは大切なことですが、
逆もまた真なり、今をよりよく生きるために、
今の感情に意識を向けるのではなく、
これから進んでいくであろう将来、己の持つ志に目を向けること、
そのことにしっかりと意識を向け、
そのために今何をすべきなのか、
『志を成就するための今』はどうあるべきなのか、
そのように思いを転換していかなければなりません。

今苦しい思いをしている時は、志を振り返るチャンスです。


節目に現れるのは苦しいことだけではなく、
思いと行動が強ければ強いほど、
心励まされることも数多く現れます。

「九回目の渡印」にも書いたように、
今回は偶然のご縁が重なり、
コスモニケタン日印友好学園の二十周年行事に
参加させてもらえることになりました。

これまでインドとは数え切れないぐらいの
不思議なご縁や導きをいただいていて、
それを感じるたびに自らの背中を押してくれているようで、
大きな励ましをいただいています。

今回はさらにもうひとつ素晴らしいご縁がありました。
南インドとの縁を導いてくださったのは、
日本山妙法寺サンカランコービル道場の石谷上人と木村庵主さんです。

ですからインドに行った時は、
必ず道場に足を運ばせてもらうようにしています。
また先月は石谷上人、木村庵主さん、
そして三人のインド人とスリランカ人の五人で広島を訪ねてくださり、
日本山妙法寺とのご縁は途切れることがありません。



そんなことで、木村さんからは時折インドからメールをいただくのですが、
道場にはパソコンもネット環境もなく、
いつも車で15分ほどの町まで出て、
そこのネットカフェからメールをくださいます。

そこにあるパソコンは当然インド人用のもので、
キーボードで日本語入力をすることができず、
木村さんからのメールはいつもローマ字です。

ネット上にはローマ字を日本語に変換してくれるサイトがありますが、
木村さんは機械にそんなに強いわけではないので、
どうしても上手くできないようです。

そこで、古いものでもいいから是非日本製のパソコンを手に入れ、
それをネットカフェで接続して使うか、
さらにはケイタイをスマホにしてテザリングすれば、
道場でもネットが使えるようになりますよ、
とアドバイスさせていただきました。

それが昨年末のことで、
「また今度お会いした時に話を詳しく聞かせてください」
という感じでそのままになっていたのですが、
つい三日前の夜、インドの木村さんからケイタイに電話があり、
「いよいよ仏舎利塔も完成に近づいてきて、
 サカイさんの言われていたネット環境のことも真剣に考えたい」
とのお話がありました。

その時は知り合いの家で一緒にお酒を飲んでいて、
ついその十分ぐらい前に木村さんのことを話をしていて、
お酒が入っていたこともあって気分が高揚し、
「分かりました。パソコンは自分が何とかしましょう!」
と、まったくあてのない安請け合いをしてしまいました。

けれどこれもご縁だったのです。
その時酒を酌み交わしていた相手というのが、
日本山妙法寺を支援している会社と取引関係のある方で、
その人がその会社に話をしてくださり、
三日後の今日、
その会社を通して新品のノートパソコンが手に入ることになりました。

これなどまったく奇跡的としか言いようのない偶然のタイミングです。


こんなふうにしてご縁がインドへ導いてくれているのに、
日本でささいなことに心悩ませていては、
自分の胸に宿る真我に対して申し訳がないという気持ちになってきます。

この偶然はシンクロニシティー(共時性現象)とも言えます。
シンクロは何かを示すサインです。
シンクロによってご縁と導きを感じ、
明るく前を向いて進んでいく勇気をいただけます。


この数日間、この今の心をいかに律すればいいのかを真剣に考えました。
それは悩みが深いということだけではなく、
今この時に抱えた悩みは、日本を発つまでの短い期間に完全に解消させたいと
強く願ったからです。

今年は今あるものを見直すということがテーマですが、
これまで通り過ぎてきたものだけでも膨大な量があり、
その中から今の自分が最も求めているものは何なのか、
そのことも日々考えています。

今日はふと思い立ち、
一年以上前に買った「ブロック解放CDブック」という本を手に取り、
それに付いているCDを聴きました。

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このCDは買った当初ニ三度聴き、
音楽は心地いいものの、
心のブロックが解放されたという実感は得ることができず、
長らく聴いていなかったものです。

ところがどうでしょう、これも時の効用でしょうか、
それとも他のものとの相乗効果なのでしょうか。
今回はこのCDの音楽とナレーションがとても心に響き、
これまでいろいろ試みても解放できなかった心の囚われが、
嘘のようにクリアーになりました。

この本の中にこう書かれています。
『毎日の現実こそがワークであり、周りの人すべてが自分の教師であり、
 トレーナーであり、導師なのです』


ここ数日間頭を悩ませていたこと、
その悩みを生じさせてくれた人こそが教師でありトレーナーであり、
そこから得た学びがコップの中で満杯となり、
その水があふれるその瞬間の役割を、
このCDがしてくれたのだと感じます。


『節から芽が出る』
いろんなことを体験し、新たなことを感じ取ることができる、
それが節目の価値であり、
それを活かしたならば、自らの宝としていくことができます。

今回も再びインドに行かせていただけること、
そこに至る導き、
それはインドとの間のシンクロとも言える出来事だけではなく、
日本で起こった心悩ませる出来事もまたご縁であり導きです。


『節から芽が出る』



人生に 節は つきもの
つまづいたり ころんだり なやんだり
いろいろな困難(節)に 出会う 
でも そういう ところから
生きる上での すてきな
知恵 や アイデア が
生まれる 気がする
生まれ変われる チャンスが
ある 気がする


    花詩書家:うさぎ庵のおはなししま書?  より

2017.2.7 Tuesday  
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