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ヨガナンダ



変革への道

この時空にあるすべてのものは生命を持ち、
一定のリズムの元、生々流転を繰返しています。

今大きく変わろうとしている時代の枠組みもまた、
季節の移ろいと同じく、
その動きは一定であり、それを止めることは誰にもできません。

私たちにできることは、
乗り舟である時空、地球、時代の動きを知り、
その流れに逆らうことなく、
いかに自然の理に適った振る舞いをするかということだけです。


今日は知り合いから「私に会わせたい人がいる」という連絡があり、
広島近郊の小さな町から来られた、
農業を営む小柄な年配男性とお会いしました。

その方とは初めてお目にかかったのですが、
着ているジャンパーの胸元には、
大きな段ボールで作ったプラカードをぶら下がっていたので驚きました。

『電子レンジを使わない。アルミ缶、自動販売機反対。原発を廃炉に』

そのプラカードにはそんなことが書かれていて、
外ではいつもそれをぶら下げておられるのだそうです。

「危険極まりない原子力発電に反対しています。
 そしてそれに反対するためには、
 自ら原発抜きで生きることができる生活を実践しなければ意味がありません」
その方はそう語り、昭和三十年代前半の頃の質素な暮らしを目標に、
日々の暮らしぶりを考え、実践しておられるのです。

自らの生き方を正すことによって社会に提言したいというその姿勢は、
とても立派なものだと思います。
けれど社会の動き、資本主義の仕組みというものは、
ひとつの意志を持った生命体であり、
人間の欲望をエネルギー源とするその社会構造の根本を変えていかなければ、
社会全体、そしてそこに暮らす人々の生き方や価値観を変えることはできません。

今の社会構造はそのままで、
そこにいる人に、今より質素で自然環境に負荷の少ない暮らしを求めることは、
ハッキリ言って不可能だと断言できます。


いったんケイタイ電話を持つ暮らしに慣れてしまったら、
元の固定電話しかなかった暮らしに戻ることはできません。

ケイタイ電話でもパソコンでも、より多機能なものが生まれれば、
それを進歩と感じ、善だと捉えるのは、ごく自然な感情であり成り行きです。

快適な冷暖房のある暮らしを一度経験すると、
できるならばその環境の中で24時間過したいと思うのが当然です。

利便性、効率性、快適性を求める暮らしは分業化を生み、
分業化は、自らが求めている暮らしが、
周りにどんな影響を与えているかを見えなくしてしまいます。

素敵なレストランで美味しい肉料理を食べていても、
その肉の元となる家畜を飼育するためには大量の飼料穀物を消費し、
それが食糧危機を招く要因となることや、
その家畜を飼育する環境、屠殺される現場の凄惨さ。
レストランが鉄筋コンクリートの建物なら、
その原料となるセメントを採掘するため、
また建築工事に使われる型枠のラワン材を南洋で採るために、
どれだけ大規模な環境破壊が行われているのかを、
頭の中で直接的にイメージすることは決してありません。

それが現実という実体を知る判断力を失わせ、
盲目的にひとつの極に突き進む大きな要因のひとつとなっています。

社会とは、本来はそこに暮らす私たちの幸福追求の場であり、
社会はそのための手段とならなければいけないのですが、
現実にはそれが逆転し、
「意志を持つ生命体としての社会」を維持し増強するための手段として、
私たちが存在するという形になっています。

社会から「潜在的不全感」を植え付けられた私たちは、
頭で描く「より幸福な暮らし」という幻想を求め、
より大量に物質やエネルギーを消費する道をひた走るしかないのです。


この流れを変えるには、
例えば分業化をストップするために、
現在ものすごい勢いで進んでいるグローバル化と逆行し、
より狭いコミュニティーでエネルギーや食糧といった
ライフラインを確保する社会体制が必要です。

これは地産地消、自給自足というスタイルですが、
このような今の社会の中における “自然の流れ” に逆行するような
仕組みを作ることは、
政治的改革といった生やさしいものでは実現不可能です。


今の社会が制度疲労を起こし、限界を迎えていることは誰もが感じることですが、
この変えていかなければならない社会の仕組みとは、
ここ数年の民主党政権、数十年前からの戦後日本のあり方、
あるいは18世紀の産業革命以降の物に対する考え方といった、
そんな短いスパンのものではありません。

最低でも先の文明交代期の800年前からのもの、
たぶん間違いのない推測で言えば、
貨幣経済が誕生した時から、
あるいはもっと以前、人類が社会というものを形成しだした時からの課題を
今解決し、新たなるパラダイムシフト(社会の枠組みの変革)をすることが
求められています。


今日はプラカードを首からぶら下げ、
自分一人で社会への提言を行っているおじさんと出会い、
周りの人に “自制” を求めることだけでは、
この社会の大きな流れは変えられないという思いを抱きました。

けれどもそれとはまったく逆に、
そのおじさんのように、まずは自分のできることから懸命にやっていくことが、
社会を変えていく唯一の道だという思いも同時に持ちました。

究極的には、自分の想念が周りのすべてを形作っています。
想念は、自らの行動という裏打ちがあって、
その力をより一層強めることができます。

この時空を支配する法則のひとつが共生です。
様々な個性あるものが存在し、
それらがバランスよく調和するところから大きなエネルギーが生まれます。

個性があり、その人独自の役割があるからいいのです。
そのおじさんのように、農業を営み、
大地から学んだ知恵を自らの生き様で発信していくのも大切でしょう。
政治家には政治家の役割、大学教授、建設業、商店主、主婦の方、
みんなそれぞれの個性があり、役割があり、
その中で自分のできることを精一杯やっていく、
それが社会を変えていく第一歩であり、すべてだと今日感じました。


今目の前に来ているこの社会の大波を乗り越えるのは
容易なことではありませんが、
偉大な霊性を持つ私たち人間が持てる力をすべて発揮したならば、
それは実現不可能なことではないと思います。

そのための道、それが自分のできることを精一杯やる、
やはりこれに尽きるでしょう。

2012.3.7 Wednesday  
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