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ヨガナンダ



蘇る感覚

私たち人間は、普段から五感や身体すべての能力を
使い切っているわけではありません。

快適で利便性に富んだ暮らしに慣れ、
日々膨大に飛び交ってくる情報を迅速に処理することには長けていても、
大地、自然から伝わってくるメッセージを体で受け止めることは苦手です。

自然とともに暮らしていた昔の人たちは、
風や雲の動きで天気の流れを知り、
植物や動物の様子を見て、季節の移ろいを感じていました。
その頃の人たちは、たぶん今の私たちには感じ取れない自然からの情報を
五感や身体を通して感じ取っていたものと思われます。


最近自分自身の感覚が、
以前の状態から少しずつ変わってきているのを感じます。
「もう少ししたら超能力に目覚めるかもしれない」ということを先日書きましたが、
その感覚がますます高まってきています。

何が変わったか、それを言葉で表すのはとても難しいことです。
ただ目に見えるもの、耳で聞こえるものが、これまでとは違ってきているのです。

物理的に見えたり聞こえたりするものは以前とは変わらないのですが、
それを受け止める自分の内面が、
これまでよりもより深いところでその情報を処理しようとしているのを感じます。


なぜそうなったのか、これを説明するのもまた困難です。
なぜならば、身の回りで起こっている事はすべて深い関わりを持っていて、
単独のものを上げ、これが原因だとすることは本来不可能だからです。

自分の感覚としては、昨年の11月、12月、
スーハゆうじんさんと出会い、ステレオを家に置くようになった辺りから、
自分の内外の世界が急にスピードを増して変化してきたように感じます。

そんな中で、感覚的変化に最も大きく直接的に寄与したと考えられるのは、
やはりステレオの音だと思います。

音にはそれだけ大きな力があります。
そしてその大きな力を、
家に置いている私のステレオは持っています。


音や音楽については、これまでいろんなページにたくさんのことを書いてきました。
言葉ではない世界を言葉で表現しようとするのですから、
どれだけ読まれた方の理解を得られたかは分かりませんが、
どんなに言葉を尽くしても語り尽くせないほど、
音は奥の深い世界を秘めています。

音と音楽、
物理特性で示される陽の音、内的なものに感応する陰の音、
音楽的表現と音楽的感動、・・・
音の世界は、分け入っても分け入っても先の見えない深い森のようです。


その音や音楽を再生するステレオの中で、
音楽的魂、自然の理に則した音、生命法則に基づいた仕組み、
こういったことに最も着目しているローゼンクランツのシステムを
我家に置いています。

そのステレオの音を日々聴き続け、
またテストレポートを書くため、
ローゼンクランツの様々なパーツを交換し、
また自分なりに音から感じ取れる法則を活かすべく工夫を重ね、
その変化や法則を自分の耳と体で真剣に感じ取ろうとしているのですから、
その音の根幹、大きく言えば生命の根幹に意識が向いていくのは自然なことです。

たぶんほとんどの方は、
そこまで深い世界を表現できるステレオの音を耳にした経験がないでしょうから、
ここに書いていることを体では分からないかもしれません。
けれど最低限分かっていただきたいのは、
生命の観点から見た自然でいい音とは、
大きなスピーカー、大出力アンプが鳴らすハデで迫力のあるものではなく、
一流の舞台俳優が、舞台の上でささやくようにつぶやいた台詞でも、
ホール全体の観客の耳に届く、そういったエネルギーの芯を捉えたような音です。


今日、そのローゼンクランツの貝崎さんから電話がありました。
「酒井くん、いや〜大変なことになったよ ・・・ ♪」

ローゼンクランツを愛用するお客さんの中で、
耳があまりよくなく、補聴器を使いながら音楽を楽しんでいる方がおられるのですが、
その方が最近機器を少しずつグレードアップしていく中で、
なんと聴力が回復してきたと言われるのです。

これはたぶん私の内的な感覚に少しずつ変化の兆しが見えてきているのと
同じ現象なのでしょう、
その方の感覚がすごくよく理解できます。

音や音楽を通して伝わってくる生命の本質が、
耳や体を通し、自らの生命体、その波動と共鳴するのでしょう。
音に感応する己の内面を見ていると、
生命の本質が波動と共鳴する振動体であることがよく理解できます。


私たちが本当に目を向け、耳を傾けなければならないものは何なのか、
ステレオの音に耳を傾け、自分の内を見つめ、
今それを感じ取ろうとしています。

そして今ひとつ感じるのは、
身の回りにはあまりにもバーチャル(仮想)なものがあふれすぎていて、
物事の実体が見えなくなってしまっているのではないかということです。

「仮想交流」でフェイスブックのようなSNSサイトの危険性を書きましたが、
あのページを書いてから、
もうほとんどフェイスブックのページを見ることができなくなりました。

自分の内こそが実体でありリアルな世界です。
真理はそこにのみ存在し、
外なる世界はあくまでもバーチャルなものであり、
それは鏡の存在として、内を見つめる手助けをすることが本来の役割です。


己の内にすべての真理は存在します。
研ぎ澄まされた感覚で、その世界を見つめていってください。

2012.2.9 Thurseday  
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