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自然から学ぶ

昨日掲示板に片鼻呼吸についてのご質問をいただきました。
片鼻呼吸の効果については、
自らの実践から語ることはできますが、
その理論的根拠やそれを証明することとなると、
よく分からないというのが正直な答えです。

東洋的な知恵というのは、
ミクロ的時空間の中で分析する科学的なものとは対極にあり、
目に見える数字のような形で理論立てていくのとは異なります。

それがまったくできないというわけではないのですが、
基本的には感じるものであり、
自然の理から、腑に落ちるように納得していくものです。

    Don't think ! Feel ! 考えるんじゃない! 感じるんだ!




ここに私の東洋や東洋的な知恵についての考え方を書いてみたいと思います。

私が東洋の知恵と出合ったのは、
いつも書いているように、平成元年に文明法則史学を知った時です。

無機的にしか捉えていなかった歴史の流れに命がある。
そして歴史のみならず、すべてのものに命があるということを知ったのは、
私にとっては衝撃以外のなにものでもありませんでした。

東洋の知恵というのは、すべての「もの」や「こと」にある命を知るということと、
究極的に同じです。

遺伝子DNAと同じく二重らせんで描かれる東西両文明の興亡図からすると、
今はきわめて大きな歴史の大転換期であり、
これからは東洋の時代がやって来る。
では東洋の時代とはいったいどういったものなのか、
それこそ潜在意識レベルも含めると、
一日24時間、一年365日、それ日以来そのことをずっと考え続けてきました。

考え続けてきたというよりも、
感じ続けてきたという方が的確かもしれません。


東洋の知恵について書かれた書物は山のようにありますが、
私はそれらにほとんど目を通したことがありません。

東洋の知恵は、自ら感じ取ることができるものであり、
また自らが感じ取ったものこそが、
本当の意味で、知恵に昇華すると考えるからです。

こんなことは西洋的科学の世界ではありえませんが、
西洋と対極の東洋では、深い真理こそシンプルであり、
子どもでも容易に理解できるものと捉えています。

西洋の英知がたくさんの知識の集積されたものの上に成り立つのに対し、
東洋的な知恵は、思い込みや常識といったものを排し、
自然や生命を素直に見つめることによって気づくことができるものです。

西洋の知識や文化が、外に高い階段を築いて構築していくのに対し、
東洋のそれは、己の内により素直で研ぎ澄ました目を持つことにより、
手に入れることのできるものです。

西洋が外に目を向けるのに対して、東洋は内に目を向けます。
そして西洋が様々なものの違いに着目するのに対して、
東洋は、すべてのものに共通するもの、
その命の仕組みに着目していきます。

共通したものに着目していくがゆえ、
内に新たな気づきを得れば、
それをきっかけに、また新たな気づきを連鎖的に得ることができます。

クロスワードパズルをしていて、
ひとつのマス目の文字が分かったら、
それに関わる他の単語がいくつも分かってくるのと同じです。


私は20年ほど前に簡単な東洋的考え方の概要を知ってから、
そのすべてのものに潜む生命の法則とはどういったものなのか、
どこに隠れているのか、
そういった目で周りの物事すべてを見るように意識してきました。

そして絡まった糸が少しずつほどけていくように、
ひとつ、またひとつと、生命の様相が理解できるようになってきました。

その生命の様相というのは、
自然の成り立ちそのものですので、
誰にでも本来容易に理解し、納得してもらうことのできるものです。

今は季節が夏であるとするならば、半年後には冬になっているはずです。
東洋の生命、自然の法則とは、
どんなものであれ、一度理解してしまえば、
その季節の流れとまったく同じレベルで感じ取ることのできる世界です。


ただシンプルなものほど奥が深く、いろんな意味を含んでいて、
言葉で単純に定義するのは難しいのです。

例えば、先に「考えるんじゃない! 感じるんだ!」という
ブルース・リーの言葉を紹介しましたが、
東洋的な見方では、「感じる」というのは実に深いものなのですが、言葉として、
  私は ・・・・・・ と感じます。
  私は ・・・・・・ と考えます。
この二つを比べた場合、
「考えます」と書いた方が、
より確かで深い信念を持っているかのような印象を受けます。

私は文章を書く場合、文末表現が単調にならないよう、
感じます、考えます、思います、といった言葉を意識して使い分けているのですが、
それは必ずしも理想通りにはいかず、
かなり妥協していることに常に心苦しさを感じています。

やはり東洋の知恵は、言葉でストレートに表現するのは困難です。


東洋思想の根幹である陰陽論も、
相対のものであるがゆえ、見方によって千変万化し、
ひとつの言葉で言い表すことが難しいのです。

先日ある知り合いが、こんなことを話していました。
「レディー・ガガのパワーはすごいね。
 彼女は肉体的には女性でも、本質はほとんど男みたいなものだね」

それは私もそう思います。
けれども見方を変えれば、彼女の強烈なパワーというのは、
まさに無から有を生む、生命を誕生させる女性性そのものではないかとも感じます。

今の世の中を見渡してみると、
「生命力」と呼べるほどの強烈なパワーを表現しているのは、
そのほとんどが女性です。

陰陽はシンプルですが、絶対的なものではなく、
時と場合によっては真逆に変化することもありえるのです。


すべてのものに命があるということは、
すべてのものの成り立ちには、何かそうなった理由があるということです。

人間の体はほぼ左右対称の形になっています。
目や耳、肺などのように、
左右にひとつずつ、二つで構成されているものもあれば、
心臓のようにひとつだけで、左右非対称のものもあり、
口のように、ひとつだけれども完全に対称形のものもあります。

それらの理由をひとつずつ考えていけば、
自然や生命というものがどのように成り立っていて、
どのような働きをしてるのか、それを知る大きな糸口となります。

偉大な生命体である人体構造に、
けっして意味のない無駄などないのです。


けれども科学では、今あるものの働きは研究しても、
なぜそもそもそのような形になったのかということは、
研究の対象にすらなりません。
それは科学的検証の範疇外です。

科学とはミクロの世界のものであり、
すべてのものとの関わりの中に存在する生命の本質は、
なかなか科学だけでは理解することはできません。

それは科学が悪いのではなく、
科学がひとつの極であり、もうひとつの極であるマクロ的な生命観を加え、
はじめて太極として大きな働きをするものなのです。


人間の遺伝子情報DNAは二重らせん構造、
歴史の流れも二重らせん、
人間の大脳は右脳と左脳ふたつに別れ、
そこから出される指令は神経に乗り、延髄で左右にねじれ、
右脳は左半身、左脳は右半身の機能を司っています。
つまり脳、神経の構造も二重らせんです。

これは何を意味するのでしょう。
どう言葉で表現すればいいのでしょうか。

私がこのことを突き詰めて考え、
そして出した結論が、
『この時空は共生・循環・フラクタル、この三つの基本法則によって成り立っている』
ということです。
  ・・・ 生命システム<2> ・・・

脳は大量の酸素を消費します。
その酸素を脳に供給する役割は鼻であり肺です。
鼻の穴も肺も二つあり、左右の肺を意識的に使い分けることはできませんが、
鼻の穴は指を使うことにより、使い分けることが可能です。

科学的理由は分かりませんが、
鼻の穴が左右二つあるということは、
その機能に何か違いがあり、二つでバランスをとっていると考えるのが、
東洋的なものの見方であり感じ方です。

このことについて深く考察した文献があるかどうかは私は知りません。
鼻の穴が左右二つである理由を科学的に検証するのは困難ですが、
それを使い分けることによって心身に与える影響をデータとして取ることは、
さほど難しくはないでしょう。
ですからそういったことをした人はいるかもしれません。


私たちはどうしてもすぐに科学的に検証されたものを求めがちです。
それはまだ時代的に科学信奉主義が根強いということ、
そして科学的でないものは、すぐにその真偽を証明できないのですから、
どうしてもまがい物が混じってしまうということもあるでしょう。

けれども時代は確実に、
東洋、生命、精神、マクロの方に向かって急速に動いています。
これからの時代は考えるのではなく感じる時代です。

「ほら自然の姿を見てごらん。
 木や鳥や雲たちが、そう語りかけているじゃないですか ・・・ 」

こんなロマンチックな一言で、互いの意志が通じ合えるような、
そんな時代が来るのでしょう。
いわゆる「阿吽(あうん)の呼吸」、語らずして語る世界です。

そんな素晴らしい世界の到来を夢見ながら、
これからも、自然、命とともに暮らしていきましょう。

  自然にあるものこそが素晴らしい、我々はそこから学ぶだけである。
                         〜 アントニ・ガウディ 〜


2011.8.11 Thurseday  
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