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有り難し

毎日外ではiPodから流れる英会話を耳にしているのですが、
今日は突然その英会話の音が途切れるというトラブルに見舞われました。

再生してはしばらくしてストップし、また再生し、・・・
これを何度も繰り返し、しかたがないので別のCDにトラックを移すと、
その場はなんとか無事トラブルを回避できました。

家に帰ってiPodを充電すると、
今度は画面が真っ暗になったまま、
どのボタンを押してもまったく動く気配がありません。

パソコンにつなぎiTunesを介してiPodを工場出荷状態に戻し、
その後いろいろやってみましたが、
なんとかプログラムは元通りになって再生はできるものの、
iTunesを介してiPodの中のプログラムを操作することができなくなりました。

ネットで対策を調べ、試行錯誤してみたのですが、
たぶんかなり高い確率で、iPodのハードそのものに不具合が生じているようです。


私にとってはiPodは必需品ですので、
こんなトラブルがあると少し落ち込んでしまいます。

今使っているiPodは二世代前のもので、
普段使うにはまったく不満な点はないのですが、
完全に動作しなくなってしまったら、新しいものを買わなければなりません。

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けどものは考えようですね。
今日壊れてしまったとは言っても、完全に音が出ないわけではありません。
もしかしたら、後日元の調子を取り戻すかもしれません。

また完全に壊れてしまっても、
新しいものを買えば、また別の世界が拓けてくることだって考えられます。

トラブルに接し、落ち込んでいて得することは何ひとつありません。


そういえばよく考えてみると、
こんなトラブルや無駄な買い物、タイミングが悪かったとか、
そんな失敗のようなことが、最近いくつかあったように思います。

そんな “マイナス” のことは、なければないに越したことはないでしょうが、
失敗から学べるものも多々あり、
また形あるものはいつか壊れるのは必然の理ですので、
そんなことをいい悪いと気にする方がおかしなことです。

常に気持ちを穏やかに、感情を波立たせない、
そんなことをいつも考えているのですが、
本当にそれができているかどうかは、
こういったトラブルに見舞われた時によく分かります。

すべてが順調、思いの通り、何の問題もなくことが運んでいる時には、
誰でもにこやかな気持ちでいられるものです。

それが一転自分の思い通りではない現実が目の前に現われた時に、
心の奥に潜んでいる思いが湧き上がり、
その人の真価が問われます。


何事にも感謝できる人は立派な人です。
感謝できるというのは、
どんな物事に対しても、そのいい面を見つめられること。
そんなものの見方ができるということです。

感謝、幸せ、それは自分の外の物理的条件にあるのではなく、
自分の心の中にある『ものの見方』の中にあるのです。

それを知るため、また感謝、幸せといった気持ちで心を満たすためにも、
「思い通りにならない現実」というものが必要になってきます。


有り難い、有り難うとは、
なかなか存在しがたい、めったにないこと、
だから “有り難い” というのが語源です。

これは別の解釈として、
難が有るから有り難いと見ることもできます。

難儀なこと、トラブルがあるからこそ、
平穏な日常や、ただ今この瞬間に生きていることが、
有り難いと思えるようになってきます。


難儀やトラブルは有り難いものです。
人が何かを決意した時、その直後に邪魔の入ることがよくあります。

お酒を止めようと決意したら、
その直後に楽しい宴席への声がかかったりします。

こういうシンクロは、たぶん自分がその決意を試すため、
また強固にするために、自らが引き寄せる “難” なのでしょう。
  (宴席へのお誘いは楽しい難ですが ^^ )


知り合いの農家の方が、
「天候が順調な時には誰でも作物を育てることができる。
 けれど天候や害虫等によるアクシデントに見舞われた時、
 それをいかに回避できるか、
 その危機回避能力がなければプロにはなれない」
と言っていました。

私たちが人生をよりよく生き、
常に幸せと喜びを感じていられるためには、
この人生の危機回避能力という、
どんなトラブルに際しても、決して自分を見失うことがなく、
常に平穏な自分を保てることが必要不可欠です。
  参考 ・・・ 「上虚下実」

これは頭で理解することではなく、
やはり人生の様々な経験を積んで、初めて身に付いてくるものでしょう。

けれどもそのことを頭に入れておくだけでも損はありません。
よく考えてみてください。
人生、楽しいことよりも、苦しいことからの方が、多くのことを学べるものです。

だったら苦しいことが目の前に現われたら、
「やった〜、チャンスが来たぞ! これでまたひとつ成長できる!」
と大いに喜べばいいのです。


畑から得られる実りは、
自分が種を蒔いた分だけです。それ以上でもそれ以下でもありません。

だったらその実りが、
昨日、今日、多い少ないといって大騒ぎする必要はないのです。
ただ日々種を蒔き続け、黙って実りを待っていればいいだけです。

果報は寝て待て、
土の中に蒔いた種を、まだ芽は出ないかと土をほじくり返していては、
永遠に種から芽を出すことはありません。


『難有り、すなわち有り難し』、
すべては自らの糧とすべきためにあるのです。

2011.7.13 Wednesday  
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