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心の範囲

昨日は月に一度の公衆トイレ掃除の会がありました。
前日から雨がシトシト降っていて、
前日の天気予報では掃除をする時間帯は大雨の予想だったのですが、
それまでにまとめて降ってくれたのか、明け方には雨が止み、
まったく雨に濡れることなく掃除をすることができました。

掃除の会は不思議と天気に恵まれます。
これもトイレ掃除のご利益なのでしょうか。

今回は直前まで天気が不安定だったので、参加人数は9名と少なめでしたが、
みなそれぞれ熱意を持って掃除に取り組みました。

昨日の会場となったみずとりの浜公園は、
新しく埋め立てられたきれいなところで、
公園の真横に大きくて立派な高層マンションが建ち、
整備された公園、その駐車場と環境は抜群です。

みずとりの浜公園

雨上がりのかすんだ空に、遠く宮島を望むことができます。

安芸の宮島を望む

海沿いの都市には、
こういった埋め立て地に建つ新しい街がよく見受けられるものと思います。

近代的で整備された美しい街並み、
けれどもそれだからこそ、
人の心や手の行き届かないところがあれば逆に目立ってしまいます。

前日下見に来た時から気になっていたのですが、
公園入り口のポールの立っているところが雑草で覆われています。



雑草は公園の回りの石垣その他いたるところに生えているのですが、
やはり正面入り口という場所に生えている雑草は、ものすごくよく目立ち、
きれいな公園とはまったく似つかわしくない荒涼たる風情を醸し出しています。

素晴らしい環境の中にあり、子ども連れの方たちで賑わっているこの公園で、
なぜ誰もこの雑草を抜こうとしないのか、
それがとても不思議です。

隣接するマンションは、かなりの世帯数の方たちが住んでいることでしょう。
その方たちもこの公園を憩いの場として利用し、
きれいなマンションのお家の中は、
きっとそのマンションの外観に相応しいインテリアで飾られていることと思います。

この公園を利用する方たち、近隣にお住まいの方たち、
そういった方一人一人が、ほんの少し心を配り、手をかけ、
一ヶ月にたった10分程度でもいい、
自分たちの回りの環境を美しくすることに心と体を使ったなら、
どれだけ美しい環境を保つことができるでしょうか。

そしてその美しくなった公園というのは、
そこを訪れる人たちの心を、今の何倍も癒してくれるはずです。


私たちは自分の部屋はきれいに片付けますが、
街中を歩いている時に落ちているゴミを拾うのには勇気がいります。
もしそのゴミの落ちている場所が家の近所なら拾うかもしれませんが、
家から遠いところのゴミを拾って捨てる人はごくまれでしょう。

つまり人は「自分の範囲」と思えるところには、
手や心をかけるものの、
そこから外れたところには目を閉ざしてしまうのです。

自分の範囲とは、自分の心が決めるものです。

自分の家の敷地から一歩でも出たところの汚れは
まったく気にならないという人がおられます。
それとは逆に、向こう三軒両隣、
自宅の周りのかなり広い範囲を自らすすんで掃除する方もいます。

どこまでを自分の範囲と思えるのか、
それが自分の「心の範囲」であり、
それが豊かさといえるものではないでしょうか。


公園の雑草は、市や県に頼み、業者に定期的に抜いてもらえばいい、
自治会で当番を決めてやればいい、
そういった問題ではありません。

もちろんそういった方法が最も合理的で民主的な方法なのかもしれませんが、
今最も尊ばなければならないのは私たち日本人の持つ美徳であり、
それは “思いやる” 、 “察する” 、 “気遣う” 、そういった心です。

そして自らの心の範囲を広げること、
「私の幸せ」という輪を広げ、その大きな輪の中に、
「周りの人たちの幸せ」というものを取り込んでしまうのです。

私たち日本人はそれができる特質を十分に持っていて、
今という時代の大転換期において、
世界のひな形としてそれを示すことを強く求められているのだと感じます。


今から22年前の平成元年、
あるビジネスセミナーで流行についての講義を受け、
そこで、「これからは社会性投資の時代である」という言葉を聞きました。

社会性投資とは、社会のために投資するという意味です。
たとえば普通のノートが一冊100円だったとして、
資源を守るため、そのノートの紙に再生紙を使い、
少し余分に費用がかかり一冊110円になったとすると、
余分にかかった費用の10円は社会のための投資であり、
これからの時代は、消費者が率先してこういう投資をするだろうということでした。

そしてそれは実際に現実となり、
少し値段が高く、また質も劣るリサイクル商品を、
自らの意志で購入する人たちが増えています。

またいくら利便性の高いものでも、
環境に対する配慮がなされていないものは、
市場で受け入れられることがなくなりました。

このたびの震災でも、
私たち日本人は世界中を驚かすような素晴らしい美徳を発揮しています。


私たちに求められているのはこの美徳であり、
自らの心の範囲を、今よりほんの少しだけ広げることです。

これまでは自分の家の中さえきれいであれば満足していたものを、
家の前も、少し歩いたところにある公園も、
自らの「心の範囲」に取り込み、
手と心を使ってきれいにしていったなら、
どれだけ素敵な社会が誕生することでしょうか。

手の行き届いた街並み、道路、公園、
汚れているところがあれば、通りがかった誰かがそれをさりげなくきれいにし、
行き交う人同士が微笑み合いながら挨拶を交わす。

ほんの少しの心構えと行動で実現するこの社会、
これぞ地上の楽園ではないですか。

地上の楽園は国や行政が作ってくれるものではありません。
私たち一人一人、自分自身から作り上げていくものです。

草むしりした後のみずとりの浜公園

抜いた雑草も、また時を経ていつか生えてきます。
それと同じように心の範囲を広げ、美徳を保っていくためには、
継続した努力が必要ですが、
雑草も最初にがんばって抜けば、
後は簡単なメンテナンスで美しい状態が保てるように、
まずは最初の一歩が肝心なのです。

街を歩いている時、目の前にゴミが落ちていたら、
たとえ回りにたくさんの人がいたとしても、
それを勇気を振り絞って拾い上げてみてください。

その行為が最初の一歩であり、
それはあなたの人生にとって、きっと何よりの宝物となるでしょう

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2011.6.12 Sunday  
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