ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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永遠の生

このたびの震災で、日本人全体の意識は確実に一段進化しました。
けれども別の面から見たならば、
これはひとつの「試し」であり、
これまで学び、感じてきたものが、
本当に身に付いているのかどうか、それを試されているように感じます。

私は超理想主義者であり、
かつ死生観は普通の人とは異なっているということをこれまで書いてきましたが、
それはやはり筋金入りのものであったらしく、
震災を機にその思いがますます強くなり、
「いざ鎌倉」とばかりに、鉢巻きを締め直す気持ちで張り切っています。

そしてこれは本当に偶然なのですが、あるキッカケで、
本当に鎌倉に行き、文明法則史学の創始者である村山節先生が、
「歴史は直線の分析よりはじまる」という天啓を受けた、
鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝したいという気持ちが高まってきました。

神社仏閣やパワースポットと呼ばれるところに行きたいと考えたのは、
母が亡くなった95年以来16年ぶりのことです。
今だからこそ「己の志を確認したい」と魂が願っているのでしょう。


私は死というものがまったく怖くありません。
逆に強い憧(あこが)れを抱いているぐらいです。

もちろん肉体を持った人間ですので、
死に至るまでに通らなければならないその扉をくぐることには、
多少の不安と恐怖心を持っています。
やっぱり痛い思い、苦しい思いはしたくありませんので ・・・ 。

私が師として憧れ、ハンドルネームにさせていただいている
パラマハンサ・ヨガナンダ師は、
マハサマディという「これから肉体を離脱する」という意識を持ち、
瞑想状態のまま死への扉をくぐりました。

パラマハンサ・ヨガナンダ

私もできるならば、このヨガナンダ師の至った境地の足元にぐらいは到達したいと
いつも願っています、


死生観については、「死への扉」のページでも書きました。
そして再びここで死について書きたいと思ったのは、
今日本が非常時とも言える国難の時だからこそ、
私の死生観を読んでいる人たちに共有していただくことで、
死へ対する恐怖心を払拭してもらい、
その対極にある生への希望を強く持っていただきたいと願うからです。

何度も繰り返し書いてきたように、
恐怖心という感情は冷静な判断力を奪い、
暗い未来を創造する力を持つものです。

死への恐怖を捨て去ることによって、
どれだけ楽に生をまっとうすることができるでしょうか。

死を恐ろしいものだと思い込んでいるのは、
死後の素晴らしい霊的世界に強い憧れを持ち、
今現在の肉体を持っている生に対して意識が向かなくなってしまうのを防ぐため、
意図的にしているものなのです。

この時空にあるものはすべて共生し、循環しています。
私たちの肉体の生は、滅した後は灰となり、土となり、
新たなる動植物、鉱物の生となって生まれ変わり、循環します。

永遠不滅の魂、霊といった存在は、
時には肉体をまとい、その肉体が滅した後には純粋な霊的存在となり、
あの世とこの世、渦を巻くようにして輪廻転生を繰り返し、
ひとつの方向に向かって進化していきます。

この時空にあるいかなるものでも、
この共生、循環のルールに則り、
時とともに形を変えることはあっても、完全に滅してしまうことはありません。

これが時空、生命の実相であり、
このルールには、万にひとつの例外もありません。


このことは、我々の身の回りの自然、生命を見つめていれば、
きわめて容易に理解できることです。
なにも難しい理論や分析は必要ありません。

私は何度も体外離脱を体験し、その際様々なビジョンを見、
また母の死に際し、その光り輝く魂の実在を体で感じたので、
死というのは恐ろしいものでも、永遠の終わりでもないということを
知っているのです。

このことはたぶん多くの方が頭では知識として理解されているでしょうが、
まだ『知っている』という段階にまで到達されていないであろうと思われます。

私はたまたまそういう体験をこれまでにしたことがあるので、
その体験と、その体験から得た感覚をみなさんと共有することにより、
皆さん方の死に対する認識が、一段より深いものになればと願っているのです。


死の恐怖を克服すれば、
逆に今与えられている肉体の生というものが愛おしく感じられます。

生きていることに感謝をし、
「生きてるだけで儲けもの」という気持ちも湧いてくると思います。

そうなるための具体的方法として、
やはり私一押しの「体との対話」を実践していただきたいですね。
毎日お風呂の中で、
「今日も一日よく働いてくれてありがとう♪」
と体を慈しみ、感謝の言葉をかけ、手で優しく撫でてあげてください。

そうすれば理屈ではなく体の奥から、
ただ生きていること、ただ今日も一日無事過すことができたこと、
それに対して深い感謝の気持ちが湧いてくるはずです。


永遠の生に視線を向けることによって、
今しかない、この肉体を持った生に、深い慈しみと感謝の念を感じてください。

今日も一日ありがとう。

私たちは、価値があるから生きているのではなく、
生きているから価値があるのです。

※ 私はそのことをインドの子どもたちから教えてもらいました。
    「生きているから価値がある」

2011.4.5 Tuesday  
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