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外側から知る

素直になる、自分を愛する、
このことをこれまでたびたび書いてきましたが、
これはどちらも自分の内側に目を向けるものです。

目を向ける、・・・
別に目を向けるではなく、耳を傾ける、
あるいは鼻や舌を傾けるでもいいのですが、
やはり現時点で私たちは視覚というものの影響力が最も強いので、
「目を向ける」という例えになるのでしょう。

しかしその目は自分の体の外側を見るための機能しかありません。
そしてその外側しか見ることのできない目で自分の内を探ろうとするからこそ、
本来最も身近で大切であるはずの自分の内面は、
なかなか見つめることができないのです。

  ※ これから「心の時代」になるにつれ、骨伝導聴覚という
     内向きの器官を持つ聴覚の存在意義が高まってくるでしょう。


目はすぐにだまされます。
私たちは「この目で見たものは正しい」と安易に考えがちですが、
目から入ってくる情報は、自分の中の「思い込み」というフィルターを通ったり、
また視覚の持つ機能性の限界により、
実際とは違った形で認識されることが多々あります。

ヘルマン格子

これは有名なヘルマン格子という錯視図ですが、
実際は真っ白である白線の交点が、
目の錯覚で薄い灰色に見えています。

こんな目の錯覚に気づかせてくれる図は数え切れないほどあります。
  <錯視 - Google 検索>


自分の外側にあるものを何人かの人たちで見た場合、
人によって見方が違うというのはよくあることです。

ミクロの世界での「不確定性原理」で証明されているように、
物事の真の姿を観測者の意志や立場を抜きにして見ることはできません。
あれは山なのか川なのか、動物なのか植物なのか、
こういったデジタル的に判断できるもの以外は、
厳密には100%客観的な尺度というものは存在しません。

また身の回りには日常的に膨大な情報があふれていて、
どうしてもごく一部を見ただけで全体を判断してしまうのは致し方のないことです。


視覚だけではなく、五感すべてを使って「自分自身で感じ取る」というのは、
とても大切なことです。
大切ではありますが、
だからといってそこから感じ取ったものが真実の姿であるとは限りません。

最終的には自分の内側を見なければならない私たちですが、
そこに至る過程では、
「人の振り見て我が振り直せ」といったような、
周りから学び、自分の持つ感覚の偏向性を修正しなければならないようなことが、
数多くあるのだと思います。


私は毎週金曜日の早朝、積極人間の集いという異業種交流会に参加しています。
朝7時からのスタートで、最初の40分間はその日のゲストスピーカーのお話、
残りの50分間は参加者全員による感想等の一言スピーチです。

ゲストスピーカーは、他推、自推でいろんな人が登場しますので、
その日によって面白い話の時もあれば、そうでない時もあり、
若干当たり外れがあるのですが、
その後の参加者の一言スピーチは例外なく興味深く、
それがこの会を二十年以上の長きに渡り続けさせてきた要因です。

参加者は、右翼の方、左翼の方、仏教徒、キリスト教の牧師さん、主婦、経営者、
いろんな人たちが入り乱れていて、
ひとつの話に対する感じ方もいろいろです。

毒舌でもって講師をこき下ろす人もいれば、
自分のまったく気づかなかったところに興味を示したり、
感動を受けたと話される方もいて、
その人それぞれの感じ方の違いというものに毎回すごく感心させられます。

またその人独特の感じ方というものがあって、
一言スピーチをしてもらうことによってその人の人となりがよく分かるので、
毎回参加している人たちの間では親睦が生まれやすいのです。


会にはほぼ毎回参加される八十歳前後の長老方が四名おられて、
この1月に、その内の一人Sさんが会に出られた三日後に急逝されました。

先日Sさんを偲ぶ会が市内のホテルで三十数名の参加者の下で行われ、
私も参加してきました。

弁の立つ方ばかり、
全員が一言ずつSさんにまつわる思い出を語り合ったのですが、
そこでもやはり私が抱いていたその方に対するイメージと、
他の方たちが抱いているイメージとのギャップにとても驚かされました。

もう三十年近くも前、私の父が亡くなった葬儀の会場に、
昔部下だったという女性の方が来て、
いろんな準備を手伝いながら、会社での父との思い出を語ってくださいました。
その時に初めて会社での父親の顔というものを知ったのですが、
Sさんを偲ぶ会に参加させていただき、その時のことを思い出しました。


自分一人で思いにふけっていると、
自分の考え方が、万人共通のスタンダードな思いだと
どうしても考えてしまいがちなのですが、
多くの人と触れ合い、違うものの考え方と接するたびに、
自分の持つ個性というものに気付かされます。


素直になる、自分を愛するということは、
自分の内なる世界を見つめる行為ですが、
自分の内面をストレートに見つめるためには、
自分の意識の表面と最も深い部分との間にある、
様々な感情や欲求というものをクリアーにしなければなりません。

そういった感情や欲求をすべて手放すか、
もしくは今現在自分がどういったものを胸の中に抱えているのかということを
自覚しなければ、
そのフィルターによって心の奥がかすんでしまい、
見ることができなくなってしまいます。

ですからいろんな人と接し、
自分と違う意見や考え方を持つ人と接することは、
自分というものを知るきわめて大きな手がかりとなります。


「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」 ・・・ 孫子の兵法

外を見て自分を見る目を養う、
外と内、自分の見る目を行き来させる、
これもひとつの循環の法則なのかもしれません。

2011.3.3 Thurseday  
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