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引き受けの神髄

原因と結果の法則、因果応報、
一粒万倍、蒔いた種は必ず実る、
身の回りのすべてのものは自らが創り出したものである。

この時空の根本法則は幼稚園児でも容易に理解できるほど簡単であり、
シンプルです。

この時空には無駄なものなど何ひとつありません。
すべてが必要があって創り出されたものです。

ですから私たちが嫌だと思うもの、邪だと考えるもの、
そういったものでも受け入れるということは、
自らの生き方を、時空の真理に対して一歩近づけるということです。

  宇宙はたらいの中の水である。
     その水を向こうに押すと、こっちに返ってくる。
       こっちに引くと去っていく
                           〜 たらいの法則 〜


無駄ではない、必要があって創り出されたものを忌み嫌い、
それを自分から遠ざけようとする行為は、
返って自分のところに引き寄せていることになります。

嫌だから、忌み嫌う存在であるからこそ、
それはその人にとって大きな学びや気づきを与えてくれる大切なものなのです。


これからの時代の大切なキーワードのひとつが「手放す」です。
新しい価値観の時代に入るには、
古い価値観、概念はいったん手放し、まっさらな心の状態に戻らなくてはなりません。

書店に行くと、断捨離、片付け、シンプルに生きる、・・・
こういったモノへの執着を手放すことの大切さを説いた本が
たくさん目に付くようになりました。
時代は確実に深化してきています。


邪なるものを引き受けるということは、
あれは嫌だこれは嫌だという心の中のこだわりや壁や執着、
もっと言うならば、心の中のガラクタを手放すことなのです。

そういった様々なものに対する「邪なるものだという考え」を
心の中から手放せたならば、
日常生活で何を見ても、どんなことを経験しても、
怒りや苦しみから解放され、すべては喜びに満たされることでしょう。


引き受け気功では、
自分や他人の病気や不幸といった「邪なるもの」をイメージし、
それに対して「引き受けさせていただきます」という言葉を繰り返し唱えながら
念じていきます。

この時に最も大切なのは、
心の底から「引き受ける」という気持ちで念じることです。

「引き受けるということを念じたら、嫌なことが自分から遠ざかってくれる ・・・」
などという御利益を求めてやるのであれば、
それは本末転倒です。

嫌なことの中にこそ学びや気づきがある、
そのことを思い、
「引き受けさせていただきます」と感謝の気持ちを込めて念じるべきものです。

そうは言ってもこれはなかなか容易にできることではありません。
またそこまで思わなくても、
「引き受ける」と念じることが大きな結果を生むのも事実です。


ではどうすれば心の底から邪なるものをも
引き受けるという気持ちになれるのでしょうか、
それはやはり行や実践を積むしかないと思います。

人生で苦労を積み重ねてきた人は、
何気ない行為や言葉の中に、
その人の持つ人生の厚みといったものを感じさせます。
これはいくらたくさんの本を読んでも身に付くものではありません。

「言葉は生き様」でご紹介した歌手の Aikaさんは、
家が崩れすべてのものを失い、瓦礫に埋もれている中で、

  ほんとうに大切なものは何なのか
    神様は教えてくれたのです。
      「命」に代わるものはないのだと ・・・


ということに気がついたと語っておられます。

また Aikaさんはブログの中でこう書いておられます。

世の中はインテリア風水が人気ですが、
阪神大震災で被災したAikaは、
両親のお気に入りの骨とう品も、こだわりのステキな家具も
美しい宝石やドレスなども、震災ですべてを失った時、
「物」への執着や依存をかなり卒業させていただきました。

ですので、人を幸せにするのは「物」ではなく、
「経験」や「ご縁」だと思っています。


これは阪神淡路大震災という「行」を体験したからこそ語れる言葉でしょう。
この言葉からにじみ出てくるものは愛というよりも慈愛ですね。
これこそがスピリチュアルな世界です。


引き受けるということは、
言葉で唱え、念じ、イメージするだけでは、半分の世界でしかありません。

実践や行を通して自分自身の体に
「邪なるものを引き受ける」という考えを染み込ませていかなければ
完全にはならないのです。

これは引き受けるということだけではありません。
どんな立派な話をセミナーで聴いたり本で読んだりしたも、
そこで得た知識を実践で活かし、自分の生き様としていかなければ、
本当に身に付いたということにはなりません。

知識だけでは半分の0.5です。
半分の0.5でも、それを積み重ねれば5にでも10にでもなります。
これはいわゆる頭でっかちの状態ですね。
一見ものすごく知識があって立派そうに見えますが、
実際には有益なものは何ひとつ生み出すことはできません。

男女一人ずつのカップルがいれば、
そこから新しい命を生み出すことはできますが、
男ばかり、あるいは女性ばかり10人いても20人いても、
そこからは新しい命が生まれてくることはありません。

知識だけというのはアンバランスな世界です。
アンバランスであるならば、
まだその世界が小さい方がバランスを取り戻すのが容易です。

現在の自称スピリチュアルな世界では、
残念ながら知識やテクニックを使い、
いかに物欲を満たすかということが主流になっています。

これもひとつの世界ではありますが、
それとは対極の行や実践を積み、
モノへの執着を手放すということをもっともっと進めていかなければ、
これからとんでもないアンバランスな世界へと入っていくのではないかという
危惧を感じています。


私は毎日お風呂の中で様々なものをイメージしながら
引き受け気功をしています。
「引き受けさせていただきます、引き受けさせていただきます ・・・ 」
もうこの言葉を何万回唱えたことでしょうか。
それこそ数え切れないほどです。

ほんの少しずつではありますが、
日々の生活を通して、
この引き受けるという感覚が深く身に付いてきているのを感じます。

昨夜も一心に引き受けるということを心に念じていると、
あるひとつの思いが浮かび上がってきました。

それは引き受ける、あるいは受け入れるという言葉の語感には、
どうしても「嫌なものだけれども ・・・ 」という気持ちが含まれているのですが、
本当は嫌なものにこそもっともっと深い感謝の思いを込めなければならない
のだということです。

好きなこと、楽しいこと、それは大いなる喜びです。
けれども嫌なこと、嫌いなもの、そういったことからこそ、
人は大きな学びや気づきを得るものです。


トイレ掃除を初めて経験した時は、
ほとんどの人が便器に素手で触れることに抵抗を示されます。
ましてや誰が使ったか分からない公衆トイレの便器ならなおさらでしょう。

けれどもいったん掃除を始め、便器が少しずつ光り輝くようになってくると、
便器と同じく掃除をしている人の顔もまた光り輝いてきて、
最初はおそるおそる便器に手を触れていた人が、
最後はのめり込むようにして便器の中に手を突っ込んでいるという光景を
よく目にします。

便器で最も汚れが溜まるのが小便器の水濾し(みずこし)です。
尿石がビッシリとこびりついた水濾しはそう簡単にはきれいにはなりませんが、
これがトイレの悪臭の大きな原因となっているので、
金属ヘラやサンドメッシュを使って徹底的にきれいにしていきます。

小便器の水濾し

この水濾しをきれいにするのがトイレ掃除の最大の醍醐味です。
水濾しを手にとって尿石がビッシリ付いているのを見つけると、
思わず嬉しくなってしまうほどです。

このトイレ掃除が、私にとっては「引き受ける」ということの実践行です。
お陰様で、今は尿石をはじめとするトイレの汚れはほとんど気にならなくなりました。
トイレを掃除した後は石鹸できれいに手を洗うのですが、
それでもなかなか完全には臭いは取れません。
けれどもそれも
「少しずつ臭いが取れていくのも楽しみのうち」程度に思っています。


私はトイレ掃除を通し、
トイレの汚れは人間生活にとって必ずともに付いてくるものであり、
忌み嫌うものではない、
またこれによっていろんなことを学ばせていただけるのだと思うようになり、
トイレの汚れが『気にならない』ようになりました。

けれどもこれでは完全ではないですね。
トイレの汚れは『気にならないもの』なのではなく、
本当は『感謝すべきもの』なのだということに昨夜初めて気がつきました。

私は人体の仕組みについて詳しくはないのですが、
トイレの汚れの元である尿石は、
当然ながら人体にとって無くてはならないもののはずです。

もし尿から尿石がなくなればトイレは汚れずにすむでしょう。
けれど体には大きな支障が出て、
たぶん生きていくことができなくなるはずです。

だとしたら、私たちが水や空気を大切だと思うのと同じように、
尿石だって生きていく上で大切な無くてはならないものなのですから、
深く感謝すべき対象であるはずです。


人の人生の上には様々な苦労や不幸と呼ばれるものがあります。
それはさながら人生における尿石のようなものかもしれません。
かなりの悪臭を放っているかもしれませんが、
それが無くては私たちは生きている目的を達成することができず、
そこからいろんなことを感じ、学ばせてもらうことができるのです。

この世の中に必要のないものなど何ひとつありません。
忌み嫌っているものを含めて、すべてのものに感謝の念を持つこと、
また持てるような自分になること、
それが引き受けるということ、手放すということの神髄です。

2011.1.23 Sunday  
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