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言葉の限界<8>

言葉に限界があるということを言葉を使って表現することに矛盾を感じます。

言葉では表現できない世界があります。
西洋的な「はじめに言葉ありき」ではなく
東洋的なはじめに心や愛があるという考え方の方が、
この時空の真理により近いように感じます。

このことを「言葉」を使って説明しようと考えたのですが、
とても空しさを感じるのでやめることにしました。
このことは以前「我が心の遍歴と新しい時代の理 裏の論理」に書いています。


言葉で表現しうる究極の真理は何だろうかと考えて、
ふたつの言葉が思い浮かびました。
ひとつは不立文字、真理は文字(言葉)だけでは言い表すことができないという
禅の教えです。

もうひとつは無知の知です。
これは人間としての知識や知恵の限界を知っている人間が、
本当の意味での知者だというような意味です。
これは言葉の限界ということにも通じます。

けれどもこの無知の知は、私の信じている
『身の回りの世界はすべて自分自身が創造したものであり、
 人間は神そのものである』
という考え方と相反するようにも受け取れます。

ただ無知というのは知識のことであり、
人間としての知識は限られたものであるということを知り、
それを手放し、その奥に潜む全知全能の英知を受け入れたなら、
誰しも神性に目覚めることができる、
こう考えたら矛盾なく納得できます。

これからの時代の大切なキーワードのひとつが「手放す」です。


言葉というのは本当に難しいものです。
私たちが生身の肉体を通して感じる五感の世界は、
見るもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、そして触るもの、
すべては滑らかに推移するアナログの世界です。

けれども言葉とは文字を使って表現するデジタルの世界であり、
滑らかなアナログの世界をいくら忠実になぞったとしても、
それに近いものは表現できても、
まったく同じものを再現することはできません。

デジカメの画素数がいくら向上したとしても、
印刷したものを大きく大きく引き延ばしていけば、
いつかは必ず粗い画素の集まりだということが分かってしまいます。


深く感動した時に「言葉で言い表せない感動」と表現することがあります。
本当に心の奥底にあることは、なかなか言葉では言い表せません。

公衆トイレの掃除をしていることが話題になると、多くの人が
「今「トイレの神様」って歌が話題になっていますね」
「トイレ掃除をするといいことがあるでしょう」
等々さまざまなことを話してくださいます。

けれども実際にトイレ掃除に携わっている人たちからすれば、
世間でトイレ掃除に関することがどんな風に話題になろうが、
また効果があると言われようが、
そんなことはまったく関係ないのです。

ただ自分自身が心地いいから、
やっていて心が洗われる、救われるから、ただそれだけなのです。
本当に心の奥で感じ取っていることは、言葉では表現することができません。

「トイレ掃除、いいですよ。よかったら是非一緒にやりましょう」
言えることはただこれだけです。


以前も書いたことですが、言葉には限界があります。
それを知り、いかに上手に付き合うか、
そして言葉というものと対になる心や実践を高めることによって、
言葉もより重みと力を増すことができるようになってきます。

こうしてホームページを通して読んでくださる方と交流が持てるのも、
言葉のお陰です。

感謝という言葉とともに、心に深い感謝の念を抱きたいと思います。



2011.18 Saturday  
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