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ヨガナンダ



時間

私たちは縦、横、高さ、三つの空間の方向性、
それに過去から未来に向けて過ぎゆく時間の流れを加えた
空間三次元、時間一次元の世界の中で暮らしています。

時間の流れというのは不思議なものです。
身近な範囲で時間の流れを眺めると、
それはひとつの方向に向かい、
ただ当たり前に淡々と流れているように感じますが、
その時間の流れに始まりはあるのか、また終わりがあるのかということを考えると、
途端に頭が混乱し、訳が分からなくなってしまいます。

宇宙創生の謎を解くインフレーション理論では、
宇宙誕生の前はエネルギーがほとんどない、
ただ有と無の間を行き来する「ゆらぎ」だけであるとしています。

ビレンキン博士という方の説明によると、
それは「無」の状態であり、時間も空間も存在しない、
ただエネルギーの高い真空とのことですが、
これは普通の人にとって容易に理解できる概念ではないでしょう。
  (ゆらぎがピークになるとエネルギーは高くなります)

時間も空間もない無の状態であってもエネルギーは存在し、
そのエネルギーによって時間や空間、そして物質が作られる。
意識の力によって現実の物質界が創造されるという認識と共通しています。


アインシュタインが説いた相対性理論では、
光の速さは一定であり、光速に近い高速運動体によって
時間の速度を遅らせ、未来に行くことが可能であるということが証されました。

1988年、キップ・ソーンという科学者によってタイムマシンの原理が公開され、
これによると理論的には過去に旅することも可能となります。

この原理は、現在論理的におかしなところは発見されていないのですが、
もし人が自由に過去を旅をすることができるのであれば、
現在の世界を形作っている因を変えることが可能です。

では過去に遡り、自分を産んでくれた母親を殺すとどうなるのでしょう。
そこから導かれる未来には、自分という人間は存在せず、
現在の世界とは矛盾してしまいます。

この矛盾をどう解決すればいいのか、
まだ結論の出ていない課題ではありますが、
ひとつの解決として多世界解釈という考え方があります。
もう五十年以上も前に提唱された物理学の仮説のひとつです。

それは現実から導かれる未来はひとつではなく、
無数に枝分かれした複数の未来が平行して存在するという考え方です。
つまり宇宙は無数に存在するということであり、
素粒子運動レベルのミクロ的瞬間に多数の未来が分離、枝分かれし、
一人の人間の人生、あるいは宇宙的時間というマクロ的時間の流れで見れば、
その枝分かれして生み出される宇宙の数は、
それこそ天文学的数字などという生やさしい言葉では表現できないほどの
量となるはずです。

もしそうであるとするならば、
きっと私たちの暮らす三次元世界よりもはるかに高次元の世界が存在し、
その中に三次元宇宙が無数に詰まっているという形なのかもしれません。

より高次元の世界から見れば、
三次元宇宙は、私たちが米粒を見る以下の存在でしょう。
米粒は小さくても大きさのある立体ですが、
次元がいくつも下がった世界というものは、
その大きさすらない、単なる概念みたいなものですから。

ちょっと難しいかもしれませんが、
例えば私たちは点や線といったものを目で認識することができないのと同じ事です。
点は本来大きさがないあるポイントを指し、
線には本当は幅がありません。
ただそれではまったく目に見えないので、
便宜上点には大きさを、線には幅をつけて分かりやすくしているのです。

大きさや幅がないものだったら、
いくらたくさん空間に詰めてもいっぱいにはなりません。


現代物理の概念を見ていると、
東洋的生命観やスピリチュアルな世界の考え方と
大いに共通点があることに驚きます。

この宇宙はフラクタル(自己相似形)であり、
銀河系の星雲も、素粒子が飛び交うミクロの世界もきわめて似た構造をしています。

似ているということは意味があり、
銀河の中にたくさんの星々があり、
そこにたぶん(!?)たくさんの生命体が暮らしているように、
もしかしたらこの宇宙を構成する無数の素粒子の中にも、
またひとつずつ別の宇宙や生命体が存在するのではないか、
そのな風に考えることができます。

そしてそれが多世界解釈でいうところの平行宇宙ではないのか。
また宇宙の大きさから見ると素粒子の世界はミクロですが、
その中にまた宇宙があり、またその中に ・・・ 、
といった具合に延々とくり返し、もしかしたらマクロ、ミクロといった概念は、
循環する相対世界であるような気もしています。


私たちは自らの自由意志で未来を創造している、
これは未来に向かって延びる多数(無数)の選択肢の中から、
自分が選び、その道を歩んでいるとも表現できます。

今この瞬間の私、その周りにいる人たちは、
たぶん明日も私の周りにいることでしょう。
けれども私とあなたが選択した未来は、同じものではないかもしれません。

今、目の前で話をしているあなた、
そのあなたと明日も会って話をしたとしても、
そのあなたは、今日のあなたとは違う存在かもしれません。

あなたは別の未来を選択し、
そこで別の自分、あるいはまったく別の人と会って話をするのかもしれないのです。

これも多世界解釈と合致する考え方ですし、
スピリチュアルな世界の本やネットの中で、
何度か目にしたことのある考えです。

この宇宙はすべて自分が創造する、
その創造主である「自分」はこの宇宙に多数存在し、
それぞれが自由意志を持っているのですから、
ビッグバンで宇宙が急激に膨張したように、
無数ともいえる新しい宇宙が、猛烈な勢いで増え続けているのかもしれません。


私たちは日常表面に上ってくる意識の殻を破るだけでも苦労をするのですから、
そのもっともっと根底にある時空の概念を超えた世界を想像することは、
どんなたとえ話を持ってきても容易ではありません。

容易ではないというだけではなく、
本当は不可能なのかもしれません。
点というゼロ次元に住む存在に、
どんなに言葉を尽くしても、三次元世界は体感できないのですから。


今新しい心の時代を迎えるにあたり、
物理学というものの概念と、
これまで思想や宗教が担ってきた心の世界が、
急速にひとつに結びつこうとしているように感じます。

これからの東洋、あるいは水という時代のキーワードは、
ともに融合の理を表していますので、
これも時代の流れにおける必然でしょう。


時間という身近でかつ不可解極まりないものに対する知識は、
地球がひとつの球体であるということを知る以前の私たちが、
はるか水平線の彼方にあるものを想像するといった程度かもしれません。



けれどもこれから時代が深まるにつれ、
よりいろんな真理が明らかになり、また身近なものとなってくるに違いありません。

誰もが難しい物理学的概念を理解する必要はないのですが、
そこから導かれる英知は、
きっと私たちを新しい幸せのステージへと導く力を持っているはずです。

ただ心静かに、その英知を享受できる自分になりたいものです。

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2010.10.19 Tuesday  
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