ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



できない能力

「何事もやればできる」、「できないのは努力が足りないから」、
たしかに人間の能力は無限であり、
こういった面があることは事実です。

けれども人には向き、不向き、性格、能力適性というものがあり、
何事も完璧にこなすことが理想というわけではありません。

男と女はそれが顕著なまでに対極であり、
だからこそ互いを求め、愛し合い、お互いを尊重することができます。


「感謝型記憶力強化法」で記憶のことを書きました。
いい思い出をくり返し頭に思い浮かべることによって記憶を定着させ、
いやな記憶は頭の中から手放すことがいいのです。
  (究極はすべてを手放すことですが・・・)

人間の脳の中には過去すべてのことが詳細に記憶されていると言われていますが、
表面意識として取り出せるものはそれのごく一部です。
もし過去すべてのことを昨日のことのように思い出すことができたなら、
これまで積み重ねてきた辛く苦しい記憶の渦で、
きっと生きる気力を無くしてしまうことでしょう。

私の心の師であるパラマハンサ・ヨガナンダは、
超意識状態になると、その時経験したすべてのことを記憶できたそうです。
弘法大師空海も求聞持聡明法という秘伝を会得し、
過去すべてのことを記憶する力を持っていたと言われています。

これは聖人と呼ばれる人格を持つ人だから会得できたものであり、
このような力を一般人が持ったとしても、幸せになることはできません。

何事も「できる」のが善であり、
「できない」のが悪ではないのです。
このことは頭では分かっていても、
人はどうしても「できる」ことを尊重し、求めてしまいます。

これは小さな頃から
「少しずつ知識や常識を身に付け、立派な大人にならなければならない」
ということを教え込まれてきた私たちの体に染みついたものであり、
なかなか一朝一夕には捨て去ることができません。

捨て去ることはできなくても、
まずは自分の心にそういった常識という先入観が
あるのだということを意識することから、
解放の第一歩がスタートします。


これからは自分の胸の中にある真の心の輝きを見つめることが求められています。
そのためには心の中にしまい込んでいる感情、記憶、とらわれ、先入観、
常識、理想、そういったものを少しずつ解放していかなければなりません。

その中には、過去失敗したもの、自分の力不足でできなかったものに対する
悲しい記憶も含まれています。

その悲しい記憶を手放すというのは、
あきらめたり忘れ去ったりすることではありません。
その「100%マイナスの出来事」と思えるものの中に意味を見いだし、
そのマイナス、あるいはできなかったことによって得た何らかのものに意識を向け、
感謝することです。

  セドナメソッドでは、そのことの意味を考えず、
  ただ手放すことを求めています。
  それもひとつの方法だと思います。

「自分にとっていいことばかりが起こりますように」とイメージすることが
プラス発想ではありません。
すべてのことに意味を見いだし、自らが必要として求めたことなのだと考えるのが
本当のプラス発想です。

引き寄せの法則の神髄は、いかにいいものを引き寄せるかではなく、
その引き寄せたものすべてに意味と価値を見いだすことにあります。


どんな乗り越えられないような辛いことでも、
過ぎ去ってみれば、
そこにほんのわずかでも必然性と学び、感じ取れる何かを見つけられるはずです。

それをいかに膨らすことができるのか、
そこがその人の人間としての度量であり心の豊かさでしょう。

いいことは当たり前、潜在意識が引き寄せたもの、
悪いことは人のせい、起こらなかった方が自分にとってよかったもの。

こんな都合のいいことばかり考えていては、
真の心の自由を手に入れることはできません。


私はかなり極端な能力特性を持っていて、
できることとできないことの能力の差がきわめて顕著です。

これまでの人生を振り返ってみて、
できることを伸ばし、活かしながらも、
できなかったことによって人生選択の幅を狭められてきました。

「もっと○○できる能力があったなら ・・・ 」
そんなことを過去何度も考えたことがあったのですが、
いろんなことを手放し、また自分を愛することを続けてきたことで、
その思いをずいぶんと軽減することができました。

すべてが望み通りの能力を手に入れていたならば、
今のように手放すとか自分を愛するといったことについて
深く掘り下げて考えることはなかったはずです。

トイレ掃除に救いを求め、
熱心に公衆トイレの便器を磨くことも、絶対になかったでしょう。


冷静にこれまでのことを振り返ってみると、
できなかったこと、失敗したことによって得たものは限りなくあることに気がつきます。

「できる能力」は天の恵みであり導きです。
であるならば、「できない能力」も、同じく天の恵みであり導きであるはずです。

これをいかに体で感じ取ることができるか、
これは人生における「幸せを生む種」ですね。

私も当然まだ完璧にできているわけではありません。
ここにこのようなことを書いているのは、一種の自己決意表明のようなものです。

自分の中に「できない能力」を認めることができるから、
他人の「できない能力」も認め、許すことができます。

これは自分にも周りの人たちにも通じる素晴らしい平和思想です。

今この瞬間、ただ十分に満たされている自分がいる、
そのことを感じ、知りたいです。


【ヘレン・ケラーの言葉】

 幸せの扉がひとつ閉まると、別の幸せの扉が新しく開くようになっています。
 でも私たちは、閉まった扉ばかりを眺め続けているために、
 新しく開いた扉を見ることができないでいることが、とても多いのです。


【ニューヨークの病院の壁に書き残された詩】

 大きなことを成しとげるために
 力を与えてほしいと神に求めたのに
 謙遜を学ぶようにと
 弱さを授かった
 
 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 よりよきことができるようにと
 病弱を与えられた

 幸せになろうとして  
 富みを求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった
 
 世の中の人々の賞賛を得ようとして
 成功を求めたのに
 得意にならないようにと
 失敗を授かった

 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと
 いのちを授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた


 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
 心の中で言い表せないものは
 すべて叶えられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されていたのだ


2010.10.15 Friday  
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