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アガペーの愛

ここ数日、愛、そして許すというについて考えています。
とても深いテーマですが、それを考えることにより、
自分の心を見つめ、過去の思いを整理することができました。

昨日アップした「愛と許し」の中にこんなことを書きました。

だとしたら、私たちが目指すべき愛の形とは、
「愛」として通常思い浮かべる相手に思いをかけるということとともに、
その相手の幸せを心から願い、見返りを求めず、すべてを受け入れる、
つまり「許す」ということと対(つい)にならなければならないのだと思います。

極端に言うならば、
「愛情を注ぐ」ということよりも
「相手を許し、受け入れる」ということの方が、
私たちが本来求めるべき究極の愛の形に近いのではないでしょうか。

形としては、自分から他者への行為や思いそのものが
愛ということになるのでしょうが、
それは愛の本質ではありません。

そこに主眼を置いてしまうと、
「あんなにしてやったのに」という見返りを求める行為になってしまいます。

愛の本質は、どれだけしたかという行為や思いではなく、
その行為や思いの原動力となった
相手を受け入れる自分の心のあり方の中にあるのだと思います。


私は子供時代まったく勉強をせず、親のいうことをまったく聞かない、
とんでもない悪い息子でした。
けれども愛情深い母親はそれを受け入れ、いつも変らぬ愛情を注いでくれました。

母は私に対して見返りを求めていたわけではなく、
私の行動に対する評価として愛を注いでくれたわけでもなく、
ただ私という「存在」をありのまま受け入れ、認め、愛してくれていたのです。


インドのホームで日々明るく暮らす子どもたちも、
私に愛の本質を伝えてくれました。
「酒井、あなたは価値があるから生きているんじゃないよ。
 生きている、そのこと自体に価値があるんだよ」
  <生きているから価値がある>


愛とは、相手の行動によって左右されるものではありません。
相手の「存在」をそのまま受け入れること、これが愛の本質です。
だから愛は常に穏やかであり、変ることがないのです。

私はその愛の本質を、15年前、母が亡くなった時に
しっかりと教えてもらっていました。
そしてそのことに、今あらためて気がつくことができました。
  <母の愛>

3月19日、その日が来ました。
けれども悲しみより先に、心の中はまるでその時外を吹いていた
春先の風のように
爽やかで透明な感情が湧き上がってきます。

母は最期に私にたくさんの愛情を与え、
そして自らの意思で死を選んでいったのだ、
そう思えることに、ほんの少しですが喜びすら感じ取ることができます。

私をこんな気持ちにさせてくれた、これが「母の愛」です。

愛とは、パワーやエネルギーではありません。
愛とは普遍的なもの、水や空気と同じくいつもそばにあり、
私たちの生命を慈しんでくれる、そういったもの、「状態」なのだと思います。

大河にはいつも大量の水が流れています。
けれども穏やかな大河は、見た目にはその流れをまったく感じさせません。
自ら川面に近づき、川の中に手を差し伸べ、指先に冷たい水の勢いを感じ、
初めてその流れを感じ取るのです。

まだ首の据わらない赤ん坊の頃から乳を与え手塩にかけて育ててくれて、
どんな反抗的な態度をとってもいつも許し、変わらぬ愛情を注ぎ、
そして最期の最期、命が燃え尽きる寸前まで、
私に「愛」というものを教えてくれた母。

愛とは一過性のものではなく、
どんなことがあっても変わらないもの、だから愛とは「状態」なのです。



母が私に伝えてくれた愛、
それはまさしくアガペーの愛です。

私たちは誰しもが、この神の愛、アガペーの愛を体現する力を持っています。

人を愛するには、まず自分を愛せるようにならなければなりません。
あなた自身の今生きているということ、
そしてあなたの「存在」の素晴らしさを、体全体で感じ取ってみてください。

2010.8.20 Friday  
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