ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 神性<3>



ヨガナンダ



神性<3>

「神性」の中で、

信仰というものの根底は、仏教かキリスト教か、
一神教か多神教か、東洋思想か西洋思想か、
そういった形で表せるものではありません。

信仰の根本は愛であり、真理を求める姿勢、生き方です。
私はそのことを長年心ある素晴らしい宗教家の方たちとの交わりの中から
感じ取ることができました。


ということを書きました。
これはこの三十年間スピリチュアルな世界を歩んできて、
ようやくつかみ、言葉にすることができたものです。

この言葉の意味することがお分かりでしょうか?

本当の真理は言葉で表すことはできません。
不立文字です。
言葉は真理の表面づらだけを表す「真理の絞りかす」のようなものです。

私も言葉にはしたものの、
このことを100%理解していると言い切ることはでません。

けれどもこの信仰の根本というものに多くの人が目覚めたら、
宗教間の争いは、きっとなくなることでしょう。

文明の対立とは宗教の対立に他なりません。
多くの人が高い木や建物の上にある宗教という砦から
本来の原点である自分、自然というものがある大地へと降りてくる。
そして同じテーブルの上で愛と真理を語れるようになる。
これが新しい時代の文明であり、
本来望むべき平和な人類の姿なのだと思います。


私は敬愛するヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」を読むと、
胸が熱くなるような感動と同時に、故郷に帰ったような懐かしさを覚えます。
私は過去世でインド人であり、
ヨガナンダと何らかの関わりがあったのかもしれません。

圧倒的な量の英知が濃縮されたこの本は、
私にとって生涯出合うであろうすべての本の中で、
最高の一冊であることは間違いありません。

あるヨギの自叙伝
あるヨギの自叙伝
おすすめ平均
starsすばらしいの一言です。
stars聖書が3倍良くわかる
stars予想以上にすばらしかった
starsSRFに資料請求した★
stars世界的なヨガの聖者の名著、読むべし!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本書に書かれている深い示唆に富んだ数々のエピソードの中で、
第十三章「眠らぬ聖者」の中に出てくる神についての話は、
万物に宿る神性というものを心に刻み込んでくれます。
要約するとこのような話です。


宇宙意識(三昧の境地)を経験する前のヨガナンダは、
新たな師との出会い、経験を求め旅に出ます。
目的地は「眠らぬ聖者」と呼ばれているラム・ゴバール師のところです。

師の住まいがある駅に着くと、駅前に有名な寺院があり、
そこで多くの人が祭壇にある丸い石を拝んでいました。

たまたま気むずかしい気分でいたヨガナンダは、
その石のシンボルにひざまずく気持ちになれず、
『神は魂の中にのみ求むべきだ』と心の中でつぶやき、
頭を下げることなく寺院を出ました。

師の元を訪ねるべく歩き、途中出会った村人に道を尋ねるのですが、
まったくでたらめなことを教えられ遠回りをし、
翌朝ようやっと目的地にたどり着くことができました。

そこでヨガナンダが来ることを千里眼でもってすでに察知していた師は、
突然来訪してきたヨガナンダに厳しい言葉を投げかけます。

「ところでお前は、神はどこに居られると思っているのだね?」

「そうですね・・・神は私の内にも居られますし、
 また、すべてのものの内にも宿っておられます」
私は当惑を顔にあらわしながら答えた。

「つまりどこにでも偏在しておられるというわけだね?」
聖者はにんまりと笑いながら言った。

「ではどうして昨日タラケシュワの寺院で、
 石のシンボルに宿る神のみ前にお前はひざまづかなかったのだ?
 その傲慢さに対する罰として、
 お前はあのいたずら者から間違った道を教えられたのだ。
 おかげて今日もずいぶん苦い思いをしたはずだ」

何もかもうなずくほかなかった。 ・・・



信仰の根本は愛であり真理である。
そしてすべてのものに神が宿り、自分自身も神そのものである。

これからはこの原点に立ち、
人類全体が、同じ言葉で愛と真理を語れるようになるでしょう。

なにも難しいことではありません。
ただ魂の奥で眠っている真理に、今一度目を向けるだけのことです。

究極の真理は言葉にできません。
けれども誰にでも理解できるような、きわめて易しいものです。
そしてそれが愛というものです。

2010.3.29 Monday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.