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神性<2>

神そのものである人間が、
なぜ些細なことで悩み苦しみ、いがみ合い争わなければならないのでしょうか。

人間が食物を摂り、それを体の中で消化、吸収し、
自らの体の一部、あるいはエネルギーとして活用する、
この偉大なる生命維持システムを有している人間が、
なぜ食べ物が手に入らない、行き渡らないという理由だけで、
何億もの飢える民を作りだしてしまうのでしょうか。

人間の自然治癒力は偉大です。
たとえちょっとした風邪であっても、この自然治癒力なくしては、
世界最高の名医、最新医療機器をもってしても治すことはできません。

この何よりも素晴らしい生命を有する私たち人間が、
日常の生活の中で、生命よりもはるかに低次元な現実的問題を追い求め、
頭をわずらわせているのは、不思議を通り越して滑稽な気さえします。


三次元宇宙という現実世界に肉体を有する私たちは、
モノやお金というものがなければ生きていくことができません。

お金で手に入るものは、食料、医療サービス、エネルギー、・・・
どれもみな大切なものではありますが、
どれもみな本質的なものではありません。

本当に価値ある本質的なものは、
私たち自身が有する生命という偉大なシステムであり、
それに付随する自然治癒力や想像力、意思力、
自らの肉体を維持し、そして子孫を造り出す力です。

最も本質的なものにはお金がかからないのに、
ただそれを維持するための支えを得るために、
汗水垂らして労働をし、低次元なことで苦しみを感じる、
このことに大いなる疑問を感じます。

どんな最高の技術と知識を持つ科学者と機械があっても、
人間の細胞のひとかけらでも人工的に造り出すことはできません。

それなのに、その細胞を何十兆個も組み合わせ、
何の苦もなく偉大な生命システムを構築し、その上に君臨する私たち人間が、
算数の九九、簡単なひらがなカタカナの読み書き、
こういったことを一生懸命苦労しながら学んでいるといった現実は、
何か深い理由があるように思えてなりません。


究極的に言うならば、神そのものである私たち人間にとって、
学ばなければならない、感じ取らなければならないといった
義務的なものは一切無いのだと思います。

またまた過激なことを書きます。
様々な宗教の教典、道徳を説いた本、
それらの中には素晴らしいメッセージが書かれています。
現実として、それらを読んで学ぶべきことは多々あります。

けれども、私たちの生命を維持し、継承していくために書かれた
生命の暗号と呼ばれるDNAの遺伝子情報は、
そういった書物にもはるかに勝る偉大なるメッセージのように思えます。

きわめて高次元のメッセージを自らの体の中に持ち、体現している私たちが、
なぜそれよりも次元の低いものから学び、感じ取らなければならないのか、
ここには大きな本質的矛盾があるように感じます。


完璧な私たちはなんのために生き、様々なことを経験するのか、
どういった理由で悩みを苦しみを抱えるのか、
これは私が長い間抱き続けていた最大の疑問のひとつです。

そして考えた末、導かれた結論はひとつです。
私たちは何かを学び、感じ、
少しずつ成長をするために命を持っているのではない、
ただそういった悩み、苦しみを含めたすべてのことを
経験したい、楽しみたい、ただその願いの元に大きな制約を持つ肉体を創造し、
そこに生命を宿しているのではないかということです。

本来全知全能で神性ある私たちの本当の願い、
それはただ今という時を経験し、楽しみたいということではないでしょうか。


こういった考え方は、数年、十数年前だったら、
ほとんどの人が受け入れることができなかったでしょう。
けれど今は確実に新しい水の時代に入りつつあり、
今私の持っている考え方は、少しずつ理解されるようになってきていると感じます。

「神性」に書いたように、
私が求めているのは思想や宗教ではありません。
求めているのは真理であり、法則です。

この考え方も、私が金科玉条のように信じ込んでいるものではなく、
様々な自然の成り立ちや生命の様相から、
こう考えるのが最も自然であり、論理的に整合性が高いと感じ導いたものです。

もしこの考え方がおかしいと感じられたなら、
是非ご意見をお聞かせいただければ幸いです。
この考え方に固執するつもりはありません。
より真理に近いものを導きだしたい、願いはこれだけです。
これは多くの人と共通するものだと思います。


生きることはただ楽しむだけ、とはいっても、
それは究極の目的であり、
現実世界に生きる私たちは、やはり多くの経験から得るものが多々あります。

人生はひとつのロールプレイングゲームのようなもの、
今はそれに没頭することを己が望んでいるのでしょう。


人は苦しみの中で大きな気づきを得るものです。
何年か前、人生の大きな苦しみの中にいた時、
「生きる意味」というものを深く考え続けました。
考えなければ生きていけなかったからです。
そして導いたのが先のような考えです。

そしてたまたま、
ネットで私と同じような感じ方をしている津留晃一さんという人を知りました。
津留さんも私と同じような苦しみを体験し、
その苦しみの中から彼なりの「生きる意味」というものを見つけられたようです。

「我が意を得たり」と感じた私は、
津留さんのメッセージを貪るように読みました。
そして自らの感じ取っているものに、より確信を持つようになりました。

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自らの中に神性を感じるというのは、究極の救いであり、
また自己逃避に繋がる可能性もあります。

いずれにしても、自ら感じることが尊く、
どんなものも、すべては経験としての価値を持ちます。

決めるのはすべて自分自身です。

2010.3.20 Sunday  
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