アンサンブルの妙<2>
ここ最近ほとんどの音楽は、YouTube、もしくはネットからダウンロードしたものを
パソコンのスピーカーを介して聴いていて、
CDをかけることはほとんどなくなってしまいました。

以前は立派なステレオを持っていて、
少しでもいい音で音楽を聴くことに血眼になっていたのですが、
それははるか遠い昔のことです。

趣味というのは何事も、突き詰めていけば喜びとともに苦しみも増してきます。
いいものを求めるためには悪いものにも目を向け、
それを排除していかなければなりません。
ですから喜びの追求は、反面苦しみの追求でもあり、
終わりなきゴールの果てにある安寧の地へは容易に辿り着けません。

音のクオリティーが上がっていくと、
それまで聴き取れなかった音楽の微妙な表情を感じ取ることができ、
聴き慣れた音楽の中に、まったく新たな感動を発見することがあります。

けれどそれとはまったく逆に、
ノイズだらけのひどい音からでも、時として大きな感動を受けることがあります。
たぶん音楽の根幹にある人の心を揺さぶる要素は、
周波数特性や歪率といった物理特性を超えたところにあり、
それはどんな音質の悪い音の中にも込められていて、
人間の持つ感受性、洞察力、補完力といったものは、
条件さえ満たせば、それをあますことなく引き出せるのだと感じます。




YouTubeの音楽に満足しているもうひとつの理由は、
やはり音楽とともに映像を見ることができるということです。

YouTubeの動画を日常的に見るようになって、
音楽に於ける映像、視覚情報の果たす役割を大きさを強く感じます。

音質がよくなることによって、音楽はより彩りを増し、
そこから受ける情報も格段に多くなってきます。
そしてそれと同じ様に、音楽に視覚情報が加わることは、
音質がよくなるのとは少し異なる次元での変化を音楽に与え、
演奏者の何気ない表情や動作から心の動きを察したり、
演奏者同士の関係性をより明確に理解できるようになったりします。

音質向上と映像の付加、
どちらも意味合いが異なり、音楽面での優劣を付けることはできませんが、
音質がよくなると、それに伴って必ず「もっといい音で」という欲望がわき上がってくるのに対し、
映像の場合は、そこそこの画質でも満足できることが多いのです。

それは多分に人間の持つ五感は、
なるべく同時に併用した方が感覚的に安定するからではないかと考えられます。
言葉によるコミュニケーションでも、声だけを電話でかわすより、
直接会い、面と向かって話し合った方がよりスムーズです。
さらにそこに食事や素敵なロケーションが加わればなおさらです。

今は時代の流れとして、
CDを買って音楽を聴くよりも、ネットの動画を鑑賞する方が気楽な時代となりました。
それが音楽振興にどのような影響を与えるかは別にして、
なるべく気楽に、そして誰でもできる安価な方法の中に喜びを見つけ出す、
これはインドの子どもたちのことを思う今の自分にとって、
とても大切にしているポリシーです。


エルガー作曲  行進曲「威風堂々」第一番、
超有名なこの曲は、クラシックファンでなくても誰もが一度は耳にしたことがあると思います。

本来は数十名のオーケストラで演奏されるこの曲を、
エレクトーン一台で演奏している動画がYoutubeにいくつか出ています。
その中でもチャンネル登録が六万近くあるYouTubeの有名人アスカさんが
演奏しているものがとても気に入っています。



これは彼女が三年前(たぶん十一歳)に演奏したもので、
今の彼女はより背が高くなり、演奏の安定感も増していますが、
このまだ初々しい演奏が聴いていて楽しいのです。

だいたい自分が好きな演奏家は女性や子ども、若年層で、
音楽の中に爽やかさや初々しさ、可愛らしさ、まろやかさ、
はじけるような生命感を味わえるようなものが好きなのです。

その自分の嗜好を意識して音楽を聴くようになってとても感じるのは、
クラシックでもロックでも、
どんな音楽ジャンルでも性別によって音は大きく影響を受けるということです。

話が横にそれますが、
下の動画のJess Lewisという女の子のエレキギターの音を初めて聴いた時、
あまりの心地いい音の響きに一発で惚れ込んでしまいました。



最初その音の秘密は、彼女の持つテレキャスタータイプのエレキにあるのかと思い、
あまり有名でないそのブランドをネットでいろいろ調べたのですが、
結局は彼女は他のどのエレキを演奏しても一様に素晴らしい音色を出すということが分かり、
演奏者の性別、肉体的特性が、
エレキのような電気楽器ですら大きな影響を与えることに驚きを感じました。

で、アスカさんですが、
彼女の演奏する「威風堂々」は、まだ技術的に完璧ではなく、
少したどたどしかったり、リズムが乱れそうになったりする箇所はありますが、
その音楽全体から感じ取れる躍動感、
そしてすべての音全体がひとつとなった一体感は素晴らしいもので、
聴いていて理屈抜きに楽しい気持ちになってきます。
“音を楽しむ”、音楽です。

エレクトーンがどのような発音設計になっているのかよく分かりませんが、
一台でオーケストラ全体に匹敵するような音の厚みを出し、
それを一人で演奏しているのですから、音に一体感が生まれるのは当然です。

しかも彼女の場合、その両手両足から作り出す音のアンサンブルは、
頭から作り出すテクニックではなく、
まだ幼い彼女の肉体、感性から生じているように感じ取れるので、
多少たどたどしくても、たとえ少しリズムが乱れても、
聴いている方は楽しい気分で自然と体がリズムを刻むのです。

またそのほんの少しの乱れが逆に生身の人間が演奏していることを感じさせ、
音楽に生気を宿します。
ちょっとひいき目に見過ぎでしょうか・・・。


エレキなどのソロ楽器がリズムマシーンやカラオケと合わせて合奏し、
一人で厚みのある音を出そうとする演奏を何度か聴いたことがありますが、
  (先のJess Lewisの演奏もそうですが・・・)
本来バックにあり、従となるべきリズムマシーンやカラオケのテンポが固定されているため、
演奏者の主楽器がそのバックに合わせて演奏しなければならず、
アンサンブルという面ではとても不自然さを感じることが多いものです。

けれどアスカさんのエレクトーンの音の一体感はすごいですね。
音の躍動感、すべての音が仲良くなったアンサンブルとしては満点だと感じます。
エレクトーンにもリズムマシーンが内蔵されているのではと思うのですが、
どういう仕組みになっているのでしょう。
鍵盤の動きに呼応するようになっているのでしょうか。
一度その仕組みを調べてみたいものです。


そんなみずみずしい女性や子どもの演奏が好きなので、
その対極にある男性老巨匠といった方たちはまったく苦手なタイプです。
けれど中には例外もあり、
クリストフ・エッシェンバッハが2010年にパリ管弦楽団と演奏した
モーツアルトのピアノ協奏曲23番はとても素晴らしいので、
パソコンにダウンロードして繰り返し聴いています。
  <クリストフ・エッシェンバッハ - Wikipedia>

残念ながら今は全曲を収めたバージョンはYouTubeから削除され、
第二楽章の演奏しか残っていませんが、
これだけでも十分にその高い演奏のクオリティーが感じ取れます。



このコンチェルト(協奏曲)では、
ピアニストであるエッシェンバッハ自身が指揮を執っていて、
その指揮、ピアノとオーケストラのアンサンブルが実に素晴らしいのです。
エッシェンバッハは、ピアニスト、指揮者、両面で高い評価を受けています。

ソロ楽器とオーケストラがこんなに美しく、かつ自然に溶け込んだコンチェルトは、
これまで一度も耳にしたことがありません。
他のすべてのコンチェルトとは一線を画すものだとすら感じます。

そしてそのピアノとオーケストラが一体となったアンサンブルの妙は、
音からだけではなく、きれいに撮られた映像からも感じることができ、
またなぜそのような一体感が生まれるのかということも、
映像の中のエッシェンバッハのひとつひとつの表情や動作を見ればよく感じられます。

まるで愛する幼い我が子を慈しむように、導くように、
そのピアノの音色と無言の表情、眼差し、手の振りをオーケストラに送っています。
そして穏やかで安定したオーケストラの演奏を、
真綿のようなピアノの音が静かに包み込んでいます。

この演奏を聴くと、他のどんな優れたコンチェルトも、
オーケストラは指揮者による統率の元、
ソリストの音と上手くマッチングするように管理されているように聞こえ、
オーケストラとソリストが素のままで対峙しているようには感じられなくなってしまいます。

エッシェンバッハがこのような音、アンサンブルを醸し出せるのは、
高い技量を持っていることはもちろん、
愛情深い人間性があればこそだと感じます。

Wikipediaによると、まずはピアニストとして名声を馳せた後指揮者を志し、
バイエル等教則本の演奏でも高い評価を受けているとありますが、
それはエッシェンバッハの音を聴くと納得ができます。


アンサンブルの妙は音楽の中だけではなく、
社会生活の中、あるいは個人の生活の中にも現れます。
音楽というものはそれを端的に表す世界であり、
そこから学べるところは大きいと感じます。

2016.8.11 Thurseday



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