胸に響く音
音楽から伝わってくる感動、感覚は、
言語表現とは異なる世界のものであり、
それを言葉で言い表すことは不可能です。

楽曲を書き記した譜面に連なる音符は不連続なデジタル領域ですが、
そこに人間である演奏者の感性が吹き込まれ、
音楽の感動とは、周りとの関係や流れの中に存在するアナログの世界です。

文字、言語という記号化されたデジタル表現は、
遺伝子DNAのように、広く遠く劣化を抑えて伝達することは得意ですが、
アナログの本質は近似的にしか表すことができません。

本当に素晴らしい音、音楽に接すると、
そんな言葉の持つ限界をひしひしと感じます。


広島が誇る広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏を、
もうこれまで何度耳にしてきたことでしょう。
可愛い子どもたちにによるマリンバ(鉄琴)の演奏は喜びにあふれ、
完全に『この上のない』世界にまで到達しています。

広島では毎年五月のGWにフラワーフェスティバルという大きなお祭りがあり、
彼らは毎年そのステージで演奏してくれて、
今年もそこで楽しい演奏を聴くことができました。

広島ジュニアマリンバアンサンブル

笑顔でステージ狭しと飛び跳ねながらの演奏は、
メリハリがあってとても素晴らしいものです。
けれどそれが世界最高の技術かと言ったら、
たぶんより優れたものがあるのかもしれません。
しかしそんなことはどうでもいいのです。
その喜びあふれた音を耳にしていると、
聴いている方の心にも大きな幸せが湧き上がり、
満ち足りた気分になり、もうそれ以上のものは必要ありません。

『この上のない』というのは、最も優れているということではありません。
心の中が満ち足りて、
その『足るを知る』思いになるからこそ『この上ない』のです。

広島ジュニアマリンバアンサンブル

『この上ない』という感覚は、
四年前、インドのホームで可愛い子どもたちに囲まれた時にも感じました。
  <2013.8.22 最高のもの>


音楽の好みは人それぞれですが、
自分は男性よりも女性演奏者、
老齢の巨匠よりも若い、または幼い子どもの奏でる音に心惹かれます。

それに強いて理由を付けるなら、
男性よりも“産む性”である女性の方が、より魂の感覚に素直だから、
生命と直結した響きを感じるから。
また人間の生命の本質が喜びであるとするならば、
子どもの方がよりストレートにその喜びを表現できるからです。

『心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう』
                                  マタイによる福音書 第18章





今年の4月22日(土)、広島の爆心地近くにある旧日本銀行の建物で、
原爆をテーマにした絵の展示会がありました。
旧日銀の建物は原爆の爆風に耐えたもので、
今は市民のために開放されています。

ちょうど正午頃に展示会に行き、
その後予定があったので足早に立ち去ろうとした時、
会場の奥にあるピアノから優しい鍵盤の音が流れてきました。

広島には原爆の戦火に遭いながらも修復され、
今も演奏できる状態になっている “被爆ピアノ” が数台存在していて、
その一台が会場の奥に持ち込まれ、
午後一時からの演奏会を控え、リハーサルをしておられたのでした。

時間の関係で本番の演奏は聴くことができなかったのですが、
とても感じのいい音だったので、
そのリハーサルにしばらく耳を傾けることにしました。

三浦裕美

ピアノの前に並べられた椅子に腰を下ろしていると、
広島の被爆ピアノのほとんどを所有し、
その演奏活動を精力的に進めておられる
調律師の矢川光則さんが声をかけてくださいました。
矢川さんとは以前からの知り合いです。

「サカイさん、今ピアノを弾いている三浦さんは目が見えないんよ」
矢川さんから演奏者が盲目であることを告げられ、
驚くと同時に、その優しい音色に隠された秘密の一端を
知ることができたように感じました。

被爆ピアノが作られたのは戦前、
その後原爆で傷付いたものを修復し、
楽器としてはとてもいい音と言えるものではありません。

ピアニストである三浦裕美さんが弾いているのは童謡の「故郷」です。
とてもシンプルな楽曲を、ゆっくりとしたテンポで、
一音一音確かめるように鍵盤を押さえておられます。

その音に卓越した技能を見いだすことはできませんが、
「故郷」という日本人の誰しもが郷愁を抱くそのメロディーには、
えも言えぬ素朴で温かな響きが乗っているのです。

三浦さんの音を聴いていたのはほんの一二分だったのですが、
一聴して彼女の奏でる音に魅了され、
会場を去らねばならぬことを悔いながらも彼女に声をかけ、
そばにおられたお付きの方に名刺を渡し、
次回また演奏を聴かせていただける日を楽しみにしていますと告げ、
その場を離れました。

音楽を奏でる技術以前のもの、
そのとても大切なものを、彼女の演奏から感じ取ることができました。


今日8月3日(木)、広島駅南口の地下広場で、
尺八や琴といった邦楽を主体とした演奏会、
『第二回 Love & Peace HIROSHIMA』というイベントがありました。

今回は特別ゲストということで、
ヴァイオリンを演奏する小学校五年生の安塚かのんちゃんが参加してくれました。

安塚かのん

かのんちゃんが素晴らしいヴァイオリンを奏でるということは、
話としては何度も聞いていましたが、
実際に初めてその音を耳にして、その音楽の持つ力、
人の心に訴えるしなやかな感性に心底驚いてしまいました。

これも音楽的技量以前の問題です。
彼女のヴァイオリンの響きが耳に届くと同時に、
その音が頭ではなく身体全体を震わせて、
胸が熱くなってくるのを身体的感覚として感じ取ります。

かのんちゃんの音は耳ではなくハートに響き、
胸に心地いいのです。

これは本当の意味での音楽の喜びであり、
彼女の持つ子どもらしい優しく素直な感性がそうさせるのでしょう。
大人では絶対に出すことのできないものです。

また彼女も今後修練を積み、さらに技量を高めていくことになるでしょう。
けれどその時に、この胸を熱くする感性をどれぐらい残すことができるのか。
これはかのんちゃんだけではなく、
すべての天才的ジュニア演奏家に課せられたものだと感じます。


今の彼女は無敵です。
何を弾いてもすべてが『かのんワールド』となり、
聴く人の心を捉えて離しません。

自分は演奏会や講演会を好んで一番後ろからよく聴きます。
それは背が高いからということとともに、
聴いている人たちがどんな感じ方をしているのかを後ろから見るのが楽しいのです。
今日のかのんちゃんの演奏には、みなさん例外なく心惹かれているようで、
ひときわ拍手が大きく、また近くを歩く多くの人が足を止めて聴き入ってくださいました。
また特にこういった子どもの持つ素直な感性は、
長い人生経験を積んだ年配の方の心を打つようです。

安塚かのん

今日は邦楽主体の演奏会ということで、
少しのお色直しの時間で着物に着替え、
お正月の曲として有名な「春の海」を演奏してくれました。

安塚かのん

「春の海」は、宮城道雄が、
広島県福山市にある鞆の浦という港をテーマにして書いた曲です。
  (『崖の上のポニョ』も鞆の浦が舞台です)

本来は琴と尺八で演奏されるものですが、
かのんちゃんが尺八のパートをヴァイオリンで弾いてくれました。

これがまた素晴らしい ・・・ 。
元々ヴァイオリンの曲だったのかと感じさせるほど楽曲とマッチしています。
邦楽、洋楽というのは、楽器の音色以前に、
それを弾く演奏者の心根による部分が大きいのだということを知りました。


音楽から受ける感動は言葉で言い表せません。
胸に響くもの、その感じ方がすべてです。



2017.8.3 Thurseday



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