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物の価値はどこにあるのか

以前解体工事の仕事をしていた時、
工事前、住人が引き払った後の家の中に入ると、
多くの家で、いらなくなったゴミと一緒にたくさんの家財道具が残されていました。

家具、衣類、食器、布団、・・・
家財道具が残されている家には、
必ずといっていいほどどこかしらにお金が落ちているものです。
タンスの一番上の引き出しに小銭がまとまって残っていたり、
集めていた古銭が袋のまま残っているということがよくありました。

信じられないことですが、
世の中には、1円、5円といった小銭を弁当ガラや古新聞と一緒に
ゴミとして処分してしまう人がいるのです。
ある家では、ベットの横一面に古いスポーツ新聞と弁当ガラが、
地層のように年代順に層をなして捨てられていて、
その中に小銭がたくさん挟み込まれるようにして投げ捨てられていました。

またある家では、
廊下に並べられた10個ほどのゴミの入った黒いビニール袋すべてが、
手に持つとチャリチャリと小さな音がして、
小銭がゴミと一緒になっているのがハッキリと分りました。

廃業、倒産した店舗を解体する時は、
封を開けていないお酒のボトルや宣伝用のTシャツやジャンパーが
たくさんあったり、
カラオケボックスには、数百枚のレーザーディスクが入った
まだ現役で使うことのできるカラオケセットが複数台残っていたこともありました。

解体工事をしていると、生鮮食料品以外すべての生活必需品を
その廃棄物の中からまかなうことさえ可能です。

その中で、お金はもちろん捨てることはありませんが、
  (ゴミの中に入っていて、分別しきれないものは処分します)
他は、骨董価値のあるものは古道具屋に持っていくぐらいで、
ほとんどのものはゴミとして処分されてしまいます。


仕事で日々ゴミと関わっていて、
ものの価値ということを深く考えさせられました。

私たちは一般的に、使えるものに価値があるのだと思っていますが、
それは誤りです。
ものの価値とは、 “使える” というところにあるのではなく、
“使う” というところにあるのです。

例え買えば高価で、使い勝手のいいものでも、
使うあてのないもの、使わずしまいこんでしまっているものには価値がなく、
ゴミとして考えれば、逆にマイナスの価値を持つものであるとさえ言えます。


素敵な音楽が入っているCDがあるとします。
その音楽が大好きで、毎日それを聴いてハッピーな気分になれるのなら、
そのCDは、その人にとって何万円もの価値があるものかもしれません。

けれどもその音楽にはまったく興味がなく聴く気もない、
または聴くためのCDプレーヤーがないとしたならば、
そのCDはまったく価値のないただのゴミということになります。


ものの価値というものは、そのもの自体にあるのではなく、
それを使う人(関わりを持つ人)一人一人が、
その人自身の価値観や状況に合わせて生み出していくものです。

バーゲンセールのチラシで、
三割引、50%オフなどという言葉を見ると、
すぐにでも買わないと損なような気になりますが、
本来のものの価値は、定価といった世間の一般的評価とは関係ありません。

子どもが石ころひとつ、棒きれ一本でいつまでも楽しく遊んでいられるように、
自分にとって本当に価値があるものを見つけ出し、
それと上手く関わっていくことのできる人が、
“ものの豊かさ” を享受し、心の豊かな生き方のできる人なのです。

2010.2.4 Thurseday

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