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思い

このたびの東北関東大震災でお亡くなりになられた方、
被災された方たちに対し、
心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

この「明日への祈り」のコーナーでは、
このたびの震災から得たみなさんの気付きや学びをご紹介させていただきます。


震災から三日後の14日、「学び、感じ取るべきもの」というページをアップし、
この震災から学んだものをシェアしましょうと呼びかけました。
そして何人かの方にはメールでも案内させていただいたのですが、
それに対してある方から厳しいお叱りのメールをいただきました。
今はまだ大勢の被災者の方たちの安否すら分かっていない状況であり、
そんなことを語るのは不謹慎である、
今目の前で苦しんでいる人がいるところでそんなことが語れるのか、
というような内容でした。

そのご意見についてもっともだと感じるところがあり、
今のうちに真意を多くの人にご理解していただくのがいいと思い、
「今求められていること」というページをアップしました。

そこや他のページで書いたことと一部重複するのですが、
ここで今一度、私の思いを述べさせていただきたいと思います。


震災のあった11日は、
翌日行われる掃除の会の準備のため、
掃除仲間の家にいました。
そこで震災のことを知り、夜は遅くまでテレビに釘付けになり、
刻々と伝えられる悲惨な状況に胸を痛めました。

翌日の公衆トイレ掃除の会は、
あまり掃除をしようという気分にはなれなかったのですが、
こんな時こそ元気を出し、自らの心磨きをするべきだと思い、
いつも以上に心を込め、公衆トイレの便器を磨かせていただきました。

他の人たちも同じ思いだったのでしょう、
その日は普段よりも参加者が多く、
みな寡黙ながらも掃除にはとても熱が入っていたように思います。

震災の悲惨な状況をテレビやネットで見ても、
広島に住む自分には直接何もすることができません。
自分には今一体何ができるのであろうか、それを考え、祈ること、
今の思いをネットで発信すること、
そしてすべての人と通じ合っている自分の心を磨くことだと思い、
会の翌日も一人で平和公園に行き、路面のガム取りをさせてもらいました。

すべての人、すべてのものは根底ではひとつであり、
すべてが通じ合っています。
だから祈りは通じます。
だから自分の変化は周りにも伝わり、
自分が成長することによって周りの成長をも促されます。

今は心の時代と呼ばれ、
心の持つ不思議な作用に注目が集まり、
いろんな心への働きがけが提唱されていますが、
それは大きくふたつに分かれると思います。

ひとつは自らの願望を満たすための願望実現であり、
もうひとつは、本当の自分を見つめ直す自己実現です。

願望実現は利己的な世界ですが、
自己実現はより深い、利己的、利他的といった区分を超えた世界です。

私がいつもホームページに書いている心の世界は、
自己実現の世界であり、
それは目先の損得を捨てて行う心磨きであり、感情や執着からの解放です。

それは特段難しいことではありません。
より心を澄ますことであり、他人への思いやりを持つことであり、
掃除であり、あるいはこのたびの震災を機に生活を見直し、
水や電気の有り難さを知る、ものを倹約するように心がける、
不要なものを身近なところから手放す、そんな身近で簡単なものです。
そんなことでも十分心磨きであり、自己実現へ向けての一歩なのだと思います。

だからその思いや行為は、すべての人、
つまり被災者の方たちにも届き、
遠く離れたところに暮らしていても、
支援の思いを届けることができるのです。

私はこのことを100%信じています。
そして震災が起こる前までは、
最低限スピリチュアルな世界の人たちの間だけでも、
このことは共通認識であったように思います。

ですから何の疑いを持つことなく、
震災から何を学び、感じ取ったのかを共有し、
互いを高め合いましょうと呼びかけました。

けれどもこれは今の時点では先鋭的な考え方のようで、
一般の人にとっては、こういった考え方を表明することは、
不謹慎と取られかねないということをこのたびのことで学びました。

私は自分の考え方が間違っているとは思いませんが、
他の大勢の人たちの考え方を考慮しなかったり、
その表現方法を工夫しなかったことは、
思慮の浅い軽率な行為だったと反省しています。

そしてそれに対処する行動はふたつあると思います。
ひとつは今の段階では自分の考えを表に出さないようにすること、
そしてもうひとつは、より言葉を尽くして説明し、
たとえ批判を受けても己の意見をきちんと述べるということです。

私は後者を選び、今こうして思いを綴っています。


東北の被災地は、今も時折真冬並みの寒波が襲い、
水、食料、医薬品、暖を取るための灯油、
すべての生活必需品である物資が不足していて、
被災者の方たちの避難所での生活は困窮を極めています。

その日の天候というのはとても大切な情報で、
テレビのニュースでは、
被災地東北の気象情報を、他の地域に優先して流しています。

けれども今は3月下旬であり、
これから確実に春に向かうというところに一抹の救いがあります。
これが阪神淡路大震災のように、
1月17日という最も寒い時期に向かう季節に東北で起こったならば、
悲惨さは今の何倍にも増していたはずです。


私は先のページで、
歴史の流れから見て ・・・ というようなことを書いたので、
それもまたお叱りを受ける対象となりました。
しかし歴史は偶発的に起こった事象の集合体ではなく、
ひとつの明確な流れを持った生命現象です。
そういう意味では季節の流れとまったく変わることがありません。

季節は南北半球を軸として一年で四季が巡りますが、
歴史は東西半球を軸として1600年で東西文明の興亡が繰り返されます。

歴史は季節の流れと比べると、そのサイクルははるかに長いスパンですが、
確実にある方向に向けて推移するという意味では、
四季の移ろいと同じ形のフラクタル(自己相似形)構造です。

そして歴史の流れは今大きな東西文明の転換期を迎え、
その変化のスピードは日毎に勢いを増していて、
今は誰にでも感じられるぐらいの大激変期となりました。

だからこそ、私たちとって極めて大きなインパクトを与えたこのたびの震災は、
その歴史の流れから見て、私たちに何を気づかせようとし、
どんな方向に持っていこうとしているのかを感じ取らなければならないのです。

これは避難所において、今後の季節の移り変わりに備えた対策をするのと、
まったく変わらないことです。


石原都知事は「このたびの震災は天罰である」と発言し、
大いに波紋を呼び、その後謝罪しました。

この天罰という表現は、
責任ある首長である都知事の発言としては不適切であり、
批判され、謝罪するのは当然のことだと思いますが、
その発言の意味する「我々に対する大いなる警鐘」というところでは、
多くの人が心の中で同じ思いを持っているものと感じます。

私はここ数日、多くの方にこの天罰発言に関する感想を求めたのですが、
そのほとんどすべての方たちが、
天罰という表現を都知事がするのは受け入れられないが、
やはりこれまでの私たちの暮らし方に間違ったところがあり、
それを知らせるためにこのたびの震災が起こったのであろうという
考えをお持ちでした。

もちろんだからと言って、
震災で亡くなったり被災された方たちに深い罪があったわけではありません。
逆に震災で命を落とされた方たちは、
尊い我が命を挺して私たちに教訓を与えてくれたのかもしれません。

イエス・キリストは、私たちの罪を一身に背負って十字架にかかりました。
それはイエスが最も罪深いからではありません。
それと同じです。


こんなたとえ話をいたしましょう。
今私たち日本人、あるいは全人類が乗った船が大きく傾こうとしています。
このたびの震災で、多くの人たちが船から海に落ち、命を失い、
今もなおたくさんの人たちが救済の手を求めています。

今はまず亡くなった人たちを海から拾い上げ、
溺れている人たちを助け、元気を取り戻してもらうことが急務です。

船には大勢の人が乗っていますが、
甲板の縁に立ち、直接溺れている人に手を差し伸べる人は限られています。
他の多くの人は甲板に佇んだり、客室で待機し、
一人でも多くの人の命が助かるように祈り、
自分たちにできる義援金や物資の提供、節電や買い占めをしないこと、
そういったことを懸命に行っています。

それとともに今早急にやらなければならないことは、
大きく傾いている船を元に戻すことです。
船が右に傾いているのなら、
みんなが左に寄ってバランスを取らなければなりません。
または左側に錨を降ろすことも必要でしょう。
舵の方向を変えてもいいかもしれません。

今船にいる者たちは何をしなければならないのか、
傾きかけた船を沈没させないためにはどうすればいいのか、
このことを早急に考え、行動していくことが、
一刻の猶予もないほどに急を要して求められています。

そうしなければ船が沈没して全員が死んでしまうかもしれません。
あるいは助けようとしている人も溺れている人たちと同じように
海の中に落ちてしまい、
甲板や客室にいる人も船の揺れや傾きで大怪我をするかもしれません。

船に乗っている私たちのこれからの行動を早急に見つめ直すことは、
亡くなった方たちの貴重な命を尊ぶことであり、
今溺れている人を助けることであり、
またこれ以上の犠牲者を増やさないために必要なことだと考えています。


これは今現在の日本や人類に対する私なりの状況分析であり、
これが絶対に正しいとは言いませんし、
またこの考え方を受け入れるべきだとも言いません。

ただこれまで命ある歴史の流れを見、
社会の動きを鑑みて、
間違いないことだと自信を持てるので、こうしてここに書いています。

もしこういう考え方があるということを認めていただき、
ご賛同いただけるのであれば、今すぐこの時点から、
私たちの生き方を早急に見直す作業を進めていただきたいと願います。


これはひとつの意見であり、考え方です。
これに賛同しかねる、不謹慎だ、勝手な思い込みだという意見も当然あるでしょう。
そんな意見や批判も甘んじて受け入れます。

スピリチュアル系のブログやホームページを見ると、
私の考え方よりももっと過激なものも散見されます。
けれどもそれらのほとんどはそっちの世界専門であり、
私のように実名も顔写真も上げ、
リアルな世界のこととともに意見を述べているものはほとんどありません。

だからこそこれは自分の役割だと思い、
ストレートな気持ちをここで書いています。


何かご意見があれば、是非ともお聞かせください。
ただしその際、批判的な思いがあったとしても、怒りの感情は抑えてください。
「怒りを手放す」でも書いたように、今は国家の非常時で、
日本人全員の気持ちが落ち込んでいます。
そんな時に怒りをどこかにぶつけても何の有益なものも生まれません。

意見はみなそれぞれ違っても、
それぞれの考え方の下、多くの人の幸せを願っていることに変わりありません。

このコーナーにメッセージを寄せてくださった方たちも、
みな自分自身や自分の暮らしを見つめ直すことにより、
すべての人たちが幸せになる道を求めています。

今はその思いを共有しようではありませんか。


震災でなくなられた方たち、被災された方たち、
そして私たちみんなの幸せを祈ります。

何かご意見、あるいは掲載希望のメッセージがあれば、
メールでお寄せください。

                              ヨガナンダこと 酒井伸雄

春は必ずやって来ます♪



2011.3.20 Sunday  
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