我が魂の遍歴と新しい時代の理
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新たなる宗教の時代

宗教という言葉は手垢にまみれ、宗教的、宗教臭い、・・・その言葉からイメージするものは、決していいものではありません。
これは大きな時代の終末期を迎え、これまでの時代を支えてきた価値観や体制が崩壊するのと同じように、現在宗教というものを支えている体制が、これからの時代の流れに適合しなくなってきているためです。

宗教という言葉からは、宗教団体、組織、そこで説かれいる教義、教典といったものが思い浮かびますが、これは宗教という言葉の本義ではありません。
宗教の宗とは、宀(うかんむり)に示すと書き、宀は宇宙のこと。
つまり宗教とは、宇宙の示した教えという意味です。

ですから宗教は、道徳的な思想や哲学全般、もっと広義には、物理法則であったとしても宗教の一部と考えられないことはありません。

東と西の文明を交代させながら螺旋状に渦を巻くように進化してきた私たち人類は、これまでの精神的に幼かった段階では、何らかの方向に導かれるために、強い拘束力、絶対性を持った組織、教義というものが必要でした。
それがこれまでの地球文明を支えてきた陽性であり金属であり魚座の特質です。

新しい精神文明である陰性、水、水瓶座の時代は、すべてのものの命を知り融合する時代であり、その流れはもうすでにスタートしています。
チャネリング、ヒーリング、潜在能力開発法、様々なスピリチュアルムーブメントはこれから確実に広がりを見せ、現在の宗教の持つ役割に取って代わることとなるでしょう。
硬い組織や教義、戒律に守られた宗教の形は崩れ、もっと自由で、何ら拘束されることのない精神文明が新しい時代の宗教となっていきます。

ただ今はまだ時期尚早です。
現在のスピリチュアルムーブメントの多くは、「○○をするとラッキーなことが起こる ・・・ 宝くじに当たる」等人間の持つ表面的な物欲を満たすための手段として扱われ、宗教のように深くその人の生き様にまで入り込んで人生を説くことはありません。

私が今熱心に実践させていただいているトイレ掃除ボランティアは、誰知れぬ人の汚した糞尿を、素手でただ黙々と磨かせてもらう下座行で、この利を求めない無私の行為こそ、魂の救済という本来の意味で、これからの時代の宗教に最も近いもののひとつではないかと思います。 いろんなものを溶かし込み、完全に一体化していく水は融合の理を持っています。

これまで思考の中心であったミクロ的分析をする科学にマクロ的視点を持った生命観というものが加わり、これから私たちの思考は、その幅を格段に広げていきます。
宗教はより自由な形となり、日常生活により密着したものとなってきます。

そしてこれがより理想的な形で進んでいったなら、宗教も思想も、そして科学や生命観を持った論理的な思考もすべてが一体化し、それらは区別できないものとなるでしょう。

日常考えていること、行動そのものが思想であり宗教であり、宗教という言葉そのものが不要となる、これが新しい時代の宗教の本質です。


私たちは子どもの頃は学校に通い、定められた規則の中、教師という大きな権威を持った指導者に導かれてきましたが、大人になり社会に巣立った後は、自由な環境の中で、自らの意志で学び、成長していきます。
これは人類の精神文明の歩みと同じです。

もうこれからは絶対的と思える何かを「信じる」必要はありません。
ただ身近なものの中から真理を感じ、それを生活の中で、自らの判断によって活かしていけばいいのです。


スピリチュアルなものに興味を持っている人の間では、今アセンションということが盛んに言われています。
アセンションとは次元上昇のこと、三次元存在である私たちが、この大変革期にあたり、更に上の次元の存在になったり、肉体そのものが必要なくなったりするということのようです。

これが正しいことなのかどうかは分かりませんが、今回の文明の大転換期は、人類の持つ精神文明を大きく進化させるものであることは間違いないようです。

生物の進化は、必ずしもなだらかに進むわけではありません。
長い停滞の時を経て、階段状に突然大きな進化を遂げるものです。
私たちは今その段階に来ているのではないでしょうか。

        上善水の如し
          生きとし生けるものは、たおやかである。 
            硬いものは砕けやすく、力強いものは転げ落ちる。
                       ~ 老子 ~


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