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「キレる」を考える<3>
人間が外からの情報を取り入れる五官のうち、
触覚を除く視覚、聴覚、嗅覚、味覚の四官は、
肉体の最上部である頭部に集中しています。
これは外部とのインターフェイス(接触面)は主に頭部が受け持ち、
太極図が円のように循環し、
その太極図と人体の構造が相似であるということから考えて、
頭部から入った情報はいったん腹に落とされ、
そこで熟慮された判断を再び頭部に戻し行動するという、
思考、行動の循環サイクル構造があるのだと考えられます。
腹ができている、腹に一物を持つ、腹の底を探る、
腹黒い、太っ腹、腹を割って話をする、・・・
腹が深い思考や精神の根底を表わしていることを示す言葉は、
日本語に数多くあります。
この腹の働きが十分でなければ、
頭 → 腹 → 頭 という正常な思考の循環サイクルは機能しないのです。
怒りの表現でこのサイクルを考えてみます。
昔から怒りは「腹が立つ」と表現されてきました。
はらわたが煮えくりかえるなどというすごい言葉もあります。
ここ十年、二十年ぐらい前から
怒りの表現として「むかつく」ということがよく言われるようになりました。
むかつくとは「胸がむかつく」ということ、
頭から入った情報が腹まで落とし込まれることなく胸元でストップし、
その結果として胸がむかむかむかついてくるのです。
そしてここ最近最も言われるのが「キレる」という表現です。
キレるとはもちろん頭です。
頭で受けた情報が首から下に降りることなく
頭の中ですべて処理されてしまいます。
これはまるでのど元をロープで締め付けられ、
首から下に餌が落ちていかないようにされた鵜飼いの鵜のようなものです。
頭部だけですべて処理された情報は、
当然ながら浅いもので、サイクルが短いため瞬間的に発せられます。
だから「キレる」とは、瞬間的見境のないものとなるのです。
腹が立つ → (胸が)むかつく → (頭が)キレる、
この私たち一般的日本人の怒りの表現の変化は、
思考方法全般の変化であると同時に、
肉体の変化でもあります。
頭で受けた情報を腹まで落とし込むには、
道筋として体の中心線、背骨を通っていくのですが、
現代日本人はこの体の中心線の力が弱まってきているため、
腹を使った深い思考や感情表現ができなくなってしまったのです。
教育者森信三先生の有名なお言葉、
「教育の基本は立腰(りつよう)にあり」とは、
体の中心線をしっかり保ち、腹をしっかり働かせ、
深く正しい思考、判断ができる人間にすることのが最も大切な教育であるということです。
体の中心線を保持する能力が弱く、腹式呼吸ができず、
いつもダラダラとした姿勢で、
コンビニの前や電車の中でも平気で座り込んでしまう若者に、
「深い思考を」と言葉で説いても効果がないのです。
私が行ったインドでは、
大人も子どもも常に背筋を伸ばした見ほれるような姿勢で
日常を過ごしていました。
日本人も昔はこのような正しい姿勢で、
貧しいながらも日々楽しく生きていたはずです。
「キレる」とは、精神的問題、心の持ち方といった目に見えないものではなく、
肉体的問題であり、
その課題に取り組むには、
いかに腹、下半身を鍛えるか、そのための体育とはどうあるべきか、
また食育としてどのように食事を摂るべきなのか、
そういったところから着目していかなければ、
問題の本質的解決に至ることはできません。
「生命力あふれるインド」とその続きをお読みください。
これは日本人の民族存亡に関わる重大事であり、
真剣に考えていく必要があります。
このことはいずれ別項で述べたいと思います。
2010.01.07 Thurseday
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