ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 心とからだの健康レポート > 週末断食<2>



ヨガナンダ



週末断食<2>

昔読んだ本を何年も経って再び読み返してみると、
以前とは異なる感想を持ち、
その間の自分の変化に気づかされるということがあります。

このたび断食をするのはほぼ十年ぶりぐらいになりますが、
今回は断食を通して様々なことを感じ、
この間の年月の重みを感じさせられました。


当初は食を断つのは丸一日だけと考えていたのですが、
二日目も特に大きな空腹感や疲労を感じることがなかったので、
結局そのまま三日目に入ることになりました。

三日目になると、意識をすれば体はしっかりと動くものの、
少しでも気を抜くと体全体に脱力感を覚えます。

お風呂は人よりも長時間入り、しっかりと汗を流すので、
三日目はさすがに少しふらつきかけました。
断食中は、長風呂やお風呂そのものに入らないよう、
注意するのが一般的です。

また三日目の夜、英語学習をしている時、
少し思考能力や集中力が低下しかけているのを感じたので、
このぐらいが潮時と考え、
リンゴを一個、四つに切って皮ごと口にし、断食を終えました。

三日目の夕方には宿便と思われる便通もあったので、
ちょうどいいタイミングだったのだと思います。


これまでずっと、どのようなことも、
最高の答は己の内が知っていると考え、
それに目を向け、耳を傾けることを実践してきたので、
今回断食をストップするタイミングも、
体でそれを感じた瞬間に即決断することができました。

これはひとつの訓練であり、信頼です。
今回ストップしたタイミングが本当に最適なものであったかどうか分かりませんが、
その判断と、その判断を下した己自身を信頼することで、
表面意識を司る脳と、より内面にある深い意識が、
さらに強い繋がりを持つことができるようになります。

そしてこういったことを繰り返すことにより、
自らの感覚がより研ぎ澄まされ、
深い意識に忠実に生きていくことができるようになると感じます。

大切なのは、その判断が正解であるかどうかではなく、
その判断を自ら求め、下したかどうかということです。


断食中は少し体にだるさを覚え、
日が経つにつれ、
本を読んで理解したり計算をしたりするような思考能力は低下しますが、
五感はより鋭くなるのを感じます。

これは感覚器官の働きを阻害する
周りのノイズが低減するからではないかと感じます。
頭の中の不要な想念が消え、
まるで波を打ったような静けさの中、
一人ぽつんと無念無想で佇んでいる感があります。

この感覚は本来言葉で表現できるものではないのですが、
この静まりかえった精神状態の中にいるのは快感であり、
この状態をベースに生活をし続けたならば、
いわゆる超能力と呼ばれる超常的な感覚も、
自然と芽生えて来るであろうということが実感として理解できました。

今回この己の感覚から受けたメッセージというものは、
過去の断食ではなかったもの、
あるいは訴えかけてこられても、
自からの感覚では感じ取ることができなかったものです。


三日目の夜にリンゴを一個食べると、
その直後から少しずつ思考能力が蘇ってきて、
目に入る周りの世界がより鮮明になり、
瑞々しい潤いに満ちたものへと変化していきました。

けれどそれと同時に、
それらを感じ取る思考のバックグラウンドも真っ白な光を帯びてきて、
その光がその前にある思考そのものにも影響を与えるのを感じました。

その思考の後ろにある白い光の存在は、
まるでカセットテープのサーッという高音のヒスノイズのようなもので、
その存在自体は大きなものではなくても、
確実に思考に影響を与えているというのが分かります。

これが心の奥から湧き出る素直な感覚を遮る雑念であり、
断食によってその雑念のエネルギーが一時期低下したことで、
その存在そのものに気づくことができるようになりました。


膨大な情報、それも自然からのものではなく、
加工された情報に囲まれて生きている現代人の思考は、
まるで大排気量のスポーツカーで、
渋滞する市街地の道路を走っているようなものです。

燃費の悪い大きなボディーを引っ張りながら、
激しい振動と排気音に耳を遮られ、
周囲の景色や自然の音に耳を傾ける余裕などまったくありません。

それでも一刻も早く定められた目的地に着くのが最善であると信じ込み、
遮二無二なってハンドルを握り、
アクセルとブレーキを同時に踏み続けているのです。


断食をしてその車のエンジンをいったん止めると、
これまで何もないと感じていた静寂の世界に、
深く満ち足りた穏やかな何かが潜んでいることを感じ取ることができます。

これもやはり言葉で表現できるものではなく、
また誰しもが感じるものではないだろうとは思いますが、
今回の断食では、そのことがとても強く心に響きました。

そういったこともあって、
これまでのように断食が終わると、
その反動で一気に食欲が湧いてくるということが、
まったくありませんでした。

あれが食べたい、これが食べたいといった欲求がない代わりに、
これからいかに今のようなシンプルな食生活を維持できるのか、
そんなことばかり考えてしまいます。


心の内の目に見えない世界、
身体の内、身体の外の目に見える世界、
これらはすべて深い関連性を持って繋がっているので、
それらがすべてバランスを保たれた状態であるならば、
そのひとつの要素に変化が生じたとしても、
それで以て大きくバランスを崩すことはありません。

断食で身体の内をきれいにしようと試みても、
その他の心の内、身の周りである身体の外側が乱れていたならば、
それに引っ張られ、体重も食欲もリバウンドしてしまうのだと考えられます。

二人三脚、あるいは三人四脚、
すべての足並みを揃えていくことが肝要であり、
今回はそれが整っていたのだと感じます。
  (意図的にバランスを崩し、他に刺激を与える方法もありますが ・・・ )

書店にはダイエット本が数多く並んでいて、
その中に、リバウンドしないためには、ということがよく書かれていますが、
本来リバウンドの原因を求めるには、
身の周り、身の内外、すべてを見回す必要があります。


このたびの断食はたった三日間だけのものでしたが、
その間、ほんの一端だけですが、
空(くう)という満ち足りた存在に触れることができたように感じます。

この存在は強烈なものであり、
確実に心の中の何かを変えてくれました。

今は次回断食をすることが楽しみでなりません。
そして次回再び断食をしたならば、
また何か新しい気づきがあるであろうことが、
深い確信とともに感じ取れます。

そしてそこに至るまでの道筋をつけてくれたのは、
やはりインドで質素な暮らしの中、
満面の笑みを讃えながら日々イキイキと生きているホームの子どもたちです。

あの輝くような子どもたちの笑顔はまさに無限であり、
また空そのものです。


この世は相対であり、逆もまた真なり、
対極の中にこそ、鏡の如くそのものの真理が潜んでます。

飽食の時代、貪るようにモノを求めるから飢餓感が尽きないのであり、
モノを断つ中にこそ、満ち足りた空の実在を感じ取ることができます。

断つ、手放す、
新たなものを手に入れるには、
今握っている手を開くことから始めなければならないのです。

2014.5.4 Sunday
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.