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2016年12月12日 ・・・ 磨き上げる

毎月第二土曜日は公衆トイレ掃除の日、
一昨日10日は、広島城の敷地の中にあるトイレを掃除してきました。

公衆トイレを掃除するということは普通の人には敷居が高いようで、
興味があると言ってくださる方は時折おられるものの、
実際に参加してくださる方はごくまれで、
たまに新しい方の参加があるととても嬉しく感じます。

先月11月は、毎回参加の主要メンバー三名での掃除でしたが、
今回はトイレ掃除は初めて、あるいは二回目といった初々しい方の参加があり、
学ぶことの多い楽しい会でした。 (六名参加でした)



どんなことでも経験から学べることはたくさんあります。
その中でトイレ掃除だけが他よりも際だって尊く、学びが多いとは言いませんが、
モノを大切にし、感謝する行為の表れである掃除は、
とても心を豊かにしてくれるものだということは実践していて強く感じます。

身の回りのもので不要なものは本来何ひとつありません。
それらはすべてを大切にし、感謝するべきものなのですが、
高価な宝石、洋服、車、・・・そういったものはとても大切に扱うことはできても、
普段は日陰の存在となっているトイレに深く感謝することはなかなかできません。

だからこそ、生きるために大切でありながら、
最も感謝の思いから遠ざかりがちなトイレというものに、
深い感謝の思いを込めて掃除をすることにより、
すべてのものに感謝できる自分になれるのです。

ましてや公衆トイレは誰が使ったか分からないもの、
それを掃除する、掃除させていただくことは、
最も低い立場の下座行であり、だからこそ価値があります。


日々一生懸命動いてくれている自分自身の身体にも深く感謝しなければなりません。
その感謝の表れてして、お風呂の中では、
全身を撫でながら視線を向け、感謝の言葉をかけています。
  <身体との対話>

そしてその時に最も深く感謝の思いを捧げるのは、
普段意識の上に昇ってくることがあまりない末端である指先です。
この指先への感謝行が爪もみで、
爪もみは、『身体全体に感謝する』という思いの表れなのです。
  <爪もみ健康法>

“すべてに感謝する” 象徴的行為として、
トイレ掃除と爪もみは同じ意味合いを持っています。


そう言えば、トイレ掃除をした夜は、
お風呂に入るととても爽快で心地いいのですが、
特に一本一本の爪には、その日よく動いてくれたことへの感謝の思いが湧き上がり、
普段よりもさらに気持ちよく爪をもむことができます。

指先とトイレ、末端同士、やっぱり相性がいいのですね♪


何事もそうですが、トイレ掃除も長く続けているとマンネリになり、
新たな気付きが手に入りにくくなってしまいます。
そんな時に新しい人がグループに加わってくださると、
その方の掃除する姿や表情から、
忘れかけていた大切なものを思い出させてくれます。

トイレ掃除を初めて体験された方は、そのほとんどが、
「最初は少し抵抗がありましたが、している内に夢中になり、
 掃除した後はとても清々しい気分になりました」
と語ってくださいます。

そんなトイレ掃除初体験で感動された方でも、
それ以降も継続して参加ということにはなかなかなりません。
けれどそれは決して悪いことではないのです。
それはその人の胸に、そんなに清々しい思いをしなければならないという
澱(おり)のようなものが溜まっていないからです。

逆にトイレ掃除に感動して深くはまっていく人は、
その多くが心に闇を抱え、
それをなんとか払拭したいという思いで実践されています。
それだけトイレ掃除が強烈な力を持っているということです。


トイレ掃除はそんな自分の心と対峙する場であり、
自分自身の心を磨く道場でもあります。

トイレ掃除の主目的は、
トイレをキレイにし、心地よく使ってもらえるように、ということではなく、
あくまでも自分のための行為です。

ですからトイレの便器は掃除してきれいにするというよりも、
その真っ白な便器に鏡のように自分の姿を投影し、
徹底して磨き上げるのです。

便器の汚れは簡単に落ちるものもあれば、
なかなか落ちないものもあります。

小便器、また小便器の水濾しなどは、
完璧にキレイにするのは至難の業で、
八割、九割汚れを落とすのは簡単でも、
それから先、ほぼ完全にキレイと言える状態にするまでには、
それまで以上の労力を要することがほとんどです。

けれどその完璧、完全の状態を目指して掃除し、磨き上げるのです。
これは自らに課せられた行であり、
便器と向かい合って掃除をしていると、
自然とそうすべきだという思いが湧いてきます。

今回初参加だったMさんは、女子トイレの便器を担当してくださり、
ピカールという金属磨きを使い、
見事なまでに便器とその周辺のパイプ類を磨き上げてくださいました。



どうですかこの輝き!!
写真からでもその新品以上の輝き、美しさが伝わってくるでしょう。

これが真の感謝行です。

言葉で説明するのは野暮なことですが、
ここまで磨き上げたなら、便器が自然と愛おしいものと思えるようになってきます。
そして便器が愛おしく思えたら、
すべてのものが愛おしくなってくるのです。

これって最高の幸せですね♪


繰り返しますが、トイレ掃除だけが尊い行為ではありません。
どんなものでも、“磨き上げる” ほど徹底して大切にし、慈しめば、
自分の心は自然と豊かになってきます。

年末は大掃除の時、あなたの大切にしているもの、
または大切だけれども、普段はあまり意識を向けていないものを
徹底して慈しみ、磨き上げてみられてはいかがでしょうか。

ものへの感謝のため、そして自分自身のために。



2016.12.12 Monday  
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