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2016年11月4日 ・・・ 律せられない自己<2>

前回更新から三週間もの期間が開いてしまいました。
こんなに更新期間が開いたのは、
一昨年、インドに長期間滞在していた時以来だと思います。

どこか調子が悪かったということではなく、
その逆で、いろんな大きな動きが流れ出し、
ホームページを更新することに意識も時間も向けることができなかったというのが
正直なところです。

その流れを変えるキッカケとなったのが、
約二十年ぶりに瞑想を習慣化するようになったことだと感じます。
一日ほんのわずかな時間でも、
心を鎮め、己の内を見つめるのは快感です。


このことに限らず、すべての物事には流れがあり、
その流れは渦を巻くように循環しています。
頭のつむじ、脳みそ、腸、銀河、原子核の周りを回る電子、・・・。
循環は時空の大切な基本法則のひとつです。

循環とは継続した動きであり、
もし自分にとっていい循環ができたと感じたならば、
その流れをこれからも長い間継続できるよう、
また流れが大きくなるよう努めたいものです。
今そんなことを考えています。


その循環の流れを大きくするためには、
その流れがどちらの方向に向かっているのか、
その流れの本質を見つめることが大切です。

ひとつの流れの中で出会う人、出合うものには共通性があり、
またシンクロニシティー(共時性現象)の中から、
自分、自分の中の最も奥深い魂、
あるいは真我とも呼べるべきものが、
何を望んでいるかを感じ取ることができます。


最近はいいタイミングでいいものと出合うことが多くなり、
また明らかにシンクロニシティーと思えることがたびたび目の前に現れます。

そのひとつひとつはほんのささいなものです。
今朝も早朝の異業種交流会 積極人間の集いがあり、
講師のいいお話を聴くことができました。
今朝の講師は地元広島の自動車メーカーであるマツダ出身の方で、
'91年、マツダが世界最大の自動車レース ルマン24時間レースで
優勝した時に関わっておられ、
その当時の様子を興味深く聞かせてくださいました。

そのルマンレースには、
日本人女性もドライバーとして参加したことがあるのをご存じでしょうか。
そのドライバー、井原慶子さんという方ですが、
その方のTEDでの講演を知り合いから紹介してもらい、
ほんの二三日前に聴いたばかりだったのです。



積極人間の集いが終わり、
みんなで喫茶店に移動して歓談していた時、
ある方が、広島名物の魚の練り製品“がんす”の話をされて、
そのがんすってどんなんだったかな?と思っていたら、
その帰り道に寄ったスーパーの棚に、
がんすがドンと置かれていました。

シンクロとは本当にささいなことです。
けれどこんなささいなシンクロでもたびたび起こってくると、
己の想念の持つ偉大な力を感じ、
自分はひとつの流れに乗って生きているんだという安心感が生まれ、
自分にも他人にも寛容な気持ちで接することができるようになります。

そして明るい気持ちになり、
運命に身を任せるような力を抜いた生き方ができると、
それがまた新たな出会いやシンクロを生み、
いい循環をより大きくする力となりえるのです。


自己を完全に律するとは、
頭で考えていること、心で感じていること、
また魂が望んでいること、
それらすべてが一致した状態から生まれるものだと考えます。

けれど人間は誰しもそこまで完璧な状態にはなりえません。
ならばその不完全さを思いっ切り感じ取り、
その中で楽しく少しでもいい状態を目指していきたいというのが、
怠惰な面を数多く持つ自分なりの生き方です。

運命の流れ、循環を作り出すのは自分自身の力であり生き様です。
己を克己し、ひとつの道を切り開いていくのは素晴らしいことです。
しかしそこまではできなくても、
『牛に引かれて善光寺参り』という諺のように、
周りの流れに身を任せ、その中で少しでもいい方向に歩んで行こうとする
生き方もまたあるのではないかと考えます。

掃除道の提唱者である鍵山秀三郎氏は、
『継続するためには例外を作らないこと』と述べられ、
鍵山氏の徹底した掃除のやり方と生き様は、
多くの人から熱い信奉を集めています。

けれど自分のやり方はその逆です。
『継続のためには適度にさぼり、そのさぼる自分を責めないこと』
これをモットーとしています。

この対極する二つの考え方は、
どちらが正しいとか理想だとかいうことはなく、
最終的に続けるという目的を達成するためには、
自分はどちらが向いているのか、
それを自分で判断し実践すればいいことです。

自分は己の中にある『律せられない』部分を愛していて、
その律せられない、グータラとも言える部分と楽しく付き合っています。
元々は大阪生まれだからでしょうか、
こんな関西人的なノリが好きであり、性に合っているのです。


若い頃は大きなオートバイに乗っていましたが、
大きなバイクでカーブを曲がる時は、
ハンドルを手で切るのではありません。
体の重心を傾け、バイクを横に倒し、
そのわすがにタイムラグのある流れの中で進む方向を決めるのです。

バイクは手でパッパッと方向を切り替えるのではなく、
バイクと体が一体となって、
グイ~ンといった感じて流れていくものです。


このバイクの感覚が人生の歩みとよく似ているように感じます。
物事はすべて思い通りにはなりません。
自己を完璧に律することもできません。
自分の心の奥底を100%知ることなどできないのですから、
人生これから先、何が起こるかまったく予測がつきません。

ひとつの流れを感じ、それに則って生き、
その少し後に現れる反応でまた己のあり方を決めていく。
そんな大きな流れを楽しみ、
完全に思うがままにはならないことを丸ごと受け入れ生きていく、
それが愚者の知恵だと考えます。

そして己を100%律せられないことを強く意識できれば、
他人を自分の思い通りにしたいという『制御欲求』も自ずと薄れてきます。


この時空は完璧な律法によって形作られたものです。
そしてそこに存在する人間は、
生命システムとしては完璧でも、
意識はまだまだ不完全、
そして不完全さゆえ楽しみがあり、
その楽しみを味わいたいがため、
意図的に不完全さを残した存在にしているのだと感じます。

楽しむこと、それが人生最大の大義だと感じます。


バイクと同じような例ですが、
管楽器でも特に大きな呼吸の力を必要とするサックスは、
それを意のままに演奏するのは至難の業です。

けれど一流のプレーヤーは、
まるで小学校で使う(今はどうかな?)リコーダーのように軽々と吹きこなします。

その一流プレーヤーの中で、
宮澤昭というサックスプレーヤーは、
音を聴いてもらうと分かるように、
少しサックスという楽器を扱うのに難儀しているかのように、
一瞬の音の遅れや“タメ”が感じられるのですが、
それがものすごく味わい深くて魅力的なのです。



自分の理想とする生き方はこんな生き方です。
強くなくてもいい、弱さを許容し合い、それ楽しみにまで昇華する、
最高に素敵なことだと感じます。 (^o^)v

2016.11.25 Friday  
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