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2013年10月10日 ・・・ 愚かさを知る

日本経済は不況の真っただ中とはいえ、
お金のあるところにはあるものです。
二十代や三十歳前後にして年収数千万円を稼ぎだし、
多額の現金を持ち歩き、
派手な生活をするネオヒルズ族と呼ばれる人たちがいます。、

先日そういうリッチな若者たちの様子を伝える動画をネットで見ました。
若くして財をなした彼らがおしゃれなバーに集って豪遊し、
その時の会費がなんと40万円、それを彼らはその場で現金で支払っていました。

40万円のパーティー、なんとも豪勢ですね。
けれど趣味や生き方が違うからでしょう、
その時の様子を見ていても、これっぽっちも羨ましいという気持ちが沸いてきません。

40万円というのはかなりの金額です。
それを見た時はインドから帰った直後でしたので、
インドの貨幣価値に換算して考えてみました。

インドでは一人の子どもをホームに入れ、
衣食住の世話をし、学校へ通わせるのに年間約5万円必要です。
インドの義務教育期間は8年間ですので、
40万円という金額は、
ちょとうど一人の子どもが義務教育期間内
ホームで生活するのに必要な費用に相当します。

そんな刹那的なパーティーで享楽的な喜びを得るよりも、
もっと生きたお金の使い方があるだろうに ・・・ 、
そんな方法でしか喜びを見いだすことのできない彼らを見て、
羨ましさとは対極の哀れみすら感じました。
これは偽らざる正直な思いです。


今は時代の大きな転換期ですので、
世界中、特に衰退すべき流れにある西側社会で民族紛争が多発し、
難民が大量発生するのは時代の必然です。

特にアフリカのソマリアは百万を超す難民を出し、
事態はきわめて深刻です。

ニュースによると、難民の中には病人や怪我人もたくさんいて、
その人たちは難民キャンプの中で治療を受けるのですが、
立派な医療設備など望むことは到底できず、
さながら野戦病院のようなところで、
手足を切断したり帝王切開の手術が麻酔無しで行われているとのことでした。

麻酔無しでの切開手術、想像しただけで気が遠くなりそうです。
そしてそんなことが現実にこの世界で起こっているのです。


この事を知ってからしばらく後、別のニュースで、
一回の手術に使われる麻酔の費用は三千円で、
その金額を寄付することにより、
一人の病人や怪我人が、
苦しまずに手術を受けることができるのだということを聞きました。

三千円という金額は、
一回飲み会に行くのを我慢すればまかなうことのできる金額です。
これは日本人ならばほとんどの人が払うことのできる額でしょう。

ではそれを知った自分自身が麻酔代金の寄付をするのか ・・・ 、
残念ながら今もって自分は実行していません。
もしこれがごく身近な人の苦しみであったなら何らかの行動を取るでしょうが、
広い世界の果てで苦しむ人の痛みまで、
我が事として実感できるほどの尊さは持ち合わせていないのです。

けれどそんな自分ではあっても、
人に対してはそれを求め、
40万円の派手なパーティーをする若者たちには哀れみの情を抱いています。


人はみな己の中に愚かさを抱えています。
その愚かさの中でも最も愚かなのは、
自らの愚かさに気づかないということです。

自らの愚かさに気づくということは、自らを知るということ、
そのために人は人生に於いて様々な出会いや物事を経験し、
笑い、喜び、感動し、
時には嘆き、悲しみ、傷付きながら成長をしていきます。

まだまだ己の愚かしさに気づけない自分ではありますが、
平和公園で行っているガム取りは、
そのことを学ぶひとつの大切な方法であると考えています。

最初ガム取りをしていると、
平和公園のような聖地にガムを吐き捨てる人間の行動に憤りを感じ、
それを掃除する自分は、
あたかもその愚かしい人間とは対極の尊い存在であるかのような錯覚を覚えます。

けれどもそれが進んでいくと、
誰にだって後ろめたい行動をした過去があり、
その贖罪としてこうしてガム取りをさせてもらえることに幸せを感じ、
その贖罪のキッカケを与えてくれたガムを捨てた人に対して、
憤りの気持ちを持たないようになってきます。

そして今の段階は、
自分が過去に犯してきた “ガムの吐き捨て” のような罪業を、
こうして場を変えて贖罪させてもらえることに感謝を感じ、
ガムを捨てた人にすら有り難いという気持ちを持てるようになるのです。


人はみな愚かな罪人、それを自覚して生きることが、
よりよい生き方だと感じます。

今こうして文章を打っていて、徳永康起先生のお話を思い出しました。
人の持つ愚かさを包み込むと、こんな素晴らしい話も生まれてくるのです。


私は四十年間「教育」の仕事にたずさわらせてもらってきました。そして、今も、大学の講義に出させてもらっているのですが、近ごろ、私のやっていたことは「教育」になっていたのだろうかと、はずかしい思いでふりかえらせてもらっているのです。

熊本県に徳永康起という先生がいらっしゃいます。三十三歳で校長に抜擢されながら、自ら希望して平教員に降格され、八年前退職され、今も問題少年たちのために献身的な仕事を進めておられる先生です。次のは、その徳永先生のご講話の中の一節です。


昭和19年5月12日、ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死した生徒がおります。若冠十九歳でした。この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。学用品を買うのにも「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」と叱られるのです。それが恐くて、ある日、彼は友人の切り出しナイフを盗みました。

教室で「今朝買ってきた切り出しナイフがなくなった」という生徒の訴えを聞いてヒヤッとしました。「あの子ではなかろうか」と暗然といたしました。生徒を外に出して調べてみると、案の如く、桐の柄がついて、桐の蓋が三角形についているあのナイフを、外側は削って墨を塗っているけれども、鞘を抜けば新品の切り出しナイフが彼の机の中にありました。私は、すぐその足で自転車を飛ばして金物屋に行き、それと同じ物を、失くした生徒の机の奥にいれておきました。

やがて、教室にはいってきた生徒に「君はあわて者だから『なくなった』なんかいうが、よく調べてみるんだね」というと、机の奥の奥から切り出しナイフをさがしだして「先生、ありました、ありました」と喜びました。そのとき、教室の一隅から、うるんだ眼で私を見ておったのが、昭和19年5月12日、空中戦で亡くなったその生徒でした。彼は、死の前日、手紙を書いて私に送ってくれました。「明日は、ポーランジャの空で僕は見事に戦死できると思います。その前にたった一言、先生にお礼を申し上げたい。あの時に、先生はなんにも言わないで僕を許してくださいました。死の寸前になってそのことを思い出し『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます。どうぞ先生、体を元気にして、僕のような子どもをよろしくお願いします」というのが絶筆でした。

私は、私が彼と同じ境遇におかれたら、これ以上の荒れ方をするだろうと思ったときに、どうしてあの子を怒ることができたでしょう。今、彼の墓前には、私が植えた八重クチナシが大きく育っております。


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2013.10.10 Thurseday  
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