| 一滴の思い |
| 広島に住んでいると平和や原爆の話題を耳にする機会が、 他の都市に暮らす人たちよりも多くあります。 広島に人類初の原爆が投下され63年が経ちましたが、 今現在も世界各国には3万発ともいわれる核兵器が存在し、 今この瞬間にもスイッチが押され、 人類全体を壊滅させる核戦争が勃発する可能性をはらんでいます。 広島から訴える核廃絶の願い、被爆者の貴重な平和証言は、 残念ながら、年々重要性を増すばかりです。 高齢化が進み、少しずつ数少なくなっていく被爆者の方たちの多くは、 自ら進んでその体験を語ろうとはしません。 言葉にできないあまりに悲惨な体験は、 記憶の中から消してしまいたいと思われるのでしょう。 私の家の近所にズボンの裾直しやボタン付けなど洋服のリフォームをする 古賀徳子さんという方がおられます。 近所のよしみで、よく一緒に食事をしたりコーヒーを飲んだりするのですが、 たまたま話の中で私が原爆記念式典に参加したことを伝えると、 古賀さんが「私も被爆者なんよ・・・」と自らの体験を初めて語ってくださいました。 ![]() 当時13歳だった古賀さんは、爆心地から3キロほど離れた比治山中学校で被爆されました。 当時比治山女学校だったその学校は、爆心地として有名な大手町の島病院の島院長が 理事長を勤められていたのだそうです。 原爆投下から60年以上が過ぎ、 ようやっと「もうそろそろ語ってもいいかな」という気持ちになられたそうで、 近いうちに広島大学の平和を研究するグループの人たち主催の集いで 被爆体験を語られるそうです。 古賀さんと同様、自らの被爆体験を語るまでに数十年の時を要したという方の話を 何度もお聴きしました。 それほどまでの長い時間を必要とするほど被爆体験というものの与えた心の傷は、 深く大きなものだったのでしょう。 私たちは、その事実から当時の悲惨な情景を想像することしかできません。 広島平和公園の中には、原爆によって亡くなられた方たちの資料や、 貴重な被爆証言が収められた国立広島原爆死没者追悼平和祈念館があります。 ![]() これまで何度もこのホームページやブログで、 この祈念館の存在がほとんど人に知られておらず、 中に収蔵された貴重な被爆体験資料、特にビデオ証言が死蔵されていることについて 憤りと願いを込めてメッセージを書いてきました。 平和公園の中、原爆ドームと平和資料館の中央という最高の立地にも関わらず、 建物のほとんどすべてが地下に埋もれるように建造されており、 国や広島市がこの祈念館の存在を多くの人に知らしめようという努力を ほとんどしていないのが原因です。 古賀さんにこの祈念館のことを話してみると、やはりご存じありませんでした。 被爆者であり、平和公園に自転車で10分ちょっとで行ける場所に何十年も暮らし、 亡くなられた同級生の方たちの資料も収められているのに ・・・ 。 ![]() あまり文句ばかりを書き綴ると虚しくなるのですが、 何十億もの費用をかけて立派な施設を作り、資料、証言を集め、 空調のよく効いた巨大な施設の中に何人もの職員やガードマンを配したら、 後はこの施設の存在を誰が知ろうが知るまいが、 また所蔵された被爆資料が活かされようが活かされまいが、 そんなのは知ったことじゃない、というのが国や広島市の行う平和行政の実態なのでしょう。 ![]() 順番に従って祈念館の中を一回りすると、出口付近で 『しまってはいけない記憶 −水を求められて−』という企画展示をしていました。 ![]() 原爆の熱線を受け、大やけどを負った多くの被爆者の方たちが、 必死の思いで水を求めたということはとてもよく知られています。 平和記念式典ではきれいな花とともに慰霊碑には献水という形で水を手向け、 水を求めて亡くなった多くの死没者の方たちの霊を慰めています。 広島市内各所にある慰霊碑には、今でも献水に訪れる人たちが後を絶ちません。 ![]() 企画コーナーの一角に大きな画面が設置され、 三名の被爆者の方の証言を紹介していました。 ![]() 被爆当時まだ十代だった軍人男性は、 被爆直後、ボロボロになった衣服をまとい小さな子どもを抱えた女性に 「水、水をください。せめてこの子にだけでも水を少しください・・・」 と懇願されたそうです。 しかし軍隊の上官に「水を与えたら死んでしまう」と言われ、 泣く泣くその場を去り、 そのことが深い心の傷となり、 今もその親子のことを思い、日々心の中で手を合わせているとのことです。 ![]() 当時町中にあった防火用水には水を求めて人が集まり、 防火用水の水槽の中に首をつっこんだまま動かなくなってしまった人がいたそうです。 川にも多くの人が水を求めて集まり、川面にはたくさんの死体が浮いました。 その証言を聞いている私は、ただ心の中で手を合わせるだけです。 祈念館を出て、出口からほんの100メートルほどのところにある慰霊碑に参拝しました。 8月6日の原爆記念日から二日過ぎた今日も、 多くの人たちが平和公園を訪れ、慰霊碑に手を合わせています。 ![]() 慰霊碑の周りの献花台の飾り付けは、まだ式典の時の状態のまま残されています。 けれども多くの手向けられた花束の状態を見て、 驚きのあまり言葉を失ってしまいました。 ![]() 連日35度近い猛暑が続き、その暑さと強烈な日差しで、 多くの花がぐったりとしおれてしまっています。 花の命は短いもの、切り花にすればなおさらです。 けれどもこれらの花が枯れてしまった原因は、猛暑の中、水を与えてもらえず、 放置されたままになっていることが原因です。 ![]() 献花台のすぐ下には、ペットボトルに入った水が献水として供えられています。 けれどもこの水が、すぐ目の前にあり、 水を求めて命を絶やそうとしている花たちに届くことはありません。 広島市が慰霊碑の飾り付けとして供えられている黄色い菊の花は 水分を含んだスポンジに差されていて、 こちらは元気に花を咲かせています。 ![]() 市が供えた花は市が管理するけれども、 個人や他の団体が供えた花に関しては、市は責任を持たないということでしょうか? 水を求めて死んでいった多くの死没者の霊を慰めるこの慰霊碑に供えられている花が、 水を与えられることなく、まだ蕾を花開かせる前の状態のまま命絶えるのを見て、 なんとも感じないのでしょうか? 立派な祭壇を作り、それで仕事は終わりなんですか? この状態を死没者の方たちがどこかで見ているとしたら、どう感じると思いますか? もしこれが自分の愛する肉親の葬儀だったら、 花を持ってきてくださった人が自分や亡くなった人と親交の深い人だったら、 その花をどのように扱いますか? どのように扱えば亡くなった人は喜ぶでしょうか? ほんの少し考えてみてください。 どうすべきなのか、その答えは明らかでしょう。 ![]() この慰霊碑の前で放置されたままの花、 巨額の費用をかけて作っただけでほとんど活かされることのない 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、 このどちらにも形だけの平和行政という共通した姿勢を感じます。 「広島は被爆都市であるというその事実に甘えすぎている」 以前私の知り合いがそう語っていました。 HIROSHIMA というのは世界に通じるビックネームで、 このことは今後も変わることがありません。 『広島の平和に対する取り組みが不十分だから、 来年からは原爆の日の式典は隣の岡山で行います』 なんてことは絶対にないのです。 だからこそ、広島市の平和に対する取り組みは真摯なものでなければなりません。 これは広島がヒロシマ、HIROSHIMA であり続ける限り絶対的な義務です。 立派な施設を作り、資料を展示し、 大規模な式典を催し、時の総理大臣を招き、市長が声高らかに平和宣言を読み上げ、 鳩を飛ばすことだけが平和への取り組みではないはずです。 そのひとつひとつの取り組みの中に心が、思いがこもっていなければ、 人の心に響き、人を動かすことのできる真の平和への取り組みにはならないと思います。 核兵器を廃絶し、世界平和を実現するのは遠い遠い道のりです。 しかしその原点は私たちの心の中にあり、 最も身近なところから、ひとつひとつその思いを伝えていく、 これしかないと考えています。 2008.8.8 Friday |