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別れ


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出会いがあれば別れがあり、
ともに過ごす一時が楽しければ楽しいほど、
別れは辛いものとなります。

インドでこれまで何度別れの悲しさを味わってきたことでしょう。
別れ際、子どもたちの寂しそうな顔を見ると、
そんなに自分のことを慕ってくれているのかというほんの少しの喜びと、
この可愛い子どもたちとしばらく会うことができないのだという大きな寂しさで、
胸が張り裂けそうになります。

今回も、ある立派な体格をした大きな男の子から、
「もう行ってしまうのか?」
「今度はいつ来る? 来年1月か? 2月か?」
「とっても悲しい」
そんな言葉を何度もかけてもらいました。

その子はコテージで夕食を取る時、
いつもとなりに座るようにと手を引っ張り、
となりの席からうるさいぐらいいろいろ話しかけてくれました。

とても明るく逞しい元気な子でしたが、
きっと心の中に大きな寂しさを抱えていたのでしょう、
そのことを別れ際に彼の言葉から感じ、
もっと早くそのことに気づいてあげればよかった、
もっとたくさん交流すればよかった、
そんな思いが湧き上がりました。



たくさんいるホームの子どもたちすべてに
同じような温かく優しい態度で接することはできません。
日々元気いっぱいの子どもたちにもみくちゃにされ、
その場その場の感情のおもむくままに接しているというのが現実です。

透明な心を持つ子どもたちは鏡のような存在で、
いつも自分の心を映し出して見せてくれます。
そして後になって反省し、時には大きく落ち込むこともありますが、
その分学ばせてもらうことも大きいのです。


子どもたちが二百数十名いる最も大きなホーム、トリチーでは、
朝は子どもたちが学校別に隊列をなし、
大きなバイパス沿いの道をそれぞれの学校に向かって歩きます。
それをハウスマザーたちが引率し、
帰りも下校時間に学校まで迎えに行くのです。



学校はハイスクール、ハイヤーセカンダリー、プライマリーの三校で、
それぞれ町中のほんの近いところにあり、
年齢の高い子どもが行く学校ほど早くホームを出発します。
学校までは片道およそ15分から20分といったところです。

子どもたちの学校への行き帰りには必ず同行することにしていました。
ハイスクールの子どもを学校まで見送り、
ホームに帰り着いたと思ったら今度はプライマリーの子どもたちが出発する、
そんな感じで朝夕何度かホームと学校との間を往復することもありましたが、
子どもたちと一緒に歩く間は手をつないで歌を歌ったり、
いろんなことをおしゃべりしてとても楽しい一時です。

おしゃべりといっても、
現地語であるタミル語は単語をいくつか知っている程度で、
主に下手な英語で言葉を交わすだけですが、
子どもとの間はそれで十分にコミュニケーションが取れるのです。
本当に子どものオープンマインドは素晴らしいです。

それにしてもトリチーはものすごく暑いところです。
日中は日本の酷暑の時以上の日差しが照りつけ、
十分も歩いていると汗が噴き出してきて、
水の入ったボトルは外へ出る時はもちろん、
ホームの中を歩く時にも手放せません。


トリチーを出発する最後の朝、
子どもたちがいつものように登校準備で列をなして並んでいます。
その日は朝のうちにチェンナイへバス移動するため、
子どもたちと一緒に学校に行くことができません。



一番小さなプライマリースクールの子どもたちが並んでいる時、
子どもたち一人一人に、
「これからチェンナイに行くよ」
「さようなら」
と声をかけていきました。

すると子どもたちがみな口々に
「ブラザー・ノー・チェンナイ」(チェンナイに行かないで)
と寂しそうな顔で語りかけてくれました。



子どもはみんな可愛いのですが、
幼い子どもは特に純真で、その言葉は心に響きます。
そんな純真な子どもたちの寂しげな言葉を聞いているうちに感極まってしまい、
たくさんの子どもたちの前であるにも関わらず、
思わず涙がこぼれてしまいました。

そうすると今度は子どもたちから
「ブラザー・ノー・クライ」(泣かないで)
としつこいぐらいに慰められ、とても恥ずかしい思いでいっぱいになりました。

その後子どもたちと手をつないでホームの門の所まで行き、
そこで立ち止まり、手を振り、学校へと向かう子どもたちの後ろ姿を見送りました。

別れの辛さはこれまで何度も味わってきましたが、
こればかりは慣れることができません。
この辛い気持ちをこれからの糧にし、
子どもたちにより大きな喜びを与えられる人間になる、
自分にできることはそれだけです。


ホームにいるのは、日本の小学校に相当するプライマリースクールから
日本の中学校、高校の一部に相当するハイスクールの子どもたちです。

子どもたちは、その子の進路に応じた最終学年を終えるとホームを去り、
またその途中でも家庭や本人の事情で田舎に帰ることがあります。

チェンナイのホームにいるタミルミディアム、
タミル語で授業をする学校に通う女の子たちとは最も交流が深く、
顔と名前が一致する子どもたちがたくさんいます。
けれどそんな親しくしていた子どもたちも、
少しずつホームを離れて巣立っていきました。


チェンナイのホームは支援するドイツの団体の関係で
新しくタミルミディアムの子どもが入ってくることはなく、
子どもの数は減る一方です。



今年も、ちょうど自分たちがチェンナイのホームにいる間に、
サティアベニ、その妹のプレアダッシニー、
「サカイブラザーは自分のお父さんだ」と言ってくれたギータ、
人のよさが全身からにじみ出るようなシンドゥー、
のんびり屋のスネーハー、
そんな子どもたちがホームを離れていきました。
みんな南インドに行くようになった当初から関わっている子どもたちばかりです。

学校での最終試験を終えた後、
親御さんが子どもたちを連れにホームに迎えに来てくだり、
それぞれの田舎へと帰っていきます。



子どもたち同士も抱き合って涙を流したり、
それぞれの形で別れを惜しんでいます。
長い子は十年ぐらい寝食を共にしてきたのですから、
兄弟、姉妹と変わらない関係とも言えるでしょう。

最後は個性的で凜々しいカルティカも田舎に帰り、
タミルミディアムの女の子はプーニマ一人になり、
男の子三人と合わせて四人、
あとはすべてイングリッシュミディアムの子どもたちになってしまいました。


長い間顔を合わせてきた子どもたち、
一年ぶりに会い、背が高くなったり大人っぽくなったり、
その成長を楽しみ、驚いてきた子どもたちとももう会うことができません。
ほんのつい最近だと思っていた過去のインドの旅の思い出が、
確実に遠いところの引き出しの中に仕舞われていくような気がして、
時の流れの重さを感じます。

けれど不思議なことにさほど寂しさを感じません。
それは確実に成長した子どもたちの姿を見て、
子どもたちがホームを出て新たな世界へと旅立っていくように、
それを見ている自分もまた
インドとの新たな関わりを求められているような気がして、
別れの時は同時に新たなるスタートの時だと感じ取るからです。


子どもたちはホームを離れる時、
それぞれの子どもの里親になっているドイツの支援者の方に手紙を書いていました。
子どもたちはタミル語で手紙を書き、
それをホームのオーナーであるスレッシュが英語に訳します。



とてもフレンドリーだったギータに、
飯田さんはバングル(腕輪)を贈り、
自分は手持ちにたいしたものがなかったので、
スマイルボールをプレゼントしました。



ホームを出ていくみんなに渡したのはささいなものですが、
それでもみんなとても喜んでくれて、
子どもたちの人生にとって大切な一時を、
喜びを持って共有させてもらえたことに幸せを感じます。


人生における人との出会いは、
それがごく身近な人、肉親であったとしても、
必ず別れの時が訪れます。

家族を持たない自分にとって、
インドでの子どもたちとの出会いと別れは、
それを濃縮して見せてくれているようです。

生があるから死があり、出会いがあるからこそ別れもある、
これは人生の条理であり、
その受け止め方、その中に深い人生の味わいを感じます。





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