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トラブル


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旅をしていると、いつどんなことが起こるか分かりません。
思いがけず嬉しいこともあれば困ったこともあり、
そんなふいの出来事や非日常の漂白感、
そういったものを味わい、楽しむことが旅の醍醐味であると感じます。

以前はインドに行く時には保険をかけていましたが、
今は“インド的おおらかさ”で、
そういったことは“ノープロブレム”ということにしています。

今回も同行してくださった飯田さんは、
飛行機のチケットをクレジットカードで購入され、
そうすると自動的にいくらかの保険が付与されるのだそうです。


旅先で病気になると困りますが、
幸い今までインドで大きな病気をしたことがありません。
これはインド旅行中だけではなく、
日本でもほとんどまったく病気をしたことがないので、
健康な肉体のお陰ということでしょう。

病気というほどではありませんが、
旅行中、下痢の症状は必ずといっていいほど一度は経験します。
インドで生水を飲むことはほとんどありませ。
けれど氷を入れたジュース、
露店で売られているお菓子や揚げ物はたびたび口にし、
普段の食事もインド人たちと同じものを食べるのですから、
抵抗力のない日本人のお腹には厳しいものです。

また食事の時に使うお皿も、
日本的感覚で見ればとても衛生的とは言えないもので、
洗濯にも使う大きな水槽の水、
時には池の水で洗ったものを使っているわけで、
かなり雑多な細菌が付着しているものと思われます。



その下痢の症状も、
旅の回数を重ねるごとにあまりひどいのをしなくってきました。
たぶん少しはお腹の抵抗力がついてきたのでしょう。


下痢と同じく飲食物の影響と思われますが、
インドではこれまで二度、ひどい湿疹に悩まされました。
最初は虫刺されかなと思っていたのですが、
薬を付けても一向に治らず、
普段表に出さないところにも湿疹が現れて、
これは何かのアレルギー反応だということが分かりました。

その時は二回とも現地の医者に行きました。
日本ではまったく医者にかかることはありませんが、
早く治りたいということ、
そしてもうひとつは、
インドの医療がどういったものかを体験してみたいという興味が半分です。



日本では薬を飲んだり注射を打った経験がほぼ皆無ですので、
インドのお医者さんで注射を打ち、
薬をもらうと劇的によく効きます。
かなりのかゆみを伴っていた湿疹も二三日で完治しました。
けれどその湿疹はかなりひどかったので、
あれから五年以上経った今も、足首には湿疹の跡がうっすらと残っています。


それと歯のトラブルも何度か見舞われましたね。
その都度歯医者に行って治療してもらいましたが、
一昨年は差し歯になっている左前歯が取れ、
インドの歯科医では応急治療がしてもらえず、
ほぼ半月以上片前歯で過ごさざるえなかったのは参りました。
今となっては思い出のひとつですが ・・・ 。


旅行も長期間となると荷物は膨大な量になり、
持ち物はひとつひとつ厳選し、バッグに詰め込みます。
そしてその中のひとつでも調子が悪くなったり、
忘れたり、なくしたり、あるいは盗まれたりすると、
とたんに困ったことになってしまいます。

幸いインドは日本より物価が安いので、
インドで手に入るものは現地調達で問題解決です。
ズボンやシャツなどは何度も現地で普段用のものを買いました。
文房具もあまり気の利いたものはないですが、
日本のものと比べると激安です。

もうひとつ助かるのが、
インドにはものを修理して使うという文化が残っていることです。
今使っている大きなサムソナイトは二度キャスターが壊れましたが、
一度はキャスターの軸の周辺の修理を、
二度目は完全に崩壊したキャスターを、
ほぼ似た大きさのものに付け替えるという、
日本では考えられないようなことをしてもらいました。



インドは土埃が多いからか、カメラも何度も調子が悪くなりました。
七年前に一眼レフのズームレンズのズームが効かなくなった時は、
日本の昔の時計屋さんのように、
机の上で部品をバラバラにし、
接触具合を調整するかグリスをさすかして、
見事にレンズを復活させてくれました。



けれどこうした修理ができるのは町中だけ、
特に電子部品系統の修理は、
大きな街に行かなければなりません。

三年前のコスモニケタンでは、
最後の方はやはり一眼レフのオートフォーカス機能がおかしくなり、
一昨年のインドでは、インド初日にカメラが突然機能しなくなり、
今回も、最後の方でズームレンズがまったく使えなくなってしまいました。

それでも今はiPadや様々なデバイスにカメラやビデオの機能があるので
“どうしようもない”ということにはならず、
貧しいインドの人たちを見習い、
そこそこ不自由な状態に耐えて過ごすことにしています。


金銭的なことではこれまで大きなトラブルになったことはありません。
買い物やオートリクシャーに乗った際に、
小金をちょろまかされたり余分に請求される、
そんな程度です。

それらは金額的にはわずかなものですが、
その時感じた憤りと大好きなインド人に対する失望感は長く尾を引きます。
けれどこれは手放さなければならない感情だと感じます。
“悪いものを正す”というのはひとつの正論ですが、
“お金をたくさん持っている者は、そうでない者に多くを与えるべき”、
という倫理観も、
インドでは当然のこととして受け入れるべきものなのだと思います。


こうして書いていて思い出しました。
七年前、帰国途中にムンバイ(ボンベイ)を経由し、
そこで一日観光をし、手持ちのインドルピーをほとんど使い果たし、
その状態で空港に行った時、
預けていた荷物が国内線から国際線のターミナルに移送されていて、
その代金を請求され、手持ちのお金では足りず、
トラブルになった時はあせりました。

そして何とか時間内にターミナルにたどり着いたと思ったら、
今度は予約している飛行機は今日は就航していないと知らされ、
途方に暮れたことがあります。

結局は航空会社のミスで、無事他の会社の飛行機に乗ることができ、
待っている間、ラウンジで無料の食事とお酒も提供してもらいましたが、
本当に何が起こるか分かりません。


それとまたまたこう書いていてもうひとつ思い出しました。
これは考えようによっては最大のトラブルですが、
無事解決し、今となっては神の恵みとすら思えることなので、
トラブルということで頭に浮ぶことはありませんでした。

それはこのホームページでも何度か書いた、
三年前、コスモニケタンからの帰りに起きた関空での奇跡です。
今回アジア協会の方たち向けにインドへの思いをレポートとして書いたので、
その中の一部を抜粋します。

関空での奇跡

コスモニケタンでの三ヶ月半の役目を終え、日本に戻ることになりました。
先生方から記念の額や飾りをいただき、子どもたちからもたくさんの送別の言葉をもらいました。
教室で子どもたちの前に立って挨拶する機会もあったのですか、子どもたちの可愛い顔を見ると、胸が詰まって言葉になりません。
子どもたちにはただただ感謝、この一言です。
コスモニケタンから日本までは遠い道のりです。
ビジャプールから寝台バスでバンガロールに出て、バンガロールで一泊し、国内線でデリーに飛び、そこから国際線で関空へと向かいます。
航空会社は荷物がたくさんある関係でエアインディアを利用し、預け入れ荷物はバンガロールから関空まで直行します。
途中デーリー観光をするぐらいの乗り継ぎ時間があったので、盗難に遭ってはいけないと考え、貴重品はすべて預け入れ荷物の中に入れてしまいました。
そして関空に着き、預けた荷物を受け取ろうとすると、二個預けた荷物の内、すべての貴重品を入れたバッグが見当たりません。
荷物受取所で一人去り、二人去り、とうとう自分一人になっても荷物が出てくることはありませんでした。
その後飛行場の係の女性が三名現れて、方々調べてくれたのですが、どうやらその貴重品の入っ
たバッグは関空に届いておらず、行方不明になってしまったようです。
係の女性たちは親身なって心配してくれましたが、日本円の入った財布、手帳、ケイタイ、パソコン、カメラ、ビデオ、・・・それらがどうなったかは調べようがない様子です。
係の方がケイタイ電話を貸しくださり、一件だけ電話番号を調べて電話してみたのですが、残念ながら話をすることができませんでした。
まったくの文無し、ケイタイなし、連絡先も分からない、完全ににっちもさっちもいかない状況になってしまいましたが、その時に頭に浮んだのが、あの貧しい村で暮らす子どもたち姿です。
質素な暮らしの中、日々ささやかな喜びとともに生きている・・・、あの子たちのことを思うと、こんな少々のトラブルで落ち込んでいては申し訳ない、そんな思いが頭に浮んできました。
するとどうでしょう、突然心の中にこれまで感じたことのない深い幸福感、安堵感が湧き上がり、『生きてる、ただそれだけで幸せなんだ・・・』そんな思いに全身が包まれて、すべての不安が一瞬にして消え去ってしまったのです。
まるで悟りを開いて浄土にでも行ったかのような感覚、生まれて初めて味わう至福体験でした。
それはまったく不思議としか言いようがないことなのですが、それでこの絶望的状況が一変するわけではありません。
このままではどうしようもないということで、取りあえず係の方に連れられて、上層階にあるその方たちの事務所のところに行き、中に入れてもらえるわけでもなく、その事務所の前にあるソファーに腰を下ろしました。
その時、ふとiPadがカバンに入れてあるのを思い出しました。
関空はフリーWiFiがあるので自由にネットやメールができます。
取りあえずはお世話になったアジア協会の田中さんにメールをしようと思い、やおら文字を打ち始め、何気なく顔を上げると、なんと目の前にその田中さんがおられるのです。
なんという奇跡でしょう。
田中さんは自分を迎えに来てくださったそうですが、いつまで経ってもゲートから現れず、ケイタイにも連絡が付かないのであきらめて帰ろうとされ、その時にローソンの看板を見つけ、おにぎりでも買おうと上まで上がってこられたのだそうです。
その時の田中さんは自分にとってまさに救いの女神でした。
田中さんと二時間近く喫茶店でいろんなお話をし、お金を受け取り、無事に広島に戻って来ることができました。
後日行方不明だったバッグもデリーで見つかり、数日後に手元に戻り、何の障害もなくトラブルはすべて解決しました。
このバッグ紛失のトラブルのお陰で、自分の中でいかに多くのものをコスモニケタンでもらったのかを再認識することができました。
これはそれを知らせるための神様からの恵みであったのだと信じています。



こうしてみると、よくこれまでインドで大過なく過ごせたものだと思います。
このことには感謝しなければなりません。

今回の旅も、自分にはそう大きなトラブルは降りかかりませんでしたが、
コスモニケタンで一緒になった日本人メンバーの中には、
大きなトラブルを経験された方が二人いらっしゃいます。


お一人は女性の方で、コスモニケタン滞在中、
夜遅くにご自分の部屋に入ろうとされた時、
足下にあの猛毒を持ったサソリがいて、
それに足首を噛まれ、大騒動になりました。

サソリに噛まれたと分かってすぐに病院に車で行って治療を受け、
その後も何度か通院され、
なんとか無事日本に帰れる状態に快復されましたが、
サソリは治療が遅れると生命に関わる危険なものです。

チェンナイのホームでその話をすると、
ホームでも以前男の子が洗濯をしている時にサソリに噛まれ、
すぐにチェンガルパッドという近隣の大きな町の病院に連れて行き、
医師四人がかりで治療を受けたとのことです。

その他インドには毒蛇も多くいて、
夜などは特に足下を注意して歩かなければなりません。


コスモニケタンからの帰りは、
みんなで同じ寝台列車に乗りました。
インドの列車は長いものは二十両も連結されていて、
またどの車両に乗るのか案内が不親切で分かりにくく、
乗り込む際は結構ごった返します。



そのどさくさ紛れに、
一人の若い男性のカバンが盗まれてしまいました。
中には財布、ケイタイ、パスポート、貴重品が一式入っていたようです。

その後は冷静に対応されたようですが、
海外では、一時たりともカバンから目を離さない、
これは大原則です。


旅とは非日常を味わうもの、
そしてこれまで学んできた心のあり方を実践の場で活かし、
試すところでもある、
そんなことを心に置いています。

ですから少しの期間をおいて再び旅に出ると、
以前の自分との変化を感じることができるのです。


大きく言えば人生とは旅そのもの、
そこに起こるトラブルを含めた様々な出来事は、
旅路を歩む道ばたに咲く一輪の花のようなものだと感じます。





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