インド・スリランカの旅
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2月28日  To カンニャークマリ





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我が心のインド




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何日ぶりでしょうか、今朝はたった一人の寂しい目覚めです。
ホテルのレストランで一人朝食を食べているとこれまでの日々を思い返し、
少し感傷的な気分になります。

異国の地インドに一人飛行機で降り立ち、
今日までいろんな人たちの歓迎を受け、こんな幸せなことってないですね。
旅は自分の内側を見つめる絶好の機会であると同時に、
周りの人の思いも普段以上に深く受け止めることのできます。

とはいえ、今日はまたインドでスギルタンや可愛い子どもたちの顔を
見ることができるのですが ・・・、
私にとってほんの一時のセンチメンタルジャーニーです。


朝食をとった後、オーナーにコロンボ国際空港まで車で送ってもらいました。

コロンボ国際空港へオーナーの車で移動

車の中では流ちょうな日本語でオーナーからいろんなことを聴きました。
スリランカでもインターネットの普及が進んでいるそうですが、
有害なサイトが多く、子どもたちに見せられないと頭を痛めておられました。
さすが敬虔な仏教徒です。

約40分遅れで飛行機は飛び立ち、
無事南インドのトリバンドラム国際空港に降り立ちました。

ここにスギルタンの向かいの人が来てくれているはずです。
飛行場のゲートを出たところで大きなバックを持って立っていると、
いろんな客引きが声をかけてきてかなりうっとおしいです。

到着時間が遅れたので少し心配でしたが、
5分か10分ぐらい待ったでしょうか、
スギルタンのホームの職員の方が私を見つけて近寄ってきてくれました。
私は失礼なことに彼の顔を忘れていて、
最初は客引きの一人かと思っていたのですが、
彼が私の顔を見ながら「イシタニ・・・」と石谷上人の名前を出してくれたので
ようやく判別することができました。

彼と出会った後も、しつこい客引きは何かをまくし立てながら
私のそばを離れようとしません。
迎えに来てくれた彼も公共交通機関を利用してここまで来たらしく、
強引に私のバックを引っ張る客引きに連れられるように客引きのリクシャーに向かいました。

二人で彼のリクシャーに乗ると早速値段交渉です。
なんだか大声で交渉していますが、
外人だから、荷物が大きいから、・・・そんなことで高い値段をふっかけられているようです。

けどもう彼のリクシャーに乗った、というか乗せられた時点で負けですね。
多少ふっかけられても黙って支払うしかありません。

トリバンドラム駅

鉄道のトリバンドラムの駅までリクシャーで来て、
ここからバスに乗り換えます。

迎えに来てくれたジャスティスさん、見た目通り気の優しいナイスガイです。

ホームの職員ジャスティスさん

インドでバスに乗るのは初めてなのでちょっとワクワクドキドキです。

インドのバスはお客さんでいっぱい

バスの車窓から眺める町並みはスリランカと違い、
人や家並みがごちゃごちゃしているこゆ~いもの、
ゴミがちらばりほこりっぽい道路にたたずむ人、原色のどぎついポスターを見ると、
“インドに帰ってきたな~” と実感して嬉しくなります。

名前は分かりませんが、カンニャークマリにほど近いバスターミナルで降り立ちました。
バスが主要な交通機関であるインドでは、こういったバスターミナルが随所にあります。

バスターミナル

バスを降り大きなバックをガラガラと引きずって歩くと、
ホームの別の職員の方が、なんと救急車に乗ってお迎えに来てくださっていました。

救急車でお出迎え

スギルタンの弟スレッシュさんのホームにあったジープの救急車と違い
本格的なものです。
もちろんサイレンを鳴らしながら走るわけではないのですが、
救急車の車窓から見る町の景色というのは、普通の車から見るものとまたひと味違いますね。
皆さんは経験がありますか?


ホームに着くと、可愛い可愛い(この “可愛い” という言葉を百個ほど連ねたいぐらいです!)
子どもたちが私を出迎えてくれました。
元気いっぱいの子どもたち、この瞬間をどんなに待ちわびたことか ・・・。

子どもたちの歓迎のポーズ

ピースじゃない、ちょっとかわったサインでポーズです。
どんな意味があるのでしょう?
楳図かずおのグワシと似てますね。

みんな仲良くカメラにポーズ

いつものように子どもたちが私の手を引っ張って
ホームのいろんなところを案内してくれます。

水やりもみんな一緒に

ホームでは毎日きちんと決められたタイムスケジュールの元、
朝の掃除、洗濯、水浴びからはじまって、自分たちの生活に必要な最低限のことは、
子どもたち自身できちんと行われています。

かといって、それらを厳しく管理されているかといえばそうではありません。
私は子どもたちを厳しく叱っているホームの職員の方を一度も見ることはありませんでした。

インドのホームにいる間は、
それがあまりにも自然すぎるため深く考えることはなかったのですが、
この規律と自由を子どもたちが大人の誰から言われることなくきちんと守っているということは、
本当にすごいことだと思います。

木登りも大好きです

はしゃぎ回る子どもたち

“南インドはこの世の楽園だ” 、
私の中ではそんなふうなイメージ付けがしっかりとできあがってしまいました。

ココナツ、バナナ、マンゴー、パパイヤ、 ・・・ 色とりどりの南国の果物が生い茂り、
きれいな花や紺碧の海、豊かな自然環境に恵まれた南インドは素晴らしいところです。
けれども現実には貧しいインドですので、
町には物乞いや住む家のないストリートチルドレンがたくさんいて、
道路にはゴミが散乱しています。

そんな現実があっても、私の頭の中から “楽園” という言葉が消えることはありません。
それはなぜなのか?

インドを離れ、こうして日本で子どもたちの写真を見ていて少しずつ分かってきました。
私は楽園の姿を、その豊かな自然環境の中にではなく、
そこに暮らす人々、特に光り輝く子どもたちの心の中に見ていたのだということが。

ホームにはたくさんの遊具があります

ホームの中にある遊具で楽しそうに遊ぶ子どもたち、
残念ながら今の日本ではこのような光景をほとんど目にすることはできません。

男の子も女の子もみんな一緒に遊びます

豊かさとは何なのか?
便利な電化製品、車、高級マンション、
あふれんばかりのモノに囲まれて暮らすことなのでしょうか?

ジャングルジムで無邪気に遊ぶ子どもたちの姿を見て、
私は彼らの心の中に本当の意味での豊かさを見た気がします。

カメラが大好きな子どもたち

夜自分の部屋のバスルームで洗濯をしていると、突然停電になりました。
インドではほぼ毎日のように停電が起こります。
けれども5分、10分といった比較的短時間で復旧しますので、
それだけ近代化、工業化が進んだということだと思います。

真っ暗になった部屋の窓から外を眺めると、
すぐ目の前にある草の茂みに消え入りそうないくつかの光の点が目に入ってきます。
ホタルです!

目の前に光り輝く(!)ちっちゃな命を見つけ、
なんだかとても心が温かくなりました。
気分としては夜空に輝く流れ星を見つけた感じです。

ちっちゃな子どもたちの光り輝く笑顔、
そしてさらにちっちゃなちっちゃなホタルの輝き、
みなそれぞれが自らが持てる命を懸命に輝かせようとしています。

自然って、生きるって、・・・本当にすばらしいですね。
そんな思いが私の胸の内からわき上がってきました。

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