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山間の町ワラパネは朝から雨模様です。
雨に濡れた常春の町は空気が澄み切り、とても心地よく、
まるで日本の軽井沢にいるような気分です。
ただ今日はここワラパネ道場の法要の日なので、
仏舎利塔の法要が外でできないのが残念です。
きれいに飾られたスリランカの旗が雨に濡れ、
少し重たそうに垂れ下がっていました。
汚いものを見せて恐縮ですが、スリーパーダで作った足のマメがなかなか治りません。
石谷さんにバンドエイドを分けてもらって貼り、少し歩きやすくはなりましたが、
その分傷口が乾燥せず、治りが遅くなった気がします。
あまり私が痛そうにしているので、お上人さんから “モグサのお灸” をすすめていただきました。
火がついて熱くなったモグサのお灸の熱と煙で傷口を乾燥させると、
“マメは一発で治る” とのことです。
“お灸ごときでマメの痛みが和らぐはずがない” と思ったのですが、
せっかくのご厚意を無にするわけにいきません
熱いのを我慢しながら患部をモグサにしばらく当てていました。
けどホント、すごいですね! ちょっとビックリしました。
効くはずがないと思っていたモグサですが、その効果は抜群でした!
モグサの熱と煙で傷口はすっかり乾燥し、
歩いた時の痛みが半分以下に激減してしまいました。
なんでこんなのがこんなにも効くんでしょうか??
日本の伝統医学の素晴らしさを、遠い異国スリランカの山奥で体感しました。(^o^)v
先に書きましたが、スリランカの爽やかな自然の風景は息を飲む美しさです。
なだらかな山並み、透明な空気、静かな湖・・・
断続的に降りしきる雨の合間に垣間見る景色は緑が深く、
のどかで自然と一体となって暮らすスリランカの人々の暮らしぶりが感じられるようです。
スリランカの特産品セイロンティーのお茶畑は、いたるところに広がっていて、
水はけのよい斜面にこんもりとお茶の葉が茂っているのは日本のお茶畑と同様です。
スリーパーダでも一緒だったちょっとクロード・チアリ似のジャヤセカラさんと写真を撮りました。
少し肌寒いのでウインドブレーカーを羽織っています。
昨日町で買ったボロっちいショルダーバッグが、今思うと痛々しいです。(>_<)
雨の中行われた法要には、地元スリランカのお坊さんたち、
町の方たち、そして子供たち、・・・ たくさんの方々が参列くださいました。
お経を聞いても、当然私にはそれが何を意味するのかまったく分からないのですが、
ここスリランカの法要もインド同様、とても地元密着型の民族色の濃いものでした。
この女性の方は、たぶんスリランカの祈りの歌のようなものを歌っておられました。
美しいお声です。
仏舎利等の法要も雨のため道場の中で行われたのですが、
法要が終わるころになって、ようやく雨が降り止んできました。
法要のあとは食堂で昼食をいただきました。
そこでもいろんな方とお話しましたが、スリランカは日本語の上手な方が多いです。
彼も日本語がペラペラで、日本の中古車を輸入する仕事をしていると言ってました。
スリランカは日本の中古車が多いので、随分と儲かっているようでした。
丸一日過ごしたワラパネと別れを告げて出発します。
私は再びインドへ、他の方たちは日本に戻るため、
全員で一路飛行場のあるコロンボを目指します。
帰り道は早く感じるものです。
つい最近雑誌で読んだのですが、旅での帰り道は、
行く時よりも見るもの聞くものすべてに於いて新鮮味が薄れるため、
印象に残ることが少なく、時間的にも短く感じられるのだそうです。
まだ日の暮れないうちにコロンボ国際空港に到着しました。
石谷上人と木村庵主さんはすぐに成田に向けて出発です。
私は明日の朝、酒迎上人と石谷さんは夜遅くの便ですので、
ここでお二人とはお別れすることにしました。
長くご一緒させていただいたお二人と別れるのはつらいものです。
胸にじ~んと熱くなるものを感じました。
これからお二人は東京、北海道と周り、旭川~札幌を平和行進で歩かれるそうです。
インドか日本、またいつかお会いできることと思います。
ここだけの話ですが、木村庵主産は日本に戻ったらエビフライが食べたいと
話しておられましたが、無事食べられたのでしょうか?
この日の夜は、コロンボに着いた日に泊った「THASHIYA TOURIST INN」に
再び泊ることにしました。
飛行機の出発時刻までまだ間のある酒迎上人と石谷さんもしばらくこの部屋で休憩し、
シャワーを浴び、リラックスしながら最後の名残を惜しみ、
夜遅くにホテルを出発されました。
長かったお上人さんたちとの日々を懐かしく感謝の念で思い返し、
数々の貴重な体験をさせていただいたことに深い喜びを感じました。
ほんの二年前まで日本山妙法寺の方たちとはまったく面識もなかったのに、
縁とはまことに不思議なものです。
私は明日の朝インドに向けて出発し、
いよいよこれから日本に帰るまで、周りに日本人がいない環境になります。
少し不安ですが、それがまた楽しみでもあります。
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